[携帯モード] [URL送信]

忍びも歩けば棒に当たる
こわいこと


 さあさあと雨の降る昼過ぎに、螢火は図書室で書を繰っていた。照星が言うように学園の先生方をはじめ、施設や蔵書の程度は高く、少なくとも退屈することはない。ここに一年は組の騒がしい面々が加われば、毎日てんやわんやで平穏だと思う暇もない。
 思えば、同じ年頃の人間とああして大勢つるんだことがない。幼い頃は城の中で大勢の大人に囲まれ、長じて照星について歩いてからは誰かと深い関係を持つことすら珍しかった。流れもの同士身を寄せ合ったり、仕事で手を組むことはあっても、どれも一時的なものだ。
 照星が佐武衆に身を寄せることを決めたときは少しだけ意外に思ったが、人間というものはーーあの師でさえーー孤独ではいられないのだ。おそらくは。
 螢火も、師について佐武に腰を据えてからは、鉄砲撃ちの仲間も出来、虎若をはじめ忍術学園の子供たちに囲まれるようになり、なんだか人心地ついた気がする。生まれてこの方、こんなに人間らしく生きていることはないかもしれない。
 照星は流浪の最中に螢火を拾い、やがて自分の居場所を決めた。しかし螢火は佐武に残るか、まだ決めかねている。
 居心地が悪いわけではない。ただ、螢火が佐武に残ることを決めたわけではない。決めたのは照星だ。だから己は己の居場所を己で決めなければならない、と螢火は思っている。

 螢火は火縄銃が好きだ。玉薬を込め、口火を付け、火蓋を切れば、あとは引き金をひく瞬間を決めるのは自分だ。その可否はすぐに知れる。少なくとも、生きることよりはずっと単純だ。居場所を決めることよりも。

「螢火さん、」

 呼ばれ、螢火は視線を書物から上げた。

「三木ヱ門」

 螢火は少し湿気って感じる書物を閉じた。
 声の主は紫の装束を着ていた。学園が休みの時にしか会ったことがないから知らなかったのだが、随分と派手な制服である。
 田村三木ヱ門は、螢火の傍らに膝をつき、囁くように続けた。

「螢火さん、虎若から事の次第を聞きました。文を頂ければお迎えに参りましたのに」

 照星に師事している少年である。螢火の師の主の息子、という少々複雑な立場の虎若は、その幼さゆえの無邪気さで螢火をからかい、甘え、姉のように慕うが、三木ヱ門は螢火に兄弟子として常に一定の敬意を払ってくる。悪い気はしないが、どことなくむず痒い。

「急だったから、悪いね」
「螢火さんがいらしているのに挨拶も出来ず……虎若も早く教えてくれればいいのに」

 ごほん、と咳払いの音が図書室に響く。そちらを見ると、顔に目立つ傷のある少年が、壁の「私語厳禁」の貼り紙を指した。
 螢火は立ち、書物を書棚に戻すと、三木ヱ門に軽く合図する。三木ヱ門がついて来るのを確認して、廊下に出た。
 濡れ縁の端にぽつぽつと雨の染みが出来ている。雨はさして強くないが、風があり、雨粒が軒の下にまで吹き込んでいるようだ。

「今日はきっと当たらないよ」

 何が、とは言わないが。螢火の言葉に三木ヱ門は苦笑した。

「螢火さんは当てるでしょう」
「師なら当てるよ。私は外さないだけ」

 正確には、外れるときは撃たないだけだ。己の撃った鉛玉が初めて生きた人間の喉笛を裂いたときに、そう決めた。
 ときにそれが雇い主や同僚の神経を逆撫ですることもあるが、そもそも当たらぬ弾を撃つ理由もない。螢火が決めたことに、照星は口を出さなかった。だから螢火も改めなかった。

「三木ヱ門にも連絡すべきだとは思ったんだけど、勉強の邪魔をするのも嫌だったから」

 本当のところは、教育実習が決まってからこちらバタバタしていて失念していただけだが。
 三木ヱ門が、まさか! と首を横に大きく振った。

「邪魔だなんて思いません。螢火さんがいる間に、火薬の加減を教えてもらおうと思っていました」
「その暇があればいいけど」
「お忙しいのですか?」
「教生としては全く」

 ひんやりと涼しい廊下をあてど無く歩きながら答える。そういえば、名目だけの教生だって話は聞いた? と問うと、三木ヱ門は頷く。家の恥がどんどん広まっているようだが、いいのだろうか。

