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小説
ずっと、傍に ☆





 朝露とまだ昇らない朝日によってひんやりとした外気が佇む中、一切の音を奏でる事を禁じられた様なとある一室に、その男はいた。

 見た目は50歳からその後半と言ったところだが、彼の周囲からは厳かな空気が感じられ、徒者ではない事が分かった。

 傍らには一振りの刀──日本刀──が置かれており、彼がカッと目を見開き、それを手にして抜刀するまでの流れはとても早く、目の前にある巻き藁に向かって一閃する。

 ヒュンと風を切る音が、部屋中に響き渡った気がした。かと思うと、巻き藁はゆっくりと傾き、やがて倒れる。

 その切り口は見事に揃っており、並大抵の剣客ではない事を証明していた。


「…ふぅ」

「お父さん、朝食の準備が整いましたよ」


 男が大きく息を吐くと、そのタイミングを待っていたのか、若い女性がたおやかな所作で部屋に入ってきた。


「うむ」


 彼は女性に対してそれだけ言って頷き、日本刀を鞘に戻す。


「今日は随分と気合が入っていますね」

「当然だ。なにせ、一人娘であるメイヤが帰ってくるのだぞ。
 あ奴の父として、醜態を晒す事など赦されん」

「あらあら」


 男の口から出た名、メイヤ。それは、彼──ルフト・クロウフィールドと、彼の隣を歩く妻──ハーコット・クロウフィールドの最愛の娘の名前だった。


「それに今日は、メイヤ曰く【会わせたい人】がいる様だしな。
 もしもそれが男であるのなら、私が早急に手を下さねばなるまい」

「まだそうと決まった訳ではありませんから、朝食を美味しく頂きましょう」

「そうだな」


 ルフトの発言に、ハーコットは大して取り乱す素振りも見せずに朝食を勧めるだけに留まった。メイヤの母親だけあって、お淑やかで優しい性格ではあるが、やはり彼女と同様に少々天然な一面もあるようだ。

 対して、メイヤの父であるルフトは管理局にて、数年前まで一等陸佐を務めており、その頃から性格はしっかりとしており、今でも元部下だった人が指南を受けにくるほど慕われているが、一人娘のメイヤの事になると少々暴走してしまう事もある。

 ルフトとハーコットの2人は今日、久方ぶりに帰宅するメイヤと会うのだった。





◆◇◆◇◆





「スーツとかじゃなくて平気か?」

「はい」


 身だしなみを整えながら、ヴィレイサーは自分の服装がこれで問題無いかどうかを隣にいるメイヤに訊ねる。


「そんなに堅くならなくて平気ですよ」

「けど、挨拶に行く訳だからな。メイヤと一緒に居たいと思う気持ちは確かだが、それをちゃんと言えるかどうか……」


 メイヤと付き合い始め、そして彼女を生涯の伴侶と決めたヴィレイサーに、メイヤもまた、彼に残りの生涯を捧ぐと誓い、彼と結ばれる事を願った。今日は、その事をメイヤの両親に報告しに行く日だった。

 メイヤの両親には予め会いに行く日時を伝えてあるので、後はここを発つ前に、到着する時間を改めて伝えるだけだった。


「それに、どれだけ反対されても絶対に認めさせます。私にはもう、ヴィレイサーさんしかいませんから」

「それは、俺もだよ。俺にもメイヤしかいない」


 そっと口付けを交わして、2人は手を繋いだ。


「行きましょう」

「あぁ」





◆◇◆◇◆





「メイヤって、実はお嬢様だったのか?」

「い、いえ。決してそういう事では……」


 メイヤの実家に到着し、ヴィレイサーは目の前にあるその家の広さにしばし呆然とする。

 屋敷──と言うのは語弊があるが、日本造りのそれは、周囲の家屋に比べると明らかに広かった。


「父は、数年前まで管理局に在籍していたんですが、その剣術に魅せられた方も多く、指南を乞う方も多数いますので、剣道場があるんです。
 それに、お母様は弓道を教えていますから。自然と広い庭が出来てしまうんです」

「ん? もしかして、メイヤの弓術って……」

「はい。お母様から教わりました。魔力を使わない場合になりますが、その際の弓の実力は私よりも凄いんですよ」

「それは、見てみたいな」

「ただ……」

「『ただ』?」

「お母様を怒らせると、目にも止まらぬ速さで早撃ちを行いますので、それは……」

「お、怒らせない様に肝に銘じておくよ……」


 メイヤも目にした事があるのか、彼女の口ぶりから察するに、どうやらそれは凄まじい光景の様だ。


「あら、メイヤ?」

「あ……お母様」

「え? メイヤのお母さん?」


 門から玄関まで続く庭を歩いていると、その途中で1人の女性と出くわす。メイヤは彼女を『母』と言ったが、それにしては若々しい。


「てっきり、メイヤのお姉さんかと思った」

「それはまた……ありがとうございます」

「あ、いえ」

「メイヤの母、ハーコット・クロウフィールドと申します」

「ヴィレイサー・セウリオンです」


 ハーコットは丁寧に頭を下げ、自身の名を告げる。次いで、ヴィレイサーも名乗った。


「ヴィレイサーさん……」

「はい」

「メイヤとは、どういった関係ですか?」

「え?」

「お、お母様。メールで伝えた方です!」

「あぁ、メイヤが伴侶と選んだ方でしたね」

「お母様は、少々抜けている事がありまして……」

「なるほど」


 笑みを絶やさずに浮かべているハーコットに気付かれぬ様に耳打ちし、メイヤはヴィレイサーに母の性格を伝えた。


「では、どうぞ」


 ハーコットはヴィレイサー達を促してから先頭を歩き始め、後続のヴィレイサーは彼女の後姿をじっと見る。


「ヴィレイサーさん?」

「ん、何だ?」

「お母様の事、見過ぎだと思うのですが……」

「え?」

「あら、貴方からの視線でしたか」


 メイヤもハーコットも、ヴィレイサーの視線に気がついていたのか、彼に向き直る。


「いや、メイヤの母親だけあって、美人だなぁと……」

「むぅ……」

「ありがとうございます」


 ヴィレイサーの言葉に、メイヤはぷくっと頬を膨らませて不満げにし、ハーコットは相変わらずの笑みを浮かべているだけだった。


「ですが、私にはルフトさんがいますから」

「あぁ、いえ。別に他意はありません」

「本当…ですか?」


 夫の名を出すハーコットに、ヴィレイサーは両手を振って他意が無い事を言うが、メイヤは不安そうな瞳で彼を見詰める。どうやら、母が若々しい事で急に怖くなったのかもしれない。


