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忍びも歩けば棒に当たる
不思議


 溜息を飲み込み、火縄銃を構える。持ち慣れた重さ、勝手知ったる重心を感じ、引き金を引く。どん、と腹に響く衝撃と共に、眼前に火花が散った。
 的の中心に、ぽつんと穴が開く。大仰な音と盛大な火花の割に、ささやかな成果だ。目を細めて遠目にそれを確認し、銃を下ろす。
 的中への執着、と言ってしまえばそれまでだけれど、戦場では非力な螢火にとって当たらぬ弾丸は死活問題だ。鉄砲は強力な武器だが、一度撃てば射手の居場所が知れる危険と隣り合わせである。

 ーー本当のところは、そんな簡単な話ではないのだけれど

 螢火は革の弓掛で火縄の火を揉み消し、的から数歩離れて火縄銃を構え直した。
 怖いのだ。忍術学園で忙しくしているうちに、勘が鈍ったのならまだいい。怖いのは、腕一本で食えなくとも、家に戻ればいいというぬるい気持ちが、己の中に芽生えていはしないか、だ。
 たまに、己が何故こんなことをしているのか分からなくなる。勘気を被ったわけでもなし、家に戻ってくれぬかと便りを受け取るたびに、それを握りつぶしてきた。自分でもよく分からないのだ。根無し草の、明日をも知れぬ狙撃手稼業より、守護大名の息女として生きる方が、余程まともだとは分かっている。騙し、騙され、山河の如く屍を築き血を流し、それで日銭を得る。だが、たとえ地獄に落ちたとしても、家に帰る気にはならなかった。
 それは、なんだかよく分からないうちに放り出された手前の意地なのかもしれない。流水に翻弄されるだけの木っ端ではないのだ、という矜持の最後の砦なのかもしれない。中途半端な身の上の己であるから、心の持ちようだけは中途半端でいられない。


 ーー或いは、ただ単に照星が好きなのだ

 荷物にしかならぬ世間知らずの小娘に、渡世の方法を教えてくれた照星のことだけは裏切れない。いずれ道を分かち敵対することはあっても、火縄銃を捨てることは照星への不義理である、と思う。
 螢火は深く溜息をつき、的に照準を合わせ、片手で火縄に点火して引き金を引く。

「またそんな外道な撃ち方をしているのか」

 聞き慣れた、しかしここで聞こえるはずのない声に、螢火は的を見たまま答えた。

「外さぬから、いいでしょう。若太夫や三木ヱ門との稽古ではきちんとした手順で撃っていますし」
「当たり前だ、そんな撃ち方は教えていない」

 螢火は銃を下ろし、声の主に顔を向けた。

「照星師、お久しゅうございます」

 ああ、と照星は軽く応え、的の方を見る。螢火は身を固くする。練習風景を見られるのは好きでない。落胆されるのが厭だ。

「当たるか」
「は?」

 螢火は間抜けな声をあげた。何の話だ、と眉をひそめると、照星は螢火の方を見た。

「若太夫に、おまえが随分自信を喪失していると聞いてな」
「喪失、というか……」

 螢火は言いよどむ。

「照星師、わざわざそんなことで来られたんですか?」

 ちょっと過保護すぎません? と螢火が言うと、照星は無言で螢火の額を叩いた。

「ァ痛っ?」
「おまえに助言をしに来た師匠への言葉がそれか?」
「それは申し訳ないですけど、そんな照星師の手をわずらわせるような話でもないですよ」

 すぱん、ともう一度叩かれる。あいたぁっ! と螢火は額を抑えた。

「過保護なのにすぐ手が出る!」

 というより、殴られるようなことを言った覚えはないのだが。痛みに涙を滲ませた瞳で、螢火は照星を軽く睨む。
 経歴ーー本名も、年齢も、出身も、出自も、何一つ知れぬ狙撃手。自他ともに認める愛弟子の螢火とてそれらを知らない。そもそも、螢火は別に知ろうともしなかったのだけれど。

「忍術学園に用事もあったから、ついでだ」

 そうでしたか、と螢火は痛む額を撫でながら唇を尖らせた。本当に自分を心配して来たとは思っていなかったが、なんとなく釈然としない。
 照星は的を顎で示した。螢火はその場で銃を構え、その中心を撃ち抜く。もはや言葉も不要だ。螢火の未熟な手に命の一部を預けてくれた照星に、螢火はこういう形でしか報いることが出来ない。

「当たるだろう」
「風もなく、距離もなく、絶好の狙撃場所から七発も銃弾を外した不肖の弟子を慰めに来たのですか?」
「いや、違うーーーーおまえ、根に持ち過ぎだろう」

 照星は呆れて肩を落とす。そうは言っても、この体たらくが他に知れたら照星の顔にも泥を塗ることになりかねないし、人間相手に無駄弾を撃たないという己への誓いも破ることになる。
 何も言い返せず、黙って微笑むだけの螢火の肩に、照星は手を置いた。力が入りすぎている。

「言い忘れていたのだがーー」

 照星が言うと、螢火の肩がぴくりと動く。

「忍術学園に関わると、弾は、当たらない」

 照星が重々しくそう言うと、螢火は「はァ??」と至極まともな反応をした。弟子の胡乱気な視線を受けて、照星はやや気まずそうに繰り返した。

「当たらない。正確には、人に当たらない」
「は、はァ……?」

 螢火は返事とも相槌とも疑問ともつかぬ声を漏らし、訝しげな目で照星を見る。

「何言ってんだこいつ、と思っているだろう」
「いいえ、まさかぁ」
「顔に出ている」
「私の悪癖が伝染しましたか」
「おまえでなくても、それくらい分かる」

 螢火は苦笑気味に火縄銃を傍らに置いた。

「そんな阿呆な話を作らずとも……」
「作っていない。事実だ」
「……ご冗談でしょう?」
「これが冗談を言っている顔か?」

 無言で肩をすくめる螢火を見て、照星は鼻を鳴らす。螢火はすっかり情けない顔をして、照星の方を上目遣いに見た。背は、螢火の方が高いのだけれども。

「何故です?」
「知らん。不思議だ」
「ふ、ふしぎって、せんせ……」

 絶句する螢火に、照星は首を横に振って見せた。

「不思議だ」

 そう、強く繰り返すので、螢火は「そうですか……」と答えるしかなくなる。

「だからいちいち気にするな」
「いやいや! 気にしましょうよ! なんですかその不思議現象!」
「気にするな」
「え、ええー??」

 念を押されてしまった。
 何が何だか分からないままの螢火を横目に照星は「学園長先生のところへ行ってくる」と踵を返した。







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