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忍びも歩けば棒に当たる
ナメクジは人道に反する


 日も落ちた頃、ぼんやりと灯りのともる食堂で夕食をとっていた土井先生は、螢火が食堂に入る姿を見とめた。

「あ、土井先生」

 螢火もほぼ同時に土井先生に気付いたようで、眉を上げる。おばちゃんから膳を受け取ると、土井先生の向かいに立った。

「お向かい、いいですか?」

 どうぞ、と席を勧めると、螢火はいそいそと腰掛けた。
 螢火があっという間に一年は組の生徒に親しまれたので、土井先生は安心していた。少々からかわれすぎなきらいもあるが。少なくとも、今のところ大きな問題はない。土井先生としても細々とした雑用に手間取られることがなくなったので、日常の業務は常になく順調である。実技担当、教科担当の他に、雑務担当の事務員がクラスに一人いてもいいなぁと夢を見はじめたほどだ。

「今までお仕事ですか」

 土井先生は苦笑気味に頷いた。

「食べ終えたら、まだ少しやることがありますけどね」

 はああ、と螢火は目を丸くする。

「学校の先生って、大変ですねぇ」

 私には無理だな、と螢火は顔をしかめた。
 大変な仕事ではある。だが、やりがいのある仕事でもある。少なくとも、自分には忍び働きより向いている、と思う。そう土井先生が言うと、螢火は頷いた。

「土井先生には、きっと天職ですよ」
「そうですかね」

 土井先生は照れて箸を止める。

「私には、忍び働きの方が向いてるかなぁ」

 忍者に見えないみたいだし、と螢火は唇を尖らせる。生徒達に忍者に見えない! と螢火がしつこくからかわれているのを知っている土井先生は、ああと視線を泳がせた。そんなことはない、とも言えない。
 事実、螢火は優しげな風貌と、気の抜けた風な表情で、間者だとか暗殺者だとか、そういう暴力の絡むようなものには天地がひっくり返っても見えない。もちろん、忍者にも狙撃手にも見えない。

「最近、就活というわけでもないんですけど、まあいつまでも師にくっついてばかりもいられないので、色々な仕事に履歴書を送ってみたりしてたんですけど、全部門前払いで。それって、やっぱり、全然強そうに見えないからだったりするんですかねぇ」
「それはーーーー」

 どうだろうか。

 だって、と螢火は言葉を続ける。

「だって、師がーー照星師が、火縄の名手です、って言ったら、そう見えませんか?」

 どことなく不気味な彼の風体を脳裏に描き、土井先生は確かにと内心認める。彼ならば漂う鬼火も撃ちぬきそうだ。

「私が火縄の名手でーすって言ってもーー」

 螢火は言いながら、顔の横で手のひらをきらきらと瞬かせる仕草をした。

「見えないでしょう?」

 見えない。土井先生は一瞬肯定しかけたが、間一髪軌道修正に成功した。

「そりゃあ、顔の横できらきらしてたら見えませんよ」
「そこは、もののたとえですよ」

 何のたとえだろう。

 そういえば、と螢火は何か思い出したように湯呑みを置いた。
 ほかほかと湯気をたてる白湯の水面が揺れているのを、少し見つめる。

「漢字テストの試験のこと、は組のみんなに知らせたんですけど」

 ああ、と土井先生は頷いた。漢字テストの追試を、螢火に任せていたのだった。忙しさのあまり少しの間失念していた。

「乱太郎、きり丸、しんべヱの三人が私の部屋まで問題用紙を奪取しにきましたよ」
「え、」

 土井先生の顔が青ざめる。

「学園だと上手くカンニングをすると褒められると聞いたのですが、そうなのですか?」
「え、ああ、そういうこともありますね」
「では、上手くなかったら放り出して良いのですよね?」
「勿論です」
「ああよかった。見守るべきだったのかとも思ったのですけど」