「本当だよ。どうすれば信じてもらえるかは分からないが……それでも、メイヤだけを愛しているのは確かだよ」

「はう……」


 メイヤの手を自分の両手で優しく包みこみ、ヴィレイサーは彼女と視線を絡めて言う。それが誤魔化しではないと理解して、メイヤは見る見るうちに頬を紅潮させていった。


「あらあら……メイヤったら顔を真っ赤にしちゃって、そんなに嬉しかったの?」

「う、嬉しくない訳、ありません」

「ふふっ。本気なのね、2人とも」


 ハーコットの問いかけに、メイヤは隠し立てせずに素直に気持ちを吐露する。それを聞いて、ハーコットは更に笑みを浮かべた。





◆◇◆◇◆





「ルフトさん、メイヤが帰ってきましたよ」



 大きな畳が敷かれた部屋の前にある襖を開けずに、ハーコットは室内にいるルフトにメイヤの帰宅を告げる。一人娘の帰宅に、ルフトは心が躍るが、それを面には出さずに厳かな雰囲気を保ったままの声色で中に入る事を許可する。


「失礼します」


 たおやかな所作で、メイヤは襖を開いて中に入る。ルフトは最奥で正座しており、その表情は堅かった。


「ただいま戻りました」

「よく戻ったな、メイヤ」


 メイヤも、ルフトに倣って正しく正座して彼に頭を下げる。そんな彼女に、ルフトは父親らしい笑みを浮かべて出迎える。


「それで、今日は会わせたい人がいるそうだが?」

「あ、はい」


 メイヤのメールに書いてあった『会わせたい人』が気になってしょうがないのか、ルフトはメイヤに促す。


「ヴィレイサーさん、入ってどうぞ」

「失礼します」


 地球の出身だからなのか、ヴィレイサーは特に戸惑う事無く、正座したまま襖を少しずつ開き、部屋に足を踏み入れる前にそこで頭を下げる。そしてルフトは、その光景に目を疑った。


「男、だと……!?」


 ヴィレイサーが綺麗な所作で襖を開けた事にではなく、メイヤが連れてきた人物が男だと言う事に驚いていた。


「えっと……お母様から聞いていませんか?」

「『会わせたい人がいる』としか聞かされてはいない」

「あら、ごめんなさい。うっかりしていたわ」


 にこやかな笑みを浮かべたまま、ハーコットは簡易的な謝罪をするだけに留まった。


「あの……お父様。彼が……ヴィレイサーさんが、私が伴侶として選んだ男性です」

「伴侶……」


 呆然としていたルフトは、メイヤの言葉を反芻するしか出来ず、ヴィレイサーはとりあえずメイヤの隣に並び、再び頭を下げた。


「あの……」

「君は」

「は、はい」


 口を開こうとしたヴィレイサーの言葉を遮り、ルフトは多少睨みをきかせた鋭い目つきで射抜く。


「君は、メイヤのどこを好きなったのだね?」

「どこ……」


 ルフトの問いかけに、ヴィレイサーはメイヤの顔をじっと見詰める。


「卑怯な答え方ではありますが、全部です。メイヤの人柄も、性格も、容姿も……何もかもが好き……いえ、愛しています」

「ふむ……」


 ヴィレイサーの答えに、ルフトは何を思ったのか分からないが、彼は特に言及せずに今度はメイヤの方を向いた。


「メイヤ。お前は、彼のどこを好きになったのだ?」

「え!?」


 まさか自分に話が振られるとは思っていなかったのか、メイヤは思わず素っ頓狂な声を出してしまう。しかも、つい先程ヴィレイサーが口にした言葉が強く残っており、顔はかなり真っ赤だ。故に、自分の答えが遅れてしまうのも致し方ない事だった。


「え……あ、えっと……」


 慌てふためくメイヤは、【ヴィレイサーと両親に聞かせなければならない】という重責の所為で熟れたトマトの様に赤面して口籠ってしまう。


「ふむ……ヴィレイサーと言ったか?」

「はい」

「私と手合わせしろ」

「はい?」

「お、お父様!?」


 唐突なルフトの申し出に、ヴィレイサーは呆け、メイヤは驚きの声を上げる。


「娘は君のどこを好きになったのかを言えない様だからな。
 ならば、メイヤの事を任せられるかどうか……私自らが相手となって見極めさせてもらおう!」

「そ、そんな……お父様!」

「どうする? 私との手合わせを蹴るか?」

「蹴った場合、メイヤとの結婚は……」

「当然、認める訳にはいかない」


 ルフトはハッキリと断言し、ヴィレイサーはメイヤの顔を窺う。彼女はまだ戸惑いの表情を浮かべていたが、キッと目を整え、ヴィレイサーに頷き返した。


「戦ってください。戦って、勝利して……一緒に生きていきましょう」

「あぁ、もちろんだ」


 メイヤに笑い返し、ヴィレイサーはルフトに続いて外へと出ていく。その後ろには、メイヤとハーコットが続いた。


「メイヤ」

「はい?」


 向かい合うヴィレイサーとルフトの2人から離れた位置に立つメイヤとは違って、庭へと繋がる廊下の縁に座したハーコットはハラハラドキドキの表情を見せているメイヤに静かに、しかし凛とした声で呼びかける。


「どうしてさっき、すぐには答えられなかったの?」

「その……ヴィレイサーさんに言われた事が、ずっと頭の中で繰り返されていて……」

「ふふっ♪ やっぱり、両親がいる前でそう言われて恥ずかしかったの?」

「は、はい」


 頬に朱が差した状態で、メイヤは恥ずかしさと自分が答えられなかった失態で顔を俯かせてしまう。しかし、ハーコットは微笑みを浮かべて彼女の手を優しく取る。


「別に責めている訳ではないのよ。貴方があの人を……ヴィレイサーさんを本気で伴侶にしたいと言う気持ちが偽りでないのなら、それでいいのよ」

「お母様……」

「ほら、始まるわよ」


 ハーコットに言われて視線をヴィレイサーの方に戻すと、2人とも剣を構えている所だった。


「ヴィレイサーさん……頑張ってください!」


 メイヤの応援に、ヴィレイサーは何も言わない。だが、それは決して無視している訳では無い事を、メイヤは分かっていた。

 ハーコットに握られていない方の手を、胸の前でギュッと握り、メイヤはヴィレイサーの勝利を願った。


「言っておくが、私はこれでも優れた剣客だ。
 過去に500人抜きをした事がある」

「500人……ですか?」


 ルフトの口から出た事実に、ヴィレイサーは冷や汗を掻いた。ヴィレイサーとて、傭兵の中ではそれなりに実績がある。しかし、流石にそんな大人数を連続で相手にした事は無い。


(勝てるのか……?)


