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忍びも歩けば棒に当たる
末法濁世を跳ねる虫


 腐りかけた天井板が風が吹くたびぎしぎし鳴る。壁の高い位置に開けられた、窓とも呼べぬ粗末な穴から月が見えた。そろそろ真夜中だろうか。
 小屋の隅に凝る一層深い闇に見えるのは、螢火とドクササコの凄腕忍者の部下がうずくまる姿である。ひそひそと、風の音より小さな声で囁きを交わす。

「あんた、最近忍術学園に入ったのか?」

 見たことない面だし、と男が言う。まあそんなところだと返すと、男は不思議そうな顔をした。

「なんで忍術学園なんだよ」
「いい人も作らずふらふらしてたら、曽祖父に放り込まれました」

 嘘をつく理由もない。螢火がそう答えると、白目は声をあげて笑った。

「本当か」
「本当ですよ」
「ひいじいさんが生きているんだな。長生きだ」

 しんべヱが寝返りをうった。縄で縛られているのに、器用なことである。しんべヱはふと目を開け、螢火の顔を見て「螢火せんせえ……」と寝ぼけた声で呟き、螢火が何か答える前にふっと目を閉じた。そのままなぜか白目の膝を枕にして寝始める。

「なんだよ、こいつ、緊張感のない」

 白目は言うが、いったいどの口が言うのだろう。

「螢火先生、って、あんたのことか?」

 違うとも言えず、螢火は頷いた。別にどこかで証明される名でもなし、親がつけた名ですらない。だが長いこと使っている名である。「螢火」と聞いて師の照星にまで人となりを伝うことのできる人間は、多くはないが存在する。愛着のある名であるから、変えたくはないのだが。

「ふうん、螢火ちゃん」
「ちゃん!?」

 螢火は拍子抜けて甲高い声を上げた。その名を名乗ってからこちら、そんな間抜けな呼ばれ方をしたことはない。

「……あなたの名前は?」
「言えないよ、忍者だし」

 さすがにそこまで考えなしではないのか、白目の男は少しだけ寂しそうな顔をした。

「では、適当に白目さんと呼びますけど」
「……人の身体的な特徴を安易に口にするのはどうなんだよ」

 急にまともなことを言うので、螢火はふふと笑う。

「なんと呼べばいいですか」
「こいつらは、ドす部下って呼ぶけどな」

 こいつら、と、白目の男は膝でぐっすり眠るしんべヱと喜三太を指差した。

「どすぶか?」
「ドクササコの凄腕忍者の部下」
「長い!」
「だよなぁ。やっぱり白目でいいよ」

 白目が居心地悪そうに身じろぎする。螢火も押されてつんのめった。

「螢火ちゃん、先生なんだ」
「今だけですよ」
「おれも、先生なんて呼ばれる仕事についてみてえなあ」

 白目は言った。その一見強面の、だが気の抜けた顔に滲むのは強い罪悪感と嫌悪感で、螢火は意外に思って続きを促す。

「こんな仕事さぁ、碌な死に方しねぇよ」

 何も答えられなかった。白目は知らぬが、螢火とて「こんな仕事」で普段は身を立てている。そんなこと、この因業な稼業につくものならば、多かれ少なかれ考えたことがあるものだ。いや、末法の濁世で、それを考えぬ者の方が少ないのかもしれない。

「でも、他に食う道もないし、良くしてもらった恩もあるし」

 白目はしんべヱの頬を指でつついた。

「なんでこいつらは、金を払ってまで地獄に落ちようと思ったんだろうなぁ。そんな金があれば、なんだって出来るだろうよ」
「金があるとて、どうにも出来ぬこともあるのでしょう」
「そんなもんかな」
「末法ですよ。生地獄だ。生きても死んでも地獄なら、地獄で閻魔様相手に戦をすればいい。どうせこの乱世に浄土へ往ける者の方が少ない」
「するとこいつらは、地獄の朋輩を探しに金を払っているのか」
「それもひとつの考え方でしょう」

