忍びも歩けば棒に当たる
放送コードがないもので
意識が浮上するのと同時に鈍い痛みがこめかみをつらぬく。螢火せんせえ、螢火せんせえ、としんべヱと喜三太に集られ、螢火は呻いた。
声をかけられ振り向きざまに二、三発したたかに殴打され、そのまま薬を嗅がされた。もとより抵抗する気はなかったが、あったところで逃げられたかはわからない。ドクササコの凄腕忍者は、その名の通り随分と腕利きのようだ。
「螢火先生、落乱にあるまじきシリアスな暴力表現!」
しんべヱがわけのわからぬことを言う。
「ぶん殴りたくなる顔とは言われるけどね」
螢火は「うえ」と軽くえずいた。
「悪いな、忍者だと思ったものだから警戒させてもらった」
暗がりからぬっと椀を差し出され、冷えた水を口内に流し込まれる。少しすっきりした。
「螢火先生は忍者なんかじゃありません!」
「姫だけど姫に見えない薬売りで、ぼくたちの勉強を見てくれるんです!」
いや忍者だけどね。と胸中で反論しておく。この二人が、ドクササコを騙っているのか、本気で螢火が忍者であることを忘れているのかわからない。
「おまえ、このアホどもの勉強をみているのか……」
何故か敵対するドクササコの凄腕忍者に哀れむような口ぶりでそう言われた。
無言で睨み返しておこうとするが、殴打の衝撃のせいか、薬のせいか、油断するとすぐに黒目がぐるりと上向いて視界がおかしくなる。
「人が、来ますよ」
螢火がやっとそれだけ言うと、凄腕は「そうだろうな」とばかりに肩をすくめて見せた。
外出届には餅屋の場所と名前を記してきた。ここがどこかは分からないが、建物の感じからすると旅人用の朽ちた山小屋か。女一人とはいえ、決して華奢ではない自分とやかましい子供二人を抱えて移動できる距離などたかか知れている。格子から射す光が遠く反対の壁に当たっているから、日もかなり落ちてきたようだ。門限を過ぎれば、低学年が二人もいなくなっていることはすぐに問題になるだろう。
山小屋のガタつく木戸が押し開けられ、逆光に人影が浮かぶ。ああー! と大きな声がして、人影が駆け寄ってきた。ドクササコの二人組の、弛緩していた方だ。両の瞳に黒目のない魁偉な容貌であるが、盲目なわけでもないらしく、むしろ気遣わしげに螢火の傍らに屈み込んだ。
「だから彼女は絶対くのいちじゃないって言ったじゃないですか!」
「そんなこと、見ただけで分かるかよ」
「分かりますよ、こんな無害そうなくのいちなんています?」
白目が口をとがらせると、しんべヱと喜三太もそれに同調する。
「そうだそうだ! 螢火先生みたいなふにゃふにゃのぷーがくのいちなわけない!」
「螢火先生みたいなのんびりさんにあんなひどいことして、忍者としてのプライドはないんですか!」
ーーあ、こいつら私が忍者だってこと完全に忘れてる……
螢火はそれを確信して項垂れそうになるが、この二人に下手に自分が忍者だとばらされそうになるよりはずっといい。というか、ふにゃふにゃのぷーってなんだ。のんびりさんって誰のことだ。おまえらにだけは言われたくない。
「おまえがいると話がややこしくなる」
凄腕は苛々とした様子で白目を睨む。うひゃ、と白目は身を小さくした。
おい、と凄腕は白目を呼び寄せ、何か耳打ちした。何を言っているのかは聞こえなかったが、耳打ちを受けた白目の顔に嫌悪感が浮かんだので、あまりいい話ではなさそうだ。
「忍たま二人には気をつけろよ、そいつら油断ならんからな」
それだけ言い捨て、凄腕は笠を目深に被り、手拭で顔を隠すと、あたりを確認しながら外に出て行った。
置いて行かないでくださいよーとめそめそする白目を横目に「気難しそ……」と呟くと、白目は一瞬だけぴくりと螢火の方を見た。
******
日が暮れてしばらくたった。ざわめく夜の山の気配が閉まらない雨戸から忍び込んでくる。ひんやりとした空気が転がされた土の床から立ち上ってきて、螢火は身震いした。
助けが来る気配はなく、凄腕が戻る素振りもない。見張りとして残されたらしい白目は、そわそわと落ち着きなく、それでも螢火達から目は離さなかった。
この浅薄そうな男一人なら言いくるめるなり隙をつくなりして外に出られそうな気もしたが、生徒を二人抱えてはそうもいかない。一人ーー喜三太だけであったならば、文字通り小脇に抱えて山中を当て所無く逃げ惑うことも出来たろうが、しんべヱがいる。負うて逃げるには目方がありすぎた。
螢火はちらりと白目の男を見上げる。視線に気付いた男が、固い表情で「なんだ」と問うた。
「私の被衣はどこですか? 寒くて」
螢火が答えると、白目は小屋の隅の、使えるのか分からない薪の山の中から見慣れた柄の被衣を引っ張りだした。無言でそれを渡される。
螢火はそれを肩に羽織り、その中にしんべヱと喜三太を入れた。螢火は手首を紐で括られているだけだが、二人は丈夫そうに綯われた縄で、胸のあたりから足首までぐるぐる巻きにされていた。ドクササコにとっては、女とはいえ大人の螢火より、小さな子供二人のほうが脅威らしかった。気持ちは分からないでもない。
「なあ、あんた」
白目がぽつりとこぼした。
「あんたにもさ、気難しそうに見える?」
誰をとは言わない白目を、螢火は見返す。
「いいえ、まさか、そんな」
「いいよ、多分まだしばらく帰ってこないし」
その口ぶりから、どうやら凄腕はどこか定まった場所に向かったようだった。徒歩で行ける距離に、ドクササコの砦があるのかもしれない。
「温和そうには見えませんでしたけど」
螢火が言うと、空気が震えた。白目が笑ったのだ。
「女から見てもそうか?」
「男から見ようと女から見ようとーー」
温和に見えたり見えなかったりすることはないだろう。温和な人間は女が見ても温和だし、そうでない人間は男にとってもそうだ。まれに女にだけ高圧的な輩もいるが、そもそも碌な性根をしていないので物の数に入れる気にもならない。
「でも、よく女に好かれる」
口調に納得いかない調子がある。だが、誇らしくも思っているようだった。
「よい男だもの」
螢火が言うと、なぜか白目が「そうかぁ」と嬉しそうだ。
「よい男かな」
うん、そうか、よい男かな、と何度か反芻する声が聞こえた。
でも、と螢火が続ける。ひと呼吸おくと、白目の男がこちらに注視しているのを感じた。その先を待っているらしい。こんなに素直で、忍び働きが出来るものだろうか。
「少し怖い」
腰を下ろす音がした。静かな息の音が近くなる。
「まあ