 目の前に差し出された事実に、ヴィレイサーは呑みこまれそうになる。


(いや……俺には、勝つしか道はない!)


 メイヤの顔を横目でチラリと窺うと、彼女が胸の前で堅く手を握っているのを見て、彼は頭を切り替えた。


「怖気づいたかな?」

「えぇ」

「ほう、正直だ」

「ですが、俺には、勝つしか道はありません。
 メイヤと一緒に居る……それだけが俺の、ただ1つの望みですから」

「ふっ……よく言った!
 ならばこの私、ルフト・クロウフィールドを倒してみせよ!」


 アームドデバイスであるコテツを構え、ヴィレイサーはエターナルを太刀の形態にして下段に構える。


「そうだ。簡単にルールを決めておこうか」

「お願いします」

「『負けた』と口にしたらそこまでだ。
 つまり、諦めない限り手合わせは続ける。構わないかね?」

「はい。ありがとうございます」


 まったくヴィレイサーの事を認めていない訳ではない様で、ヴィレイサーはルフトの配慮に感謝する。

 もしも認めていないのならば、あっさりと負かして終わらせるルールを取り入れても不思議ではないからだ。だが、ルフトは『諦めない限り続けて良い』と言ってくれた。


「では、いざ……!」


 ヴィレイサーから仕掛ける様に走りだし、彼は中段の位置で腰だめに構えた太刀を突き出す。しかし、ルフトはそれを少し身を捻るだけでかわし、ヴィレイサーはコテツの間合いにいつまでも留まる訳にはいかず、急いでその場から飛びのいた。


「ふむ、それなりに早いな」


 ルフトは、飛び退いたヴィレイサーの速度を褒めると同時に、しかし自分はそれ以上のスピードで彼へと迫り、帯刀していたコテツを抜刀し、切りかかる。ヴィレイサーの顔面を捕らえようと右側から迫りくる刃に対し、ヴィレイサーは飛び退いてそのまま着地せずに芝生の上に倒れ込む。


「むっ!」


 ヴィレイサーが踏みとどまって体勢を整えなかった事で、ルフトの刃は空を切る。そして、コテツが完全に通り過ぎるよりも早く、自分に攻撃が当たらないと判断した瞬間にヴィレイサーは倒れた体勢のまま、ルフトの軸足ではない左足を両足で挟みこみ、右側に身体を転がし、その勢いでルフトを倒す。


「やる!」


 しかし、ルフトは足を挟まれ、身体を倒されると判断するや否や、既に受身の体勢に入っており、身体が倒れきる前に手を支えにしてダメージを限りなく減らす。


「うおっ!?」


 ルフトが倒れないと知ると、ヴィレイサーは急いで彼の左足を挟んでいる両足と解こうとするが、それよりも早くルフトがヴィレイサーに向かってコテツを刺突の形で剣尖を差し向ける。


(あんな体勢でやってくるとは……!)

「ほう、上手く脱したか」


 エターナルの峰で剣尖を受け止め、その隙に脱したヴィレイサーは、ルフトの実力に舌を巻いた。そしてルフトもまた、ヴィレイサーが回避した事に少なからず驚いていた。


「流石はメイヤが選んだ男だ。その実力、気にいったぞ!」

「じ、実力で選んだ訳ではないのですが……」


 ルフトの発言にメイヤはそう呟くが、早くも剣戟が再開されてその声は届かなかった。


「しかし! だからと言ってメイヤを渡す訳にはいかん!」

「俺だって、メイヤとの願いを水泡に帰すような結末にはしたくありません」

「熱いわね〜」

「はい」


 ルフトとヴィレイサーのやり取りをしっかりと聞いていたメイヤは、ハーコットの言葉に頷く。


「…このお茶が」

「そっちですか!?」


 いつの間に淹れたのか、ハーコットの両手には湯のみがあり、そこからは湯気が出ていた。


「では、1つ君の実力を確かめるとしよう」


 コテツを鞘に戻し、前屈立ちの構えを取るルフトに、ヴィレイサーはゴクッと固唾を呑む。想像以上のルフトの気迫(プレッシャー)に呑みこまれまいと、必死に自分を奮い立たせる。

 そして、ルフトが一歩を踏み出した──そう思った瞬間、ヴィレイサーは本能的にその場から飛び退いた。


「遅い!」


 だが、ルフトの言う通り、その選択をするには遅すぎた。


「燕…返し!」

(一閃しか、見えない……!)


 ルフトの口から出た言葉に焦り、目を凝らすヴィレイサーだったが、彼の眼にはコテツが一閃されるようにしか見えない。

 ガンッと何かが弾かれる音がしたと気がついた時には既に、ヴィレイサーの手からエターナルが消失しており、空を舞っていた。


(やらせるか!)


 だが、ヴィレイサーは次に迫る一閃に対して、鞘をルフトに向かって投げつける事で回避した。


「ほう、あの状況からよもや鞘を投げ込んでこようとは……素早いな」


 鞘が投げ込まれた事で、ルフトの流麗な動作は停止した。鞘は、コテツに切り上げられ、空を舞ってルフトの前に落下し、彼はそれを手に取る。

 その表情には余裕が満ちており、ルフトの強さを更に強調している。ヴィレイサーは自然と、その気迫に呑みこまれそうになる。


(いや……ここで潰れたら、それこそ俺は、2度とメイヤと一緒にいられなくなる)


 自分をまっすぐに見ている少女を横目に捉えてから、ヴィレイサーは後方に突き刺さっているエターナルをチラリと見る。


「剣を取りに行っても構わんよ」

「御厚意、痛み入ります。
 ですが、ルフトさんは『全力で行く』と仰いましたから。ここで背を向けて斬られるのは御免です」


 苦笑しつつ、ヴィレイサーは何かを確かめるかの様に両手を閉じたり開いたり、それを繰り返す。


(なんとか体術で一撃ぐらいは入れたいな)

