小説
Episode 15 変化
「…はぁ、ようやく終わった」
夜──それも、深夜と言っていい時間になって、ようやくヴィレイサーは書類を仕上げた。
「あー……面倒だ」
デスクワークはあまり向いていないようだ。流れ作業を淡々とやっていくのはあまり苦ではない。ただそれが長時間、しかもただキーボードを打ち続けるだけと言うのは流石に辛い。音楽を聴きながら──なんてのは言語道断だろう。他の職員の妨げになってもいけない。
「お茶でも飲むか」
「あ、兄さん」
纏めた報告書をゲンヤに送信して、席を立ったところで妹のギンガが声をかけてきた。終わるのを待っていたのか、はたまた偶然か。どちらにせよ、1人でいるよりはましだったのでありがたい。
「終わったの?」
「今しがた、な」
「じゃあ、お茶でも飲む?」
「あぁ」
「それじゃあ、私の部屋に行こうよ」
「ギンガの?」
「うん」
思わぬ誘いだった。もう深夜に近い。お茶ぐらいなら、適当にどこかの自動販売機で済ませた方がいいと思っていただけに、ギンガの誘いは意外だ。
「明日、フェイト執務官がいらっしゃるから、新しい茶葉を買ってきたの。
そのついでに、兄さんの好きな茶葉も一緒に」
「そうだったのか」
「ほら、もう夜遅いんだから早く行こうよ」
「ん、あぁ」
ギンガに手を握られて、思わずドキッとする。
(妙、だな……)
以前までなら然程意識することはなかったはずなのだが、急にギンガが妹ではなく女性に見えてきた。
(ったく、Eのせいだな)
先日、思わぬ再会を果たした相手、E。彼女は自分と同じ戦闘機人で、つい先日十数年振りに再会を果たした。彼女にギンガのことを恋人かと問うてきた時は驚いたが、恐らくそれが原因だろう。
(ギンガが恋人、か)
手を引いて、前を歩く妹分。自分と同様にまっすぐに伸ばされた艶やかな髪。筋肉のついたしっかりとしている身体つき。柔らかい頬や円らな瞳と整った目鼻立ち、そして潤っている桜唇。もし彼女が恋人だったら、きっと毎日が幸せだろう。
(いや、別に今の状況に不満がある訳じゃないが……)
頭を振って、自身の考えを改める。
(Eに気づかれていないといいんだが……)
Eはいつも鋭い。それが羨ましい反面、厄介だ。ギンガが戦闘機人だと知られたら、恐らく彼女は“ギンガを殺そうとする”だろう。
(その時、俺は……どうするのかな)
ギンガを守るため、Eを手にかけるか。それとも、Eに賛同してギンガを葬るのか。どちらにせよ、自身の手を血染めにすることは避けられないだろう。最善の道は、Eと敵対して、彼女を倒さずに説得する──それが、最も良い選択だ。きっと───。
「…兄さん?」
「え?」
「どうか、した?」
振り返ったギンガが、不安気に見詰めてくる。いつの間にか、彼女の手を強く握ってしまっていたようだ。
「…いや、なんでもない。大丈夫だ」
内に秘めた気持ちは、決して口に出してはいけない。そうしたら自分は、ギンガの兄でいられなくなるのだから───。
「そういえば……」
ギンガの部屋に到着して、適当な場所に座す。お茶を淹れながら、ギンガはふと思い出す。
「あの人の連絡先、兄さんは分かる?」
「Eのことか?」
「うん。名前、考えたから」
「そういえば、そんなことを決めていたんだったか」
「シエナ……なんて、どうかな?」
ヴィレイサーは出されたお茶を一口飲んでから、「うん」とだけ返す。彼の一存では決めかねる。Eの意見も仰がねばならないだろう。
「まぁ、いいんじゃないか?」
「もちろん、本人に聞かないと分からないけどね。
それで、連絡先は……」
「…すまん。分からない」
「えっ!?」
