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忍びも歩けば棒に当たる
晴れ時々鼻水


 0か、限りなくそれに近い回答用紙の束をまとめ、螢火はため息をついた。
 ここに教育実習生として来る前、照星に「一年は組って、どういう感じです?」と聞いたときに「……アホだ」と言われたことを思い出す。冗談か何かかと思っていたが。

 食堂で二人ぶんの茶を淹れてもらい、せめて、とそれを添えて答案用紙の束を土井先生に渡す。土井先生はそれを受け取り、顔を背け、片目をつぶり、嫌々といった様子で一枚ずつめくり、はあああぁと大きな溜息をつき、胃のあたりを押さえた。

「すごいですねぇ」

 それくらいしかかける言葉がない。同じ部屋で仕事をしていた山田先生も背後から土井先生の手元を覗き「あらぁ」とだけ言った。
 いっそう顔色が優れなくなる土井先生に、螢火はまあまあと手をひらひらさせる。

「ほら、山田先生の実技のテストもありましたし、私が来たりでバタバタしていましたし、勉強する時間が足りなかったですよ」
「いつもなんです」
「……へぁ?」
「いつも、いつも、こんな点数なんです!」
「それは……」

 かける言葉もなくなった。おいおいと泣きじゃくる土井先生の背を、おずおずと撫でておく。なんだか、ひどく、可哀想だ。

「忍者の学校がこんなに大変だとは思いませんでした」

 私も初日で落とし穴に落ちました、と笑っておく。

「忍者の学校というより、一年は組が、なぁ……」

 山田先生が、苦笑いした。土井先生が勢いよく螢火にすがりつく。

「でも、とってもいい子たちなんですよ!!」
「ああ、わかります、わかりますよ! だから、もう少し離れてください!」

 鼻水が飛んで来るから。
 土井先生にチリ紙を渡すと、螢火は答案用紙をちらと盗み見た。

「追試ですよねぇ」
「そうなります……」
「私が代わりに作りましょうか?」

 え、と土井先生は目を丸くする。
 螢火は、一応教育実習生のいうことにはなっているが、は組の担任ーー特に、日々補習と追試に追われる土井先生の細々とした雑用をしてばかりだ。

「そんなに驚かなくても、漢字の書き取りテストくらいなら作れますよ」
「あ、ああ、そうですよね……」

 漢字くらいは書ける。馬鹿にしないでほしい。

「それで、少しは余裕ができますか?」
「漢字の書き取りテストの他にも、火器の追々試に計算テストの追々々試があるので……」

 もう諦めた方がいいのではないか、という言葉が、喉のすぐそこまで上がって来たが、やっとの事で飲み込んだ。
 しかし、こうまで一生懸命になってくれる先生方がいるのは、一年は組の良い子たちが羨ましい。だから、彼らはのびのびとして素直なのだろうか。そう言うと、土井先生と山田先生が照れたように笑った。

