傍に居て下
まだ、離したくない。
離れたくない。
そう思って、腕に更に力を込めた。少し力を込めすぎたのか、彼が苦しそうにもがいていた。
それでも僕は力を緩めることは出来なかった。
「苦しいからさ、ちょっと力緩めてくれないか?」
それにお前の顔見て言いたいことがあるんだが。
彼がそう言ったが、僕は小さな声で「嫌です、出来ません」と言って、彼の柔らかな頭に顔を埋めた。彼の匂いがふわりと鼻孔を擽る。好きな匂いに包まれ、少し冷静さが戻る。
彼の匂いはもはや僕の安定剤のようなものだ。
遠くでクラクションの音が聞こえる。
そういえばここは路上だったか。
そんなこと、関係ない。
立場も身分も、今は暗闇が隠してくれる。
「……貴方が、」
今なら言えるかもしれない。
いつもは言えない言葉を。
「好きなんです、別れたくないです」
声が少し震えていたのに彼が気付かなければ良い。
彼の次の行動を恐れているなんて、気付かれたくない。
「あのさぁ古泉、おまえこのタイミングでそれ言うのか」
いい加減ツッコむのも疲れるんだが。
それともあれか、振られてしまうなら言いたい言葉は全部言っておけということか。
しかもお前、何で俺がここにいたと思ってるんだ。
お前の家からもだが、俺の家からも結構距離あるんだぞ。
彼はそれだけを一気にまくし立てるように言ってから、再度僕に力を緩めるように言う。
今度は素直に力を緩めた。
なんてみっともないのだろうか。あんな、まるで駄々をこねる子供みたいに。
力を緩めると、彼は真っすぐ僕を見据えた。
苛々しているように見えるのは気のせいではないだろう。
すみませんウザったいということは自分でも痛いほど理解しています。
「俺、今日ここにきたのお前と同じ理由なんだが」
「はい?」
意味が解らなくて、首を傾げると彼の眉間の皺がまた一本増えたみたいだ。
これは、苛々というよりは照れ隠しなのではないだろうか。
仄かにだが彼の頬に赤みが指しているように見える。
暫くあー、とかうー、とか言っていた彼だったが、決心したように僕を見た。
その瞳に迷いの字は、いっそ清々しいほどに全くない。
「だから、俺もお前に振られる夢見たんだ。んで、頭を冷やしに歩いていたらここにたどり着いたって訳だ。理解したか」
…………はい?
言葉は理解できたが、内容が少しも理解できなかった。
僕に彼が振られる夢?
ありえない。こんなに彼が好きなのに。
彼とともになら世界と心中してもいいくらい好きなのに。
僕が彼を振るなんてそれこそない話だ。そもそも好きでなければ、抱きしめたりキスしたりなんてしない。
好きでなくとも付き合うことは出来るけど、せいぜい許せて手を繋ぐまでだろう。
「つーかさ、お前より俺のほうが正夢になる確率高いんだぞ。お前から好きって言葉初めて聞いたんだが」
確かに考えてみれば、抱きしめたりはよくしていたけれど、愛の言葉を囁いたことはなかったかもしれない。
彼からは稀にではあったが「好き」と言われたことがあった(片手で足りるけれど)。
随分行動で示していた気でいたから、気付かれていたと思っていた。僕が彼をどれくらい好きなのかということ。
だけど考えてみれば確かに全くそういった言葉を囁かれなかったら、不安になるだろう。言われていても不安になるくらいなんだから。
「ごめんなさい、大好きです」
「解ったから、もう言わなくて良いって」
彼を見れば微笑みがそこに。
滅多に笑わない彼のそれはとても美しく、いつまでも見ていたいと思う。
見惚れて阿呆面を彼に晒してしまって、笑われた。
僕も、嘘の笑いではない笑いを顔に浮かべた。
「ところでこれから僕の家に着ませんか?」
「明日は学校だぞ馬鹿」
返ってきたのはそんな言葉と暖かい手。
……これは、OKということだろうか。
「明日は早起きしましょうね」
「ああ」
行きは一人、帰りは二人。
夢は、正夢にはならなかった。
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