「教生としては暇なんだけど、私自身学ぶことも多いし、何よりーー」

 螢火は言葉を切る。廊下の向こうから、小さな影が三つ駆けてきたからだ。

「螢火先生、覚悟!!」

 掛け声とともに、金吾、団蔵、虎若の三人が螢火を取り囲む。

「覚悟ったって、何を?」

 螢火がそう尋ねると、団蔵がじりじりと前に歩を進めた。

「漢字テストの問題を教えないとーー」
「教えないと?」
「さもないとーー」
「さもないと?」

 団蔵ははたと胸の前に構えていた手を下ろした。

「か、考えてませんでした……」

 螢火が溜息をつき、何かを言う前に、三木ヱ門が三人の頭に次々拳を落とした。

「馬鹿者! 何をやりたいんだお前たちは!」

 頭を押さえてうずくまる三人を見て、螢火は、いたそぉと顔をしかめる。

「三木ヱ門、漢字の面倒くらい見てやりなよ。君の後輩、マジで少しまずいぞ」

 他にも色々まずいけど、と呟くと、三木ヱ門はがっかりと肩を落とした。それから、ぎっと虎若の方を睨む。虎若がぎくりと身を竦ませた。

「他の者はともかく、虎若! 兄弟子の螢火さんに失礼だろうが!」
「は、はい……」

 三木ヱ門に叱責されて虎若がしゅんとするのを見て、螢火は三木ヱ門を制止した。

「いいんだよ、今は教育実習生と生徒だからね。食うか食われるかだよ」
「……教生もそういうものではないでしょう」
「……たしかに!」

 しっかりしてくださいよ、と三木ヱ門が額に手をやるので、螢火はとりあえず笑っておいた。忍術学園では、教生は”そういうもの”だと思っていたのだが、違うらしい。は組が特殊なのか。

「何にせよ、は組のみんなと同じように私に接してくれて構わないよ。私も虎若を特別扱いしない」

 螢火は、虎若の前に屈み、その目を覗きこんだ。黒い瞳が不安そうに滲む。

「は組きっての武闘派が三人揃って、女一人ならなんとかなるかも、と思った?」

 瞳孔が広がる。図星らしい。螢火は息を吐く。
 螢火はちょいちょいと手の動きで団蔵と金吾を呼び寄せる。素直に寄ってくるのは可愛いが、右手で金吾の、左手で団蔵の襟首を掴み上げ、ひょいと雨の中庭に放り投げた。悲鳴をあげる間もなく、二人は生け垣に背中から突っ込む。葉についていた雨水が飛沫となってぱっと散った。

「生憎、狙撃手は腕力が資本でね」

 伊達に重い火器を担いで歩いていない。立ち上がりざまに虎若の胸倉を掴み上げ、雨粒を受けてさざ波をたてる池に投げ込んだ。どぼん、とすごい音がして、水飛沫があがる。
 金吾と団蔵が大慌てで虎若を助けに行くのを確認して、三木ヱ門に向き直った。

「虎若は私が火縄銃持ってうろついてるの、知ってるはずなんだけどなぁ」
「忘れていたのでしょう。アホのは組ですから」

 淡々と三木ヱ門が言うので、螢火はそんなものだろうかと首をひねる。虎若に特別扱いをしてほしいわけではないが、少しへこむ。

「ーーと、まあ、こんな感じで気が抜けないんだよねぇ」

 びしょ濡れで走り去っていく三人に「風邪ひくなよー、風呂入れよー」と声をかける螢火に三木ヱ門が「楽しそうですね」と言う。

「楽しいよ。あんなにたくさんの小さい子どもに慕われるのは初めてだから」
「……慕われてる?」
「えっ、慕われてない?」
「いやぁ……」

 それはどうでしょう、と言われ、螢火はマジかと項垂れた。それなりに仲良くやってるとは思っているのだが。

「まあ、仲良くはやってると思いますけど、もう少し先生らしくしたらいいのでは?」
「先生じゃないしなぁ」

 学校に通ったことがないから、先生らしくと言われてもしっくりこない。教育係ならついたことがあるが。

「偉そうにしたほうがいい?」

 螢火が眉根を寄せながら言うと、三木ヱ門はうーんと唸った。違うらしい。

「照星さんのように振る舞えばいいのでは?」

 名案だ、という風に三木ヱ門が指を鳴らす。今度は螢火がうーんと唸った。

「しっくり来ないなぁ。あの人、私の時は習うより慣れろ派だったんだよ。要所要所指摘はしてくれるけどね。私の出来があんまりだからか、虎若や三木ヱ門からは方針転換したみたいだけど」

