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忍びも歩けば棒に当たる
期待はしない


 一年は組に新しい実習生が来た、というのを乱太郎、きり丸、しんべヱはどうにか隠したいようであった。それは、同じく教育実習で不合格の烙印をおされた己への彼らなりの気遣いであったのかもしれない。
 だが、その実習生の名前を聞いた照代はぴんときた。三人に詰め寄り、聞いた情報が「女であること」「火縄撃ちであること」「長身であること」であったので、確信を覚えた。照代はそのままずかずかと勝手知ったる職員長屋を通り、実習生の使う部屋の明り障子を開けた。

「きたいしてるよ」

 期待している、わけではないのだろう。確かに自分はそういう名だ。数年ぶりに見る螢火は、相変わらずおっとりとした顔貌で、目を丸くして照代を見ていた。

「螢火、本人だったとはね」

 照代が言うと、螢火は苦笑する。

「偽物が出るほど名が売れてるわけでなし、螢火って名前で女の鉄砲撃ちが他にいなけりゃ本人だよ」

 おまけに美人の、と言うので、照代は鼻で笑った。

「笑ったね」
「笑うわよ」

 ひどい、と泣き真似をする螢火を気にせず、照代は螢火の脇に座った。卓の上にぽんと包みを投げる。螢火は菓子と目星をつけたのか、すいと片眉をあげた。おっとりとした顔をしているくせに、表情や仕草が全くおっとりしていないのだ。ついでに性格もおっとりしていない。なんだかそこが妙で、面白い。

「用意がいいね」
「あんたにじゃないわ。山本シナ先生に御用があったのだけど、お留守だったから」

 そお? と気のない返事をして、螢火は勝手に包みを開けた。よもぎの香りが立ち上る。螢火は鮮やかな緑の草団子を、摘み上げてぱくりと食べた。

「久しぶりに会った感想は?」

 草団子を嚥下し、螢火が問う。

「あんた、背伸びた?」

 照代が言うと、螢火は顔をしかめた。適当に言ったのであるが、図星だったのかもしれない。何しろ小柄な男よりも長身なのである。最初に会った時、照代は彼女を下手な女装の男なのではないかと疑ったほどだ。
 そうかもね、と螢火はさっさとその話題を切り上げ、草団子の串で照代を指した。

「景気はどう」
「ぼちぼちね、と言いたいところだけれど、実のところ就職先がなくて」
「まだ城仕えを諦めてないの?」
「諦めてないわよ。あんたはまだあちこちふらふらしてるの?」
「そんなとこ」

 ふうん、と照代は螢火の横顔を眺める。以前会った時より、幼さが抜けた顔をしている。自分も、彼女も、少しだけ大人になった。

「先生になるの?」

 照代が尋ねると、螢火が「はぁ?」と胡乱気な声をあげた。照代のほうが面食らう。

「はあってあんた、教育実習生でしょう?」
「名目上はね。色々ややこしいんだよ、詳しく聞きたい?」
「やめとくわ」

 ふふ、と螢火は笑った。
 照代が螢火に会ったのは、仕事で幾度かだけだ。だが、長期にわたる仕事であったのでそれなりに親睦は深い。照代はどちらかといえばきぱっとした性格であるが、茫洋とした螢火とは不思議と気が合った。
 誰も彼もぎらぎらとした戦場で、ふわふわと浮世離れして見える螢火は魅力的だったのかもしれない。

「照代はさ、戦忍にはならないの?」

 螢火が問う。照代は首を横に振った。

「いやよ、私は城付きの諜報か護衛になるの」

 戦忍は花形だが使い捨てだ。それよりは、城仕えの隠密のほうが、余程機密に近いし、忍らしいと照代は思う。
 ふうん、と螢火はため息に似た相槌をうつ。螢火は、どちらかといえば戦忍だ。というか、最近はもっぱら狙撃手か用心棒と名乗っているらしい。

「照代は、戦忍の方が向いてる」

 二本目の草団子に手を伸ばしながら、螢火はそう呟いた。
 そうなのだろう、と照代は鼻を鳴らす。腕に自身はあるが、詰めが甘い。しかし窮地を脱する方法は心得ている。そのくらいの自覚はある。小さな綻びが致命傷の隠密よりも、切った張ったの世界のほうが、性にはあっている。

「あんただって、用心棒より諜報の方が向いてるわよ」

 穏やかで品のある物腰で人の心にするりと入り込む。慎重で思慮深くーーそれは臆病さと表裏であるのだがーー何よりその目が。
 照代は螢火の双眸を見つめる。人の心を覗く暗い色の瞳。
 螢火は照代が何を言いたいのか察して、目を逸らした。