思わず声をあげて驚いてしまった。てっきり連絡を取る術があると思っていただけに、落胆する。
「お前が名前を授けると言うから、Eの連絡先を聞いていたと思ったんだが」
「私は、てっきり兄さんが既に聞いていると思っていたのに……」
「…まぁ、その内また会うさ」
「だといいけど……」
窓から星空を見上げ、ギンガは溜め息を零した。
◆◇◆◇◆
「兄さん、今から空いてる?」
「ん? あぁ、平気だが……何だ?」
「フェイト執務官とシグナム二尉が、仕事でこっちに来るんだ。
それで、兄さんにも手伝って欲しくて……」
「手伝いって……俺が? 何で?」
たかだか一介の傭兵である自分が、何故機動六課に所属している魔導師と会うのに同行しなくてはならないのだろうか。
「それが……スバルが、兄さんのことをみんなに話したみたいで……」
「それで?」
「シグナム二尉が、兄さんと手合せしたいって」
「…は?」
間の抜けた声を出すのがやっとだった。
「おいおい……俺はただの魔導師だぞ? そんなベテランと戦うなんて真っ平御免だ」
シグナムの噂は、少しだが耳にしている。機動六課にいる隊長陣は皆、精鋭なのだとギンガが話していたし、ヴィレイサーには荷が勝ちすぎているに違いない。
「でも、向こうはやる気満々みたいだし……」
「ったく……分かったよ。けど、不満を言うなって先に言っておいてくれ」
「うん」
ヴィレイサーが許可してくれたので、ギンガは「そろそろ時間だから」と言って先に歩き出す。その後に続きながら、ヴィレイサーは窓から夜空を窺う。昨晩も、こうしてギンガと一緒に歩いた。その時、兄として、家族として抱いてはならない感情が渦巻いたことを思い出し、溜め息を零す。
(疲れているのかな……)
一時の感情に流されてはならない。ましてや、憎しみを抱くなど。
「お疲れ様です、フェイト執務官、シグナム二尉」
108部隊の隊舎出入口まで行くと、2人の女性が立っていた。金色の麗しい髪をしたフェイト・T・ハラオウン。そして、凛々しい雰囲気のシグナム。どちらも初対面だが、フェイトの方は有名人なのでヴィレイサーにもどちらがどちらなのかすぐに分かった。
「どうかしましたか?」
「いや、なんでもない」
「あ、あはは……」
ギンガが問いを掛けたのは、フェイトの髪が乱れているから。苦笑いしているが、理由を話すことはないらしい。ギンガは2人を案内しつつ、その道中でヴィレイサーのことを紹介する。
「私の兄で、108部隊の傭兵を勤めています」
「ヴィレイサー・セウリオンです」
歩いているので、簡素な敬礼になるが致し方ない。それを苦言することはなく、寧ろ手で「敬礼は構わない」と無言に伝えてきた。
「あぁ、シグナム二等空尉だ」
「フェイト・テスタロッサ・ハラオウン執務官です」
それだけ言葉を交わすと、すぐにゲンヤが待つ部隊長室の部屋の前まで来た。
「…セウリオン」
「はい?」
「ギンガから既に聞いていると思うが、後程模擬戦をお願いしたい」
「生憎と、お眼鏡にかなうほどの力量は持ち合わせていませんが……」
「なに。それは私が判断する。気負わず、全力でかかってきて構わない」
「…分かりました」
溜め息は内心でのみ零す。シグナムとフェイトが部隊長室に入った後、ヴィレイサーは扉が閉まりきってから改めて溜め息をついた。
「どうしてこうなったんだか……」
「あ、あははー……」
恨みがましくギンガを見ると、彼女はさっと視線をそらしてしまう。主な原因はスバルなのだが、断らなかったギンガにも困ったものだ。
「だ、大丈夫だよ! 私が兄さんを全力で応援するから」
「応援より、増援をお願いしたいよ」
「そ、それはちょっと……シグナム二尉、凄く強いって話だし」