「ヴィレイサーさん……」


 メイヤはヴィレイサーの勝利を──否、父に認めてもらう事だけを願い、胸の前で両手をきつく結ぶ。

 そして、メイヤの隣にいるハーコットもまた、時折お茶を飲んでは、2人の戦いに視線を戻した。


「ならば、再び参る!」


 ヴィレイサーが投げてきた鞘を彼の眉間に向かって投げ返す。と、同時にルフトもヴィレイサーに向かって一気に踏み込んできた。


「くっ!」


 ヴィレイサーは鞘が投げられた瞬間から右側に身を屈め、高速度で飛来してきたそれをかわす。


「そちら側に身を傾けて良かったのかな?」


 だが、ヴィレイサーが右側に身を屈めた機会をルフトが逃すはずもなく、彼は充分に剣の間合いに入った敵を、一閃の下に伏すつもりで思い切りコテツを抜刀した。


「分かっています!」


 ヴィレイサーはそう反論して、予め懐から取り出していたスティレットで一瞬だけ、コテツを受け止め、その動きを停滞させる。


「その程度!」


 ルフトは吠え、抜刀した時のスピードが完全に失せてしまう前に、足を一歩踏み出し、弱まった力を強める。


「ぐっ……」


 小さなスティレットでは、ルフトが振るうコテツを受け止められず、ヴィレイサーは弾き飛ばされる。そんな彼が行き着く先は───


「なるほど 中々だな」


 ───手から零れたエターナルと鞘が転がっている所だった。


「だがしかし! 私が隙を逃すほど甘いと思うかね?」


 コテツを鞘には戻さず、再びヴィレイサーに向かって踏み込むのは、鞘に戻している時間が惜しいからだろう。

 ヴィレイサーがエターナルと鞘を手にして、そこから体勢を整えて武器を構えるまでは僅かながら時間がある。ルフトはその刹那の好機を逃そうとはしなかった。


「もらった!」

「速っ!?」


 エターナル、もしくは鞘に手が届きそうな寸前で、ルフトはヴィレイサーの傍にまで近付いていた。

 そして──コテツが振り下ろされた。


「あぁっ……!」


 ルフトのコテツが完全にヴィレイサーを捉えた時、メイヤは小さな声を上げて目を逸らしてしまいそうになる。

 だが、ヴィレイサーが負けたと決まった訳ではないし、自分が目を逸らしていると知ったら、ヴィレイサーは酷く傷つくだろう。


「ぐ、うぅ……」


 ふと耳を澄ませると、聞こえてきたのは父の呻き声だった。


「ヴィレイサーさん!」


 よく見ると、確かにコテツはヴィレイサーの頭を殴った様だが、同時に、彼の拳がルフトの顎を捉えていた。その光景に、メイヤは思わず安堵する。


「くっ……まさか、拳を繰り出してこようとは」

「予想外で……なによりです」


 ヴィレイサーは、ルフトが追撃してくるだろうと予想していた。そこで、エターナルか鞘のどちらかを取るよりも、彼に一撃でも与える事を優先したのだ。


「先に体勢を整え、ルフトさんの一刀を浴びながらも反撃するなんて……よっぽど、メイヤと一緒になりたいみたいね」


 楽しそうな母の声に、メイヤは頬を紅潮させる。


「だが、これが戦場だった場合には、君は命を落としたかもしれないぞ」

「えぇ。だけど、何もしないで攻撃を食らうのは、どうにも我慢ならなくて……。
 それに、戦場だったらしません。もしも戦場だったとしても、生きてメイヤの元へ帰ります。帰って、素直に怒られます」


 こんな状況で笑んでしまったのは如何なものかと思うが、ルフトはそれを咎めず、彼も笑った。だが、すぐに頬を引き締め、コテツの剣尖をヴィレイサーに向ける。それが剣戟の合図だと踏み、ヴィレイサーもエターナルを手に取り、ルフトと対峙する。

 それは、本当に数瞬の事だった。ルフトとヴィレイサーはほぼ同時に走りだし、刃をぶつけ合う。2人は吠え、剣戟を繰り返す。


「老体に近付いているとは言え、容易くは負けんぞ」


 ルフトの言う通り、剣戟は次第に彼の方が優勢に立ち始めていた。


「朝からの修練を絶やさなかった甲斐があったよ。君の様な男と、こうして刃を交える事が出来るのだから」

「はぁっ!」

「…が、君はまだまだだ!」

「うぁっ!?」


 上段から振り下ろした一閃を、ルフトは紙一重でかわし、懐に入り込んでコテツで胴を叩く。ヴィレイサーが呻き声を上げるが、痛みに苦しんでいる場合ではなかった。


「はあぁ!」


 気付いた時には、コテツの鞘が眉間に肉薄しており、ヴィレイサーはそれが、『回避出来ない』とすぐに悟り、抵抗せずに防御する事に意識を集中させた。


「つぁっ!」


 だが、勢いがあると思っていた鞘は、意外なほどスピードがなく、ヴィレイサーに軽く一撃を与えた程度だった。


(しまった……!)


 その攻撃が“囮”だと確信したのは、ルフトから繰り出される連撃を受けた時だった。


「ごほっ……!?」


 両腕両足、胴に続いて頭部への連撃を受け、最後の切り上げでヴィレイサーは軽く宙を舞い、受け身をとって芝生の上を転がる。

 幸いな事に、どうやら意識を手放さずには済んだ様で、咳き込みながらも心底安堵する。


「まさか、鞘を囮に使うとは……」

「人は、顔面に迫る攻撃には敏感だからな」


 ルフトの言う通り、人間は顔面に対する攻撃にはかなり敏感だ。だが、その習性を逆手に取り、ルフトは攻撃を仕掛けてきたのだ。

 空手の山突きの様に、顔とお腹に同時に攻撃が来た場合、大体の人は顔面を防御するだろう。視界に入っている攻撃なのだから、尚更だ。ルフトはそれを活かして、鞘をヴィレイサーの顔面に差し向ける事で彼にその攻撃を意識させ、その隙に連撃を叩き込んできたのだ。


「しかし、よく気絶しなかったものだね」

「自分でもそう思います」


 身体のあちこちが痛みを訴えてくるが、それを無視して立ち上がる。


「ふむ。 よほど本気なのだね」

「俺には彼女しか……メイヤしか、伴侶はいませんから」


 毅然と振る舞うヴィレイサーだが、やはりダメージはかなりの様で、微かではあるが、その体躯は震えていた。だが、ルフトはそれを決して嗤わなかった。


「益々、君の事を気に入ったよ。だが、だからと言ってメイヤと君の婚約を認めた訳ではない」

「認めて頂くまで、やります」


 キッと目を見開き、ヴィレイサーはルフトに向かって一気に走りだす。それに対し、ルフトはその場から動かず、しかし剣の間合いに入った瞬間にコテツを抜刀する。


「…っと!」

「むっ!」


 しかしヴィレイサーはそれを、ルフトに飛びかかる様にして跳躍してかわす。思い切り振るった刃は空を裂き、しかも思い切り振るった事で、腕に急制動をかけて飛びかかってきたヴィレイサーに対処する為の、コテツを引き戻して攻撃に転じる時間を奪ってしまう。