「まあ、そうなんだろうけども」

 “それ”を、螢火はあまり好んでいないらしかった。照代も詳しいことは知らない。螢火が語りたがらない。昔、何かの拍子にぽつりと螢火が「うそをついてもわかるもの」と言った。子供に言い聞かせるようなその言葉が、螢火の特異な性質を突いている気がした。
 まるで人の心を読み取れるように、螢火は嘘に敏い。真実を知るのに、脅迫も暴力もいらない。螢火の眸がじいと人の顔を見つめるだけで、知りたいことはなんでも知れた。仲間内では彼女をさとりのようで気味が悪いと言う者もいた。
 忍者としては、得難い能力だ。照代とて、なんと羨ましい話だと思ったものだ。だが、人間としてはどうだろうか。人は誰でも嘘をつく。悪意のある嘘も、他愛のない嘘も、その場凌ぎの嘘も、優しい嘘も、甘い嘘も。それをひとつ残らず剥ぎとられたとしたら、それは、ひどくーー居心地が悪いのではないか、と照代は思うのだ。
 諜報として動けば、きっと螢火はどこからも欲しがられる。なのに、螢火は頑なに鉄砲撃ちとしてしか仕事をしない。ままならぬものだ。もしも照代がその目を手に入れたならば、さくりとどこぞの城に仕えるだろう。しかし、そうとて来る日も来る日も誰かの嘘を見続けることを考えると、頭がおかしくなりそうだ。

 ーーいや、すでにおかしいのかもしれない

 照代は螢火の恬淡とした顔を見つめた。

「なあに」

 照代の視線に気付いた螢火は、くすぐったそうに笑う。

「べつに。すぐに死にそうな顔してるなぁって思っただけよ」
「ひどくない?」

 くすくすと螢火は笑い声を漏らす。

「まだ死ねないんだよ」

 螢火がそう言う。おや、と照代は眉を上げた。螢火がそういうことを言うのは、ひどく意外であった。
 いつも何か諦めたような、そういうところのある人であったから。

「どうして?」

 興味本位でそう尋ねる。いい人でも出来た? と言うと、螢火はまさか、と首を横に振った。

「師が死んだら、名を継いで良いと言われたの」

 どこまで本気かわからないけどね、と螢火は困ったような笑い顔を見せる。
 螢火の、師。話には幾度かのぼったことがあるが、姿を見たことはなかった。螢火曰く、一度見たら忘れられぬ面相らしい。それが良い意味なのか悪い意味なのかは判然としないが、火縄銃の腕の比類なきことだけは確かであると聞く。
 螢火はその師をいたく敬愛しているようで、何かにつけてはせんせいが、せんせいが、と言う。だが、その一方でひどく冷めた物言いをすることもあった。死んだら名を継ぐ、と、にこやかに口にするようなものであろうか。

「あんた、仮にも師匠に、死んだら、なんて、もっと他の言い方あるんじゃないの?」

 照代は思わず苦言を呈する。どちらかといえば人に窘められることの多い照代であるが、螢火といると立場が逆転する。
 んー、と螢火は首を傾げる。

「人はみんな死ぬよ」
「そうだけど、そうじゃなくて」
「今更そんなこと取り繕うような関係でもなし」

 そう言ったとき、確かに螢火の表情に苦いものが奔った。
 ふ、と照代は思う。多分、ーー本当に多分ではあるが、螢火はもともと忍び働きなどというものとは無縁な生まれなのではないのだろうか。わざと無頼に振舞っている節はあるが、浮世離れした捉えどころのなさは生来のものなのか。御所言葉を難なく話すのは、本当に以前潜入をさせられたからなのか。
 仮に、螢火がそういう生まれなのだとして、螢火が望んだにせよ、望まなかったにせよ、螢火に火縄銃を仕込み、草の者として夜に生きる道を示した師のことを、果たして螢火はただただ素直に敬愛しているのだろうか。
 この、ひどく繊細で聡いひねくれ者が、己の人生を大きく変えた人間に対して、腹に一物も二物も抱えぬということがあるのだろうか。

「なんて名前になるのよ」

 そう、問うてみる。螢火は楽しそうに答えた。

「照星」

 腕のいい鉄砲撃ちによくある名だ。照代は卓に肘をつき、頭をもたれさせる。

「螢火の方がいいわ」
「そうかなあ?」
「私、あんたを照星なんて呼びたくないんだけど」
「そんなこと言われても」

 八つ当たり気味の照代に、螢火は眉尻を下げた。

「でも、照代と一字同じだよ」
「だから、何よ」
「なんでもない、けど……」

 螢火は言葉に困って口を噤む。その姿に、少しだけ溜飲が下がった。

「まあ、いいわ。私は照星とは呼ばないけど」
「今はね」
「あんたが照星と名乗っても呼ばないわよ」
「なんで」
「なんとなく」

 そう、と困り顔で微笑んで見せる螢火に草団子の残りを押し付け、照代は席を立った。小袖の裾を整え、螢火の顔をちらりと見る。
 常と変わらぬ、茫洋とした笑み。ふん、と照代は顔を背けた。

「次に会うのは、戦場でなければいいけど」

 照代が言うと、螢火は穏やかに微笑んだまま、諦めたように首を横に振った。「ばかなことをいわないで」なのか「そんなことはだれにもわからない」なのか、それが何を言いたいのかよくわからなかったが、その曖昧な反応が、螢火らしいと思ったのだ。



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