 螢火は胸をなで下ろした。土井先生が、すまなそうに眉尻を下げる。

「生徒たちが失礼しました。厳しく言って聞かせますので」
「いいんですよ。しばき回しておいたんで」

 こう、ビシビシと。と、螢火は笑顔で何かを振るう仕草をするが、どうにもはまらない。本当だろうか。

「おおかた、私なら簡単に目を盗めると思ったのでしょう。今頃きっと作戦会議中ですよ」

 螢火は少し楽しそうにそう言った。


・・・・・・・

「作戦会議をする!」

 額にくっきりと赤い蚯蚓腫れを作ったきり丸が高らかにそう宣言した。

「くっそー! 螢火先生ならちょろいと思ったのに!!」

 今にも地団駄を踏みそうなほど悔しがるきり丸を、虎若がまあまあと宥める。

「螢火先生はあれでもプロの忍者なんだから仕方ないよ」

 は組の全員がうっかり失念していたのだが。

「乱太郎、きり丸、しんべヱが失敗したから、次は僕たちの番だな!」

 兵太夫が立ち上がると、三治郎もそれに続く。喜三太も、と呼ばれた喜三太が、不思議そうな顔をして二人を見上げた。

「昼のうちに、螢火先生の部屋の前に落とし穴を用意したんだ。そこに螢火先生を落とす!」

 意気揚々と計画を披露する兵太夫に、庄左ヱ門が首を傾げた。

「でも、まだ問題用紙は出来ていないんだろ? どうやって問題内容を知るんだ?」

 ふふふふ、と兵太夫と三治郎が意味深な笑みを浮かべる。

「落とし穴に落ちた螢火先生に、問題内容を教えないとナメクジをお見舞いするぞと脅す!」

 これで予想問題をゲットする! と息巻く兵太夫に、庄左ヱ門が「やりすぎじゃない?」と、顔をしかめた。

「三治郎と喜三太が螢火先生の部屋を訪ねて、からくりまで誘導する。ぼくがからくりを作動させる紐をひくから、喜三太はナメ壺待機を頼む!」

 行くぞー! と勢い良く出て行く三人を、は組の全員が「ありゃ失敗するなぁ」と見送った。


******


 教職員長屋の廊下は、暗く、ひんやりと静まりかえっている。ぽつりぽつりと明かりのついた部屋の様子は伺えるが、人影はない。好都合だ、と二人は視線で合図をしあう。
 三治郎の目配せで兵太夫は廊下の突き当りの空き部屋に待機する。そこで、からくりの作動装置に手を添えた。
 兵太夫からの合図で、三治郎は喜三太に視線を送るが不思議そうな顔で見つめ返されただけだったので諦めて、すうと深呼吸した。

「螢火先生! 一年は組の夢前三治郎です! いらっしゃいますか!」

 返事はない。もう一度声をかけようと、細く息を吸う。再三螢火にはからくりを回避されている。からくり好きとしては、特に少し抜けた感じのある螢火先生には、一度でいいから一泡吹かせてみたい。

「螢火せんせーー」
「どうしたの」

 薄暗い背後からの声に、三治郎と喜三太がきゃーと悲鳴を上げた。螢火はその大袈裟な反応にほんの少しのけぞる。

「螢火せんせー! こんばんはー!」

 くるりと表情を変えて丁寧に挨拶する喜三太に、螢火は笑って「はい、こんばんはー」と答えた。

「食堂で夕食を頂いてたんだよ。こんな時間にどうしたの?」
「ええと、少し用事が……」

 少々予定は狂ったが、室内から連れ出すよりは廊下からのほうが誘導しやすい。三治郎がおずおずと言うと、螢火は片眉を上げる。

「兵太夫は?」

 ぎくり、と三治郎は思わず廊下の先をちらりと覗い見た。螢火がふぅんとため息混じりに鼻を鳴らす。

「角の空き部屋か」
「えっ」

 目を丸くする三治郎に、螢火は呆れたように肩をすくめる。

「もう少し、嘘が上手くなってもいいかもねぇ」

 押し黙る三治郎に、螢火は楽しそうな顔をする。奥の部屋に向かって手を振り、手招きすると、気まずそうな顔の兵太夫が重い足取りで近寄ってきた。

「それで、私を嵌めようとしたからくりはーー」
「え!!」

 なんでそれを? と言おうとした三治郎に、螢火はにたーっと笑った。

「おお、やっぱりからくりをしかけたんだ」

 むぐぐ、と三治郎は口をつぐんだ。螢火は兵太夫と三治郎の顔を見ながら横歩きに足を滑らせる。今度こそ何も言うまい、と固く口をつぐむ三治郎の、力の入った顔が可愛らしい。兵太夫もそわそわと落ち着かない様子で三治郎に倣った。
 それを穴の開くほど見つめながら、螢火はその場で少しずつ動いて見せる。二、三歩ほど後ずさり、ぴたりと足を止める。

「こっちかな」

 三治郎は何も言わず、ぐっと眉間のあたりに力を入れた。螢火は肩越しに背後を確認すると、右足で後ろを探る。きしきし、と妙に浮いたような感触のする床板が爪先に触れた。

「ここ?」

 螢火の問いに三治郎と兵太夫は無言で以って答える。

「それは、正解です。参りました。って顔でしょ?」

 息を止めていたのか、そう言われて二人はぷはぁと息を吐いた。

「螢火先生、なんで分かったんですか!?」
「顔見りゃわかるんだなぁ」

 わかりやすすぎるほどにわかりやすい、素直な二人の額を指先で軽く叩く。次いで、喜三太の方に目をやった。

「君は何も分からないまま連れてこられたんでしょう?」
「はにゃ?」

 首を傾げる喜三太に、螢火は苦笑する。喜三太はむっとしたように唇を尖らせた。

「ちゃんと分かってますよ!! ぼくはナメさん達に螢火先生から漢字テストの問題を聞き出すようお願いする役です」

 螢火はそれを聞き、喜三太の隣でまずいと顔を青くする三治郎と兵太夫を見て、三人が何をしようとしていたから思い至り、何とも言えない表情で顔を歪ませた。頭上から降り注ぎ、皮膚の上を這いまわるナメクジの感触を想像するだけで怖気だつ。それなら、何でも喋ってしまいそうだ。

「いくらなんでもひどくない?」

 想像だけで顔を青くする螢火を見て、三治郎と兵太夫はごめんなさいと俯く。

「からくりは、いいよ。忍者だし。でも、ナメクジは、だめだよ。ナメクジは、ナメクジはひどくない?」

 ひどいよ……と、恐怖の想像のあまりに言葉すらたどたどしくなる螢火に、三治郎がおずおずと顔を上げた。

「螢火先生、ごめんなさい……」

 兵太夫もそれに続く。

「ぼくも、ごめんなさい」

 喜三太も二人を見て身を乗り出した。

「ぼくも! ごめんなさい! ナメさん達のこと、嫌いにならないで!」

 三人に頭を下げられ、螢火は眉尻を下げたまま口角だけ上げて見せた。笑顔がひどくぎこちない。

「未遂だったし、良しとしよう。あとナメクジはちょっと…………湿気が」

 ショックをうけて項垂れる喜三太の背を、ごめんねと二度優しく叩き、螢火は自室の障子に手をかける。

「じゃあ、漢字の再テストの勉強は、頑張ってね」

 はぁい、と力無い返事をする三人の前で、障子がすっと閉まった。


 


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