「まぁ、雰囲気でそんな感じしたな」
「フェイト執務官と同じぐらいだって聞いたよ」
「それって、強いかどうか分からないんだが……」
「あれ? フェイト執務官のランクって知らないの?」
「知らん」
「空戦S+だよ」
それを聞いた瞬間、ヴィレイサーは思わず硬直してしまった。対してギンガは、話さなければ良かったと確信する。
「…これから、任務に出向く」
「ダーメ!」
逃走を図ろうとするヴィレイサーの腕を掴み、ギンガは逆方向に引っ張る。だが、その力は思いの外強すぎた。まだ助走に入ろうとしている段階だったヴィレイサーに対し、ギンガは逃がすまいと強く力を込める。それがいけないと分かった時には、既にヴィレイサーの顔が目の前にあった。
「「あ……」」
互いに、同じタイミングで小さく呟く。吐息が漏れ、甘いシャンプーの香りが鼻孔を擽った。
「わ、悪い」
「う、ううん。私が、強く引っ張っちゃったから……」
「け、怪我は?」
「大丈夫。に、兄さんは?」
「ん、あぁ。俺も、平気だ」
言葉をかけあっている内に立ち上がればいいものを、互いに意識してしまってそんなことにまで頭が回らない。そうしている内に、段々と人垣ができていく。最初から見ていたのならまだしも、ヴィレイサーが倒れた理由を知らない者から見たら彼がギンガを押し倒したようにしか見えないだろう。
「あれ、ギンガ?」
「何だ。2人ともまだここにいたのか?」
その時、部隊長室の扉が開かれる。開閉する音がした瞬間、ヴィレイサーとギンガは光の速さで立ち上がり、距離を取っていた。2人とも、自分たちがあんなに素早く動けるとは思ってもいなかったので、苦笑いして誤魔化す。
「す、すみません。今すぐ訓練シムの準備をしてきます!」
「あ、ギンガ?」
慌てて頭を下げ、早々に走り出すギンガ。それを追いかけることは出来ず、取り残されたフェイトとシグナムは顔を見合わせ、次いでヴィレイサーを見る。
「と、とりあえず、訓練シムにご案内します」
「あ、うん。お願いします」
一礼して、ヴィレイサーが歩き出す。その後に続きながら、フェイトはシグナムに念話を送る。
《ギンガとヴィレイサーって、兄妹って聞いたけど……》
《確かに、あまり似ていないな》
《それより……ヴィレイサー自身も言っていましたけど、彼に過度な期待をして苛めてはダメですよ?》
《分かっているさ》
念話をそれで終わりにすると、今度はヴィレイサーに話しかける。
「ヴィレイサーは、ギンガとスバルに懐かれているんだね」
「えぇ、まぁ。
情けない兄で、2人に迷惑がかかっていないか心配ですが」
「スバルは、二言目に必ず君のことを話すほどだ。迷惑など、感じていないだろう」
「ギンガも、きっと同じだよ」
「そうだといいのですが……」
「あ、ごめんね、無責任なことを言って……」
「いえ」
平謝りに謝るフェイトに苦笑し、ヴィレイサーは訓練シムの前まで案内する。
「ギンガ、準備はできたか?」
「うん」
「すまないな、急なお願いをしてしまって」
「いえいえ。兄さんにもいい刺激になると思いますから。
いつも『身体が鈍って仕方がない』って言っていましたから」
「余計なことを言うな」
ギンガを制し、ヴィレイサーは愛機のエターナルを起動させる。得物は太刀。肉弾戦を仕掛ける可能性も暗にシグナムへ伝えるため、両手には既にリボルバーナックルと酷似した、彼専用のナックルであるリボルバーハデスが装着されていた。
「長物だけでなく、肉弾戦もこなすのか」
「えぇ」
シグナムも愛機のレヴァンティンを構え、ヴィレイサーと対峙する。1度鞘に収め、間合いに捉えたらいつでも抜刀できる体勢をとると、ヴィレイサーは怯まずに走りだした。