 ヴィレイサーはルフトの両肩を掴み、押し倒そうとする力を籠めて、更には膝蹴りで顔面を狙おうとする。


「らぁっ!」

「うわっ!?」


 だが、ルフトは押し倒された事を利用して、自ら思い切り体をのけぞらせ、逆にヴィレイサーを投げる。そして、自分はそのまま背中から一回転して立ち上がり、ヴィレイサーに追撃を仕掛ける。


「チッ!」


 ヴィレイサーはそれをあらかじめ予想していたのか、投げられながらも体勢を整え、ルフトよりも先に走りだし、庭にある巨木に足を引っ掛けて駆けのぼり、足が限界だと感じた地点でそのまま身を重力に従って落下させていく。


「高い所からの一撃を狙うか!」


 ルフトが巨木のすぐ傍まで駆け寄った時、ヴィレイサーは既に身を翻し、大地に居るルフトと対峙しながらエターナルを構える。それが、重力に引っ張られる事を利用した攻撃だと気がつき、彼もコテツを構える。

 だが、ヴィレイサーは剣がぶつかり合うよりも早く、ロングコートをスティレットと一緒に落下させる。


「ぐっ!?」


 いきなり眼前に広がったロングコートによって視界を奪われ、それを取り去った時には、ヴィレイサーが肉薄していた。


「まだっ!」

「はぁっ!」


 ルフトはコテツを振るい、ヴィレイサーの接近を許さないが、彼は左腕の義手を活かして一閃を封じる。


「なっ!?」

「おおぉっ!」


 義手を隠していた事は卑怯かもしれないが、それでもヴィレイサーは攻撃の手を緩めない。コテツを掴み、それを引っ張る事でルフト自体を引き寄せると同時に、足刀蹴りを腹に叩きこむ。


「ぐっ…は……!?」


 まるで、突き刺さった鉄柱に自ら突っ込んだような攻撃に、ルフトは呻く。その隙に、ヴィレイサーは畳みかけた。頭を掴んで膝蹴り。そこから、踏鞴を踏んで蹌踉めくルフトに対し回し蹴りを入れ、更に掌底で顎を下から突き上げた。


「うっ……く、う……」

「は、あ……はぁ……」


 更なる追撃をしようとしたヴィレイサーだったが、ルフトから受けた連撃で予想以上のダメージが蓄積され、動きを止めてしまった。


「まさか……義手とはね」

「卑怯な真似をして、すみません」


 口を切ってしまったのか、ルフトはそこから零れた血を粗く拭う。


「卑怯とは思わないさ。手の内を見せないのは、こと戦いにおいては当然のことだ」


 ルフトは笑みを浮かべ、ヴィレイサーを責めたりはしなかった。


「それに……メイヤの前では無様な姿は晒せないだろ。“お互いに”な」

「御尤も」


 ルフトは背を向け、ヴィレイサーから少し離れた位置で足を止め、振り返る。


「しかし、そろそろ終いとさせてもらうよ」

「ッ!」


 笑んでいるルフトの威圧が一気に吹きあがり、ヴィレイサーを襲う。


「………」


 静寂が、風に舞う木の葉に合わせて音を奪っているようだった。

 だが、ひしひしと感じざるを得ない、ルフトの覇気。それが一瞬だけ、ふっと弱まった。その所為で、ヴィレイサーも思わず気を緩めてしまう。


「しまっ……!?」


 その好機を待ち構えていたルフトは、あっという間に剣の間合いにヴィレイサーを入れこみ、コテツを振るう。慌てて、ヴィレイサーは義手である左腕を伸ばそうとするが、ルフトはコテツを鞘に収めたまま義手を突き、左腕の到達を許さなかった。

 重い義手が、コテツに突かれた事で思い切り後ろに運ばれ、ヴィレイサーもそれに引っ張られる。

 追撃してくると睨んだヴィレイサーは、足をルフトに引っ掛けようとするが、逆に、それを利用するルフトが、ヴィレイサーが足を伸ばした瞬間、軸足を蹴り飛ばす。

 更に体勢を悪くさせられたヴィレイサーは、必死に踏鞴を踏んでなんとか立った姿勢を維持しようとするが、それが誤りだった。


「五連……燕!」


 先に放った『燕返し』とは違い、5回の連撃がヴィレイサーを完全に捉えた。


「がっ!?」


 5回の太刀筋を全て喰らわされたヴィレイサーは、短い声を上げて両膝を大地に着いてしまう。このまま倒れれば、どれだけ楽になれるのだろうか……そんな事を考えてしまった彼だったが───