 そうか、と男は呟いたきり、何も言わなくなった。

「螢火ちゃんは、学があるんだな」

 やがて、ぽつりとそれだけ言う。螢火は苦笑した。その手の話題は、素が出そうになるから苦手だ。未熟なのだ。それに、己の中でも決着がついていない。

「先生と呼ばれておりますから」

 白目はまたしばらく黙り込み、何か考えているようだった。
 螢火ちゃん、と呼ばれる。慣れぬ呼び方だ。童女のようだ。

「おれ、あんたを逃がしたい」

 螢火はゆっくりと男の顔を見た。嘘をついている様子はなかった。

「いいのですか」
「別に、今回の仕事に忍術学園は関係なかったんだ。でも、螢火ちゃんは学園の関係者だから、このままここにいるとひどい目に合うかもしれない」

 ひどい目、と自分で言って、白目は何か想像できるのか顔をしかめた。

「女子供がひどいことされるの、見てられないんだよ。腑抜けなんだ」
「それは腑抜けとは言いませんよ。あなたは優しいのでしょう」
「腑抜けだ。忍者に優しさはいらない」

 最後の一言だけは、嘘だった。彼の言葉ではないのだろう。きっと常々言い聞かせられているのだ。

「忍者に優しさはいらなくとも、人としてはまっとうだ」

 螢火が言うと、白目はほっとしたようにくしゃりと笑った。子供のような笑い顔だった。騙っているのが、申し訳なくなるような笑い顔だった。

「けれど、白目さんは?」
「おれは忍術学園のやつらにやられたーとか嘘ついておけばいいから。罰には慣れてるんだよ」

 それに、忍術学園が絡むと上も甘くなるんだ、と白目はあっけらかんと螢火の手首の紐を外しにかかる。

「白目さん」
「礼はいいよ。おれ達の撒いた種だ」
「いえ、ーーあなたは嘘をつく必要がないですよ」

 言うやいなや腐った天井板に大穴が空き、ぼろぼろになった木の繊維とともに小さな子供がぼとぼとと白目の上に落ちてきた。白目はぎゃーと悲鳴をあげたが、頭上に団蔵が落ちてきて、短い声をあげて気を失った。

「うわ、団蔵、何したんだよ」
「懐に10キロ算盤が入ったままだった」

 そんなものの直撃を喰らえば気も失う。死なないだけ儲けものだ。
 雪崩のように落ちてきたは組の生徒の傍らに、山田先生と土井先生が音もなく降りてくる。土井先生が白目の上でだんごのようになった生徒たちに人差し指を立てた。

「螢火先生のように敵に取り入り意のままにする術は、これを期末テストの問題にする! 各自勉強しておくように!」
「えっ、あれ、忍術だったんですか!? オレはてっきりいい雰囲気なのかと思って邪魔しないように見てたのに!」
「ありがとうよ、きり丸」

 ませた小さな頭を平手で軽く叩くと、他のは組の生徒も「ぼくも!」「ぼくも!」と声をあげるので、螢火は溜息をついた。胃のあたりを押さえて目に涙を滲ませる土井先生を、山田先生が慰めていた。

「山田先生、土井先生、ここから近い場所にドクササコの拠点があるようです。それから、おそらくマイタケ城に何か仕掛けるつもりかもしれません」

 螢火が言うと、山田先生と土井先生が目配せしあう。生徒たちが「マイタケ城は学園と仲がいい城だ!」「大変だ、知らせに行かなきゃ!」と大騒ぎするのを横目で見て、螢火は白目の下敷きになった被衣を拾い上げた。
 あとのことは忍術学園の先生と生徒たちがなんとかするだろう。螢火はとにかく学園の自室に帰って、師に書状をしたためたかった。自分も大抵師離れできていない、と苦い気持ちを噛みつぶした。



 

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