「私もなかなか問題児だったので、先生が一生懸命な姿をみると、ありがたいような、申し訳ないような気分です」
「問題児だったの?」

 山田先生が茶をすする。

「問題児、というか……アホなんですよねぇ、基本的に。あと、すっとろいし」

 ああ、と土井先生が頷いたので、螢火は眉尻を下げた。ああ、ってなんだ。ああ、って。

「照星師も、子供を子供扱いしない方でしたから」
「でも、いい先生じゃないですか。虎若や、田村もお世話になってますし」
「あれで丸くなったんですよ」

 螢火は遠い目をする。
 そういえば、と山田先生が話を変える。

「螢火さんは、どうして照星さんのところへ?」
「誘拐されまして」
「……冗談ですよね?」
「冗談です」

 螢火は笑った。

「では、私は教室の様子を見て来ますね。追試のことも、お話しないと」

 笑顔のまま障子を閉める螢火を見送り、室内の二人は惨憺たる答案用紙を挟んで、顔を見合わせる。

「……本当に冗談ですよね?」
「いやあ、冗談だろ」


******


 き、き、と一歩ずつ音をたてる廊下を、なるべく静かに歩き、は組の教室の前に立つ。木戸に手をかけひくと、頭上から黒板消しが落ちてくるので、一歩下がって避ける。すると、床板がぎぃと音を立て、くしゃくしゃに丸めたチリ紙がばらばらと降ってくる。避けられずに頭から被ってしまった。ちくしょう、使用済みだ。誰の鼻水だよ。
 行儀は悪いが木戸の桟に足をかけ、そろりと教室内の板に爪先だけを下ろすと、少し体重を乗せただけで、床板が浮き上がり、暗い床下が見えた。
 螢火は浮かない床板を選んで、そこに降りる。兵太夫と三治郎が、あーあと残念そうな顔をした。

「今度こそ上手くいくと思ったのにぃ!」

 唇を尖らせる兵太夫の額に、螢火は軽くデコピンする。

「人で遊ぶな!」

 あいたっ、と額を押さえる兵太夫を見て、くすくす笑う三治郎の額にもデコピンをしておく。
 いたぁっ、と三治郎も額を押さえる。

「螢火先生、全然ひっかからないんだもん。からくり好きのぼくたちとしては、先生をひゃーと言わせるまではやめられません!」

 だってぼくたち、忍者のたまご、忍たまだから! と胸を張る二人を抱え、からくり仕掛けの床板に落とす。ばかん! と音を立てて床板が跳ね上がり、ひゃーと声をあげて、兵太夫と三治郎が床下に消えていく。

「……ところで、この穴って、どこに続いてるの?」

 床下を覗く伊助に聞くと、伊助は「さあ?」と首を傾げた。

「先生、何かご用ですか?」

 肩にべっとりとついた鼻水を拭う螢火に、庄左ヱ門が尋ねる。

「あ、うん、漢字テストのーーねえ、庄左ヱ門、背中に鼻水ついてないこれ?」

 背を見せられた庄左ヱ門が、うわぁと小さく呻いた。まじかぁ……と螢火が肩を落とす。

「洗濯が面倒臭いなあ」
「そこですか?」

 庄左ヱ門に至極冷静に問われ、螢火はそこじゃないのかとひとりごちる。

「兵太夫と三治郎、保険委員会に使用済みのチリ紙をくれって来たの、螢火先生の罠のためだったんだぁ……」

 乱太郎がぽつりと呟くのを、螢火は耳ざとく拾う。

「げ、これ、しんべヱの鼻水じゃないの?」
「失礼なっ!」

 憤慨するしんべヱに螢火はごめんと笑った。

「ぼくは、鼻セレブしか使わないんですよ! そんなお肌に良くないチリ紙は使いません!!」
「あ、はい……」
「というか、螢火先生、しんべヱの鼻水ならいいんですか?」

 あいも変わらず冷静な庄左ヱ門の問いに、螢火は力なく頷く。

「見知らぬ誰かの鼻水よりはマシかなぁ」
「なるほど」

 それで、漢字テストの話なんだけど、と、手についた鼻水を床に落ちたチリ紙で拭う。

「追試になります」

 ええー、と螢火が思わず耳を塞ぐほど不満の声があがる。

「だってぼくたち、計算テストの追試も、火器のテストの追々試もあるのに!」
「いや、計算テストは追々試で、火器テストが追試だろ?」
「火器テストは追々々試じゃなかったか?」
「来週は人馬のテストがある!!」

 机に伏せて嘆く団蔵が、ぱっと顔を上げた。

「だから螢火先生、土井先生に漢字の追試はなしって頼んでくれませんか!」
「無理だねぇ」
「えー! なんでー!」
「漢字の追試を作るのは私だから」

 各々不平を口にしていた生徒たちが、一斉に螢火の方を見る。

「えっ、螢火先生が?」

 団蔵が目をくるりと丸くした。

「そう。テストを作るのは初めてだけど、漢字の書き取りテストなら私でも作れるからね。みんな、私の初めて作ったテスト、あんまりヒドイ点数はとらないでね、お願いだから」

 立ち直れなくなるから。と念を押すと、は組の生徒たちはお互い目配せを交しあった。







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