「ヴィレイサーさん!」


 ───メイヤの叫びが、自分の名を呼んでくれた声が、彼の意識を辛うじて繋ぎとめた。


「驚いたよ。本気ではないとは言え、まさか、倒れないとはね」


 ヴィレイサーは両膝を着いたまま、しかしそこから身体を倒したりせずに不動を貫く。そんな彼の姿に、ルフトは驚嘆した。


「メイヤの……総、てに………なりたい……です、から」

「メイヤの総て?」


 限界なのだろう。途切れ途切れに発した声は、今すぐにでも失われてしまいそうだった。だが、ヴィレイサーはそれに構わず続ける。


「メイヤにとって、俺が……拠に、なれば…いい。
 拠、じゃなくても……少し、でも……彼女が安らげるの、なら!」

「何故、そうもメイヤの居場所に……総てになりたいと願う?」

「理由なんて、ありません。
 ただ、メイヤを……愛して…いますから」

「ヴィレイサーさん……!」


 ヴィレイサーの言葉はメイヤの耳にも届いていたようで、彼女はギュッと結んでいた手をゆっくりと解いていく。


「君が如何に本気なのかは、よく分かった。だが、これも戦いだ」


 最後の一刀にてヴィレイサーの意識を刈り取ろうと、ルフトはコテツを振りかざす。それがまさに、ヴィレイサーに当たる瞬間───


「私が……幸せになれる場所だと……そう、思ったんです」


 ───メイヤの凛とした声が、風に乗って2人の耳に入った。


「メイヤ?」


 ルフトは、コテツを振るおうとした手を止めて彼女の言葉に耳を傾ける。


「お父様……ヴィレイサーさんの良い所を全て説明するのには時間がかかってしまいますが、これだけはハッキリと言えます」


 閉じていた目をゆっくりと開き、メイヤは静かに、しかし彼女の言葉は何故だかしっかりと耳に届いた。


「ヴィレイサーさんの隣が……私が、幸せになれる場所なのだと」


 メイヤは真っ直ぐにルフトと、そしてヴィレイサーへ視線を向けた。


「…ふっ。 その言葉が、聞きたかった」


 ルフトは微かな笑みを見せ、コテツを鞘に戻した。


「認めよう」

「え?」


 唐突に告げられたルフトの言葉に、メイヤは思わず間の抜けた声を出す。


「認めると言ったのだ。メイヤ、彼と共に生きなさい」

「は、はい!」


 メイヤはパッと笑顔になり、ヴィレイサーの方を向いた。


「メイ……ヤ」


 その瞬間、ヴィレイサーは意識が遠のくのを感じた。


「────────!」


 メイヤの声が、かなり遠くで聞こえた気がした。





◆◇◆◇◆





「…っん」


 何かの温もりを感じて、ヴィレイサーは重たい瞼を開く。その瞳が最初に捉えたのは、身体からせり出す様に出てきている、豊満な胸だった。


「あ、ヴィレイサーさん、起きたんですね」

「メイヤ……?」

「はい」


 ヴィレイサーの呻き声が聞こえたのか、メイヤはひょっこり顔を出し、笑顔を見せた。


「そ、そうだ! ルフトさんとの戦いは……ツゥ!」

「きゅ、急に起き上がっては……」


 いきなり身体を起こしたヴィレイサーは、走った痛みに頭を押さえる。その手には、包帯の感触があった。

 メイヤは、身体を起こした彼を支えながら隣に移動させる。


「お父様との戦いは、終わりました。私達の事を、認めて頂きましたよ。」

「そう……か」


 柔和な笑みを浮かべて説明してくれた彼女に、ヴィレイサーは笑い返しながら安堵の息を漏らした。

 ルフトとの戦いが限界だったのか、ヴィレイサーの記憶は曖昧になっていた。


「これで……私達、ずっと一緒に居られるんですよね」


 ヴィレイサーに負担をかけてしまうが、メイヤは彼と共に壁に身を預け、そして彼の腕に身を寄せる。シャンプーの仄かな香りが漂い、ヴィレイサーの気分を落ち着かせてくれる。