「はぁっ!」
「ふっ!」
上段から斬りかかるヴィレイサーに対し、しかしシグナムは僅かに身体をずらすことで躱し、下段から上へ向かって抜刀する。素早く左手で受け止め、しばしお互いの膂力を拮抗させる2人。
「早く動けるようだな」
「少しは、ですが」
一言二言を交わして、2人は同時に相手を蹴り飛ばす。僅かに魔力が込められた蹴り。ヴィレイサーの方が強く、シグナムはそれを機敏に感じ取り、愛機に命ずる。
「レヴァンティン!」
《Schlange Form.》
連結刃に切り替え、ヴィレイサーの体勢が整いきるより早く振るい、動きを制限する。
「何故、そうも自分を卑下する? 君には誇れるだけの力があるはずだ」
「買い被り過ぎですよ」
連結刃が一斉に周囲を狭めてくる。ヴィレイサーにいつあたってもおかしくない状況になった瞬間、2人は動き出した。
(離脱されたか)
レヴァンティンを介しても、何の感触もなかった。シグナムは連結刃を解除し、シュベルトフォルムに戻す。
「はあぁっ!」
シグナムの直上まで移動していたヴィレイサーが、即座に斬りかかる。
「甘い!」
彼の一太刀を受け止めたのは、レヴァンティンの刀身ではなく鞘だった。魔力を纏わせたそれは、込められた勢いを全て相殺しきるほどの防御力をもつ。
「どうやら、買い被り過ぎでもないようだな」
「お褒め頂き、光栄です」
再び距離を取り、互いにカートリッジを1発消費する。シグナムの刀身が、魔力変換資質の1つである炎熱によって炎を纏う。それに対して、ヴィレイサーの刀身は黒い光を宿し、次第に光が逆巻いていく。
「紫電……!」
「衝破……!」
振り被り、肉薄して全力をぶつけ合う。
「「…一閃!」」
2つの衝撃波が、訓練シムを大きく振動させた。
「よもや、最初に合流してくれる方が貴方だったとは思いもしませんでしたわ」
薄暗い、小さな酒場。そこにお酒を飲みに来た1人の女性に、男のバーテンダーはカクテルを差し出す。客は彼女だけ。
「ゼロ計画が果たされるべきかどうか……それは私にとってどうでもいいことだ。
それでも貴殿は、私を誘うのか?」
問うたのはバーテンダー。彼は傍らに置いてある1つの写真立てを眺めながら問う。
「別に、私もゼロ計画そのものを成就させようとなんて思っていませんわ。
私が欲しいのはたった1つ……愛しいRだけ」
「…そうか」
それだけ返し、男は空になったグラスを下げる。それに合わせて、女性は立ち上がった。翡翠色の髪を揺らし、彼女は1度目を伏せた。そして次に面を上げた時、その双眸は金色に変色していた。
「協力してくださること、感謝しますわ、D」
「こちらこそ、復讐の機会を与えてくれたのには感謝している」
「では、また」
「あぁ。…あまり飲み過ぎるなよ、S」
「ふふっ。私に意見できるのは、Rだけですわ」
DとSの2人は、誰も知らぬところで手を結んだ。
◆──────────◆
:あとがき
これ以上新しいキャラを増やしていくと回せない上に、読者の皆様にも覚えて頂けそうにないので、いい加減絞って行こうと思います。
とりあえず、増えてもあと3、4人のはず……(汗
今回、シグナムとフェイトがやってきた件ですが、なのはStS the Comics 02のEpisode-9から引用したものです。
ヴィレイサー側しか書いていませんが、ギンガがお茶に誘ったのは別に他意はないです。
兄妹として当たり前と思っているんでしょうね。
意外と、ギンガの中での恋人らしさと兄妹らしさの線引きは変なのかもしれません(笑
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