 照星の視線を項でひりひりと感じながら火縄銃を構えたときの焦燥と恐怖を思い出し、螢火は身震いした。何も言わぬ照星が落胆してはいないかと冷や冷やしながら照準を合わせたものだ。
 それで今は火縄銃で食えてはいるのだから、指導方法として間違ってはいないのだろうが、出来ることなら虎若や三木ヱ門達のような指導を受けたかった。そういうわけで、忍たま達に螢火の記憶の照星のように振る舞う気にはなれない。

「あ、見て。思い出したら手汗がすごい」
「そこまで!?」

 じっとりと汗ばむ手のひらを三木ヱ門に見せると、三木ヱ門は目を丸くする。
 火縄が湿気る、銃がすべる、とぶつぶつ言いながら螢火は袴で手を拭った。

「照星さん、昔はそんなに厳しかったのですか?」
「厳しいのは、今も厳しいでしょ。私のときはーー私が、ただ怖がっていたんだろうなぁ」
「叱られるのを?」
「がっかりされるのを」

 螢火は目を伏せる。そうだ。螢火は照星に落胆されたくなかった。螢火の一挙手一投足が、放った弾丸の行方が、照星の期待に応えられないことに恐怖していたのだ。
 分からない、というような顔で三木ヱ門は首を傾げる。

「三木ヱ門もさ、照星師に格好悪いところ見られたくないでしょ? 照星師の前で撃った石火矢は全弾命中して、褒めてもらいたいでしょ?」

 
 そう言うと、三木ヱ門は得心したように大きく頷いた。それから何かを思い出したかのように足を止める。

「挨拶のつもりが長々とすみません。また、螢火さんに時間があれば、お話を聞かせてください」
「火薬の加減だっけ?」
「それもですけど、昔の照星さんのことを」

 へぁ? と螢火は思わず間抜けた声を上げた。なんでまたそんな話を。

「照星さんのことを知って、虎若に差をつけてやるんです!」

 それでは失礼します! と三木ヱ門は踵を返した。差なら火器の扱いでつけてほしいなぁと思ったが、言おうとしたときには既に三木ヱ門の姿はなく、螢火はぽつりと廊下に残されていた。



******


 雨も風も日が暮れた頃には弱まり、雨上がりの夜に虫の気配がざわめいていた。
 さて、寝るかな。と螢火が夜着に着替えたときに、ほとほとと部屋の戸が叩かれる音がする。はい、と応えると「一年は組の黒木庄左ヱ門と、」「二郭伊助です」と声がした。
 またか、と螢火が戸を開けると、夜着姿の二人が寒そうに廊下に立っている。

「今度は君達かぁ……」

 真面目で成績優秀な庄左ヱ門は、こんなことをしないと思っていたのだが。

「ぼくたちだけ螢火先生に返り討ちに遭わないのは不公平だと言われたので来ました」

 庄左ヱ門が至極真面目な顔できっぱりと言う。隣で伊助が困り笑いをしていた。

「なので、螢火先生、漢字テストの問題を教えてください」
「いいよ」

 そうですよね、駄目に決まっていますよね、と言いながら帰りかけていた伊助が盛大にコケた。廊下の床板に思い切り顔をぶつけている。

「いいんですかっ!?」
「いいよ。全部教えるわけにはいかないけど、試験範囲と絶対に出問する漢字くらいは」

 外は寒いから、と二人を招き入れ、土井先生から預かった漢字ドリルを開く。
 庄左ヱ門と伊助がいそいそと自前の漢字ドリルを取り出した。

「団蔵が、螢火先生が人の良さそうな割にすぐ手が出るって言ってたからドキドキして損した」

 伊助がほっと安堵の息を漏らしながら言う。

「伊助は、一言多いとか、余計なことを言うなとか、叱られない?」
「なんで知ってるんですか?」
「いや、やっぱりなって」

 螢火は卓の前に坐った。

「生まれつき人の良さそうな顔をしてるだけで、別に人が良いわけじゃないんだよなぁ」

 それを聞いた庄左ヱ門が首をひねる。

「公言するようなことでもないのでは?」
「まあね」

 子供らしからぬ冷静さである。
 庄左ヱ門のドリルに試験範囲を、伊助のドリルに出題する漢字をいくつか書き込む。

「他の子にも教えてあげてね」
「はい、ありがとうございます!」

 元気いっぱい駆けて行く二人に手を振り、螢火は今度こそ寝るかと戸を閉めた。



[*前へ][次へ#]

第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
無料HPエムペ!