「あぁ……ずっとだ。ずっと、一緒だ」


 隣に寄り添ってくれたメイヤを抱き締め、彼女と視線を絡める。


「メイヤ」

「ヴィレイサーさん」


 何かを確かめる様に相手の名を呼びあい、そして、どちらもともなく顔を近付ける。2人の唇が重なると思った、その時も時───


「メイヤ、いいかね?」


 ───ルフトの声が部屋に響き、ヴィレイサーとメイヤは文字通り飛び上がりそうに驚く。


「は、はい」


 慌てて身体を離し、メイヤは返事をする。それからすぐに襖が開かれ、ルフトとハーコットが入ってきた。


「おぉ、ヴィレイサーも目を覚ましたか」

「はい」


 居住まいを正し、ヴィレイサーが正座をすると、ルフトとハーコットもその場に正座する。


「では、改めて伝えよう。メイヤを……娘を頼むぞ」

「はい」


 ルフトは頭を下げて、メイヤとヴィレイサーの婚約を認めた。彼の胸中は、誰にも計り知れないだろう。妻であるハーコットにも、娘であるメイヤにも。

 ヴィレイサーははっきりと返事を返し、そして自らも頭を下げる


「必ず、メイヤを幸せにします」

「あら、それだけではダメですよ」


 ヴィレイサーの決意表明に、ハーコットは微笑しながら首を振る。


「メイヤだけではなく、貴方も……2人で一緒に、幸せになってくださいね」

「お母様」


 ハーコットの言葉にメイヤは顔を綻ばせ、ヴィレイサーの方を見る。と、彼も丁度、メイヤの方を向いた。

 顔を見合わせ、頷いてから2人は同時に口を開いた。


「「はい」」





◆◇◆◇◆





「もう少し、ゆっくりしていってもいいんじゃないか?」

「ですが、リカちゃんも待っていますし……なにより、無理を言った身ですから」


 ヴィレイサーが充分に休息を取れたと判断したところで、メイヤは隊舎に戻ると言い出した。


「それはそうだが……」


 メイヤの進言に、ヴィレイサーは難色を示し、もう少しゆっくりしていくべきだと言うが、彼女は頷こうとはしなかった。


「まぁ、メイヤがそれでいいのなら、俺も従うよ」


 このままでは平行線を辿るだけなので、ヴィレイサーが折れた。


「ふふっ、メイヤには敵わない様ですね」


 2人の様子を見ていたハーコットはそう呟き、彼女の隣に居るルフトも同様の表情をしていた。


「それでは、お母様、お父様。行って参ります」

「あぁ」


 メイヤに簡潔な返事をしただけで、ルフトは踵を返して家の中に戻ってしまった。


「やっぱり、怒っているんでしょうか……」

「違うわ、メイヤ。ルフトさんはただ、寂しいだけよ」


 ルフトの態度に、メイヤは不安そうに呟くが、ハーコットは彼の心情を悟り、笑っていた。


「だから、たまには声を聞かせてあげてね」

「はい、お母様」


 安堵し、メイヤは即座に頷いた。


「あ、ヴィレイサーさん、ちょっと」

「はい?」


 ハーコットに呼ばれるとは思っていなかったのか、ヴィレイサーは戸惑いながらも彼女の傍に向かう。


「何でしょうか?」

「よろしければ、無事に隊舎に帰宅できた事をこちらへ伝えてもらうよう、メイヤに促して欲しいんです」


 ハーコットは、メイヤに聞こえないくらいの声でヴィレイサーにそう頼んだ。


「直接的に言って頂いても構いません。あの子は、ヴィレイサーさんの事を寵愛している様ですから」

「分かりました」


 ヴィレイサーがそれを承諾すると、ハーコットは笑みを浮かべ、懐から1枚の写真を取り出す。


「これはお礼です」


 それを素早くヴィレイサーの懐にしまい、ハーコットは彼から離れた。


「あまり長話をしていると、メイヤが妬いてしまいますからね」


 今度はわざとらしくメイヤに聞こえる声量で言う。


「お、お母様!」


 メイヤは顔を真っ赤にしてヴィレイサーの腕を掴む。


「なんの話をしていたのですか?」

「メイヤの事をよろしくって言われたんだよ」


 上目遣いに問うてきた彼女の頭を優しく撫でてから、ヴィレイサーは改めてハーコットに頭を下げた。





◆◇◆◇◆





「ただいま」

「お姉ちゃん!」


 メイヤと共にはやてに報告を済ませた後、ハーコットに言われた通りルフトに連絡をした。やはりハーコットの言う通り寂しかったのか、彼はメイヤからの連絡に嬉々していた。

 その後、割り当てられた隊舎に戻ると、リカがメイヤに抱きついてきた。


「リカちゃん、いい子にしていましたか?」

「うん!」


 元気よく頷く彼女に、メイヤもヴィレイサーも頬を緩めた。


「お兄ちゃん、どうして怪我してるの?」

「あぁ、ちょっと仕事でな」


 見上げてくるリカの首が疲れてしまわぬよう、膝を折って身を屈める。


「じゃあ……痛いの痛いの、とんでいけ〜」


 ヴィレイサーが痛がらない場所を撫でながら、リカはおまじないの様に唱えた。


「ありがとう、リカ」


 一瞬だけ呆けたヴィレイサーだったが、すぐに笑みを浮かべ、リカを優しく撫でた。





◆◇◆◇◆





「ヴィレイサーさん」

「うん?」

「…いえ、なんでもありません」


 ヴィレイサーに後ろから抱き締められているメイヤは、彼の名前を呼んで、しかしそれだけに留まった。


「これからは、ずっと一緒……なんだよな?」

「えぇ。ずっと、一緒です」

「なんだか、実感が湧かないな」

「私もです」


 ヴィレイサーが苦笑い混じりに言うと、メイヤもそれに同意した。


「いつも一緒だって、何度も言ったからかな?」

「そうかもしれませんね」


 付き合い始めてあまり日も経っていないはずなのに、何故か『ずっと一緒に居る』と言う事が2人の中では当たり前になっていた。だから、こうしてメイヤの両親に認めてもらえたにも拘わらず、2人は大喜びしたりはしなかった。


「これからは、俺の隣には君が居てくれるんだな」

「はい。 同時に、私の隣は貴方にしか捧げませんから。 私を、離さないでくださいね?」

「もちろんだ。 君も、俺を離さないでくれ」

「はい」


 メイヤの事が更に愛おしくなり、ヴィレイサーは彼女を抱き締めている腕をほどく。すると、メイヤはそれが意図する意味が分かったのか、ヴィレイサーの方を向いた。

 瞳が──視線と視線が絡み合い、互いに吐息すら感じられるほど顔を近付けていく。

 そして、2人の唇が重なる───


「何してるの?」


 ───前に、リカが声をかけてきた。


「「な、なんでもないよ!」」


 慌てて互いの顔を離し、2人は揃ってリカに愛想笑いを見せる。


「いいなぁ、お姉ちゃん。リカもお兄ちゃんにギュッてしてもらいたい」


 羨ましそうな視線を向けてくるリカに、ヴィレイサーは手招きする。


「ほら、これでいいか?」

「うん♪」


 ヴィレイサーの身体にすっぽりと収まる様にリカは抱き締められた。


「むぅ……」


 その睦まじい光景を見せられたメイヤは、不本意ではあるがヤキモチを妬いてしまう。せっかく結婚が認められたのだから、ヴィレイサーを独占したい気持ちが抑えきれなかった。


「わ、私もギュッとして欲しいです」

「お姉ちゃんも温かいね」


 ヴィレイサーに抱き締めてもらおうと、メイヤはリカを間に挟んだ状態で彼に抱きつく。

 流石に、リカが息苦しくならない様に考慮はしている様だ。


「リカ、苦しくはないか?」

「うん、だいじょぶ」


 ヴィレイサーの胸に顔を埋めていたリカは視線を彼へと向けてから答えた。しかし、その眼はどこか眠たそうだった。


「少しお昼寝しようか」

「うん」

「はい」


 ヴィレイサーがそう提案すると、リカとメイヤは頷き返してからあっという間に寝付いてしまった。次いで、ヴィレイサーも目を閉じて眠る。

 そこにいるのは、幸せにお昼寝をしているヴィレイサー達──否、“家族”だった。





◆◇◆◇◆





「…っと、寝過ぎたかな」


 ヴィレイサーが次に目を覚ますと、そろそろ日が傾き始める時間だった。

 ふと、自分に抱きついている2人の少女に目をやると、どうやらまだまだぐっすりと眠っている様だ。2人を起こさぬ様にゆったりとした動作で身体を動かし、手近にあった毛布をかけてやる。

 安堵しきっているメイヤとリカの寝顔を見て、ヴィレイサーは自然と頬を緩めた。

 忍び足でその部屋を出ていき、とりあえず風呂掃除を先にやっておく事にした。


「イツツ……」


 時折、手足や顔面に痛みが走り、掃除の手をあっさりと止めさせられる。


「ルフトさんはまだまだ元気なんだろうなぁ」


 余裕のあったルフトはきっと、未だに元気が有り余っているだろうと考えていると、ハーコットから『お礼』と言って渡された物がある事を思い出す。


「写真みたいだったが……」


 中身を確認する機会がなかったので、今の今まで忘れていた。


「後で謝辞を伝えないとな」


 どんな物にせよ、頂き物に変わりはない。謝辞を述べるのは当然だろう。

 風呂掃除も終わったので、ハーコットから貰った写真を見に行った。夕食を作るにはまだ時間が早いし、する事もないのだ。


「これだな」


 服から取り出して、その写真をまじまじと見詰めてしまった。


「これ……メイヤ?」


 そこに写っているのは、とても小さな女の子だった。今のリカと歳が近い風に見える。一瞬、誰だが分からなかったが、メイヤの面影があるのは間違いなかった。


「可愛いな」


 写真のメイヤは、撮影者の方をしっかりと向いて笑顔だった。それが可愛くないはずがなく、ヴィレイサーはついつい、それを眺めてしまう。


「ヴィレイサーさん♪」

「うわっ!?」


 その時、いきなり声がかけられ、更に後ろから唐突に抱き締められたヴィレイサーは驚いてしまう。どうやら、随分と写真に集中していた様だ。


「ふふふ、ビックリしましたか?」

「あぁ、かなり」


 声をかけてきたのがメイヤだと分かると、深い溜息を吐いた。


「何を見ているん、です……か……」


 ヴィレイサーが見ていた物に興味がいったメイヤだったが、彼の手にある写真に写っているのが、幼い頃の自分だと気が付くと、慌ててそれを奪おうとする。


「ど、どうしてヴィレイサーさんがその写真を!?」

「ほら、ハーコットさんと話していた時があっただろ? その時、彼女から頂いたんだ」


 メイヤの手が写真に伸びたのを見て、ヴィレイサーは自分の腕をピンとまっすぐに伸ばして彼女から遠ざける。


「お、お母様ったら……」


 明確に断言は出来ないが、恐らく今、メイヤは頬を赤くしている事だろう。声色からそう判断できる。


「と、ともかく、返してください!」

「何で? こんなに可愛いのに」

「は、恥ずかしいですから」

「そんな恥ずかしがる写真じゃないと思うけど」


 メイヤが右に手を伸ばせば、ヴィレイサーは写真を左に。左に手を伸ばせば、今度は右に。完全にメイヤで遊んでいるが、彼女が必死になる所がまた可愛らしかった。


「えいっ!」

 ヒョイ─────。

「むぅ……やっ!」

 ヒョイ─────。

「ふんっ!」

 ヒョイ─────。


 時折聞こえる彼女の掛け声に、ヴィレイサーは笑った。やっぱり可愛い──ついつい、そう思ってしまう。


「むぅ〜……不公平です」


 写真が取れないと判断すると、メイヤは口を尖らせてヴィレイサーにある事を提案する。


「ヴィレイサーさんの子供の頃の写真を見せてくれたら、諦めます」

「えぇー……」


 メイヤの提案に、ヴィレイサーは逡巡する。

 この写真を彼女に渡した場合、2度と拝める機会はないと考えた方が良いだろう。だが、だからと言って自分の子供の頃の写真を見せるのも気が引ける。


(まぁでも、俺だけメイヤの小さい頃の写真を見たっていうのは不公平か)


 決して、メイヤのこの写真が欲しいと言う訳ではないと自分に言い聞かせ、ヴィレイサーは「分かった」と、自分の写真を見せる事を承諾した。


「ほら、これだよ」

「これが、ヴィレイサーさん……?」


 渡された写真を、メイヤは食い入る様に見詰め、一言呟く。


「可愛いです」

「言うな……!」


 子供の頃のヴィレイサーは、中性的な顔立ちと長い髪が特徴的で、初見の者は大体が「可愛い」と評するのだ。それはメイヤも例外ではなく、彼女の下した評価に、ヴィレイサーは肩を落とした。


「でも……今はこんなにも素敵な男性です」


 ヴィレイサーが気落ちした事に気が付き、メイヤはそっと、彼の頬に手を当てる。


「世界で一番、カッコイイ殿方ですよ」


 メイヤはそう言って、ヴィレイサーと唇を重ねた。


「そう言われたら、その写真、取り返せないじゃないか」

「そんなつもりはないんですが……でも、頂けるのなら、是非」


 玲瓏な夕陽に照らされたメイヤの笑顔はとても美しく、可愛らしいものだった。


「分かった。それの処遇はメイヤに任せるよ」


 肩を竦め、ヴィレイサーは写真の今後を彼女に任せた。





◆◇◆◇◆





「イツツ……」

「もう少し、じっとしていてください」


 夕食を終えた後、リカを寝かせてからヴィレイサーはメイヤに傷を治療してもらっていた。ルフトとの戦闘で受けた傷は未だに痛みを残していた。


「すみません、お父様が」

「メイヤが謝る事はないよ。君を寵愛していたんだって、よく分かったし」


 平謝りに謝ってきたメイヤに、ヴィレイサーは笑みを見せながら続ける。


「一人娘だったんだし、ルフトさんが気にかけるのも、無理はないと思うよ」

「そうですね。それに、これからはヴィレイサーさんもいますしね」

「あぁ、そうだな」


 治療を済ませた後、メイヤは彼の肩に頭を乗せる。


「離しませんからね、ヴィレイサーさん」

「俺も、メイヤを離さないよ、絶対に」


 程なくして、2人はどちらともなく唇を重ねた。これから始まっていく伴侶としての道は、どうしようもなく不安で、怖い。

 だが、ヴィレイサーと一緒なら………。

 メイヤと一緒なら………。

 絶対に、歩き続けられる──そう断言出来た。


「メイヤ……君が、欲しい」


 ヴィレイサーは、メイヤを抱き締めながら言う。


「…私も、ヴィレイサーさんが欲しいです」


 彼の愛慾に、メイヤは惑わずに応えた。好きな人を独占したい気持ちは、互いに大きく膨れ上がっていた。


「一緒に、生きよう」

「はい。 ずっと、一緒です」




















「ん……」


 ふと、懐かしい夢を見ていた気がする。懐かしいと言っても、そんなに昔の事ではないのだが、とても大切な記憶だった。


「どうしたんですか?」


 自分が目を覚ました事に気がついたのか、艶やかな漆黒の髪を揺らし、妻がそっと彼の顔を窺う様に近づいてきた。


「いや、少し……長い夢を見ていただけだよ」


 たおやかな仕草で手を伸ばしてきた彼女の手を取り返し、彼は立ちあがる。2人の視線の先には、楽しそうに笑顔を絶やさない少女が遊んでいた。

 彼女もまた、彼が目を覚ました事に気がつき、笑顔で手を振ってくる。その彼女に手を振り返し、彼は自身の妻の方に視線を向ける。


「なんですか?」

「いや……ずっと、一緒なんだなぁと改めて思ってさ。
 君を俺の伴侶として認めてもらえて……その時の夢を、さっきまで見ていたから」

「そうだったんですか」


 自分達の婚約が認められた時の事を思い出したと話すと、彼女は柔和な笑みを浮かべた。


「これからも、俺達2人で幸せになっていこう」

「はい…ありがとうございます」


 自然と彼女の手を握る、自分の手に力が籠る。しかし、彼女はそれに惑わず握り返した。


「ですが1つだけ……幸せになるのは、リカちゃんや……この子も一緒です」


 その言葉と共に、彼女は夫の手を、自分のお腹に静かに置く。互いの指に嵌められた指輪が、美麗な光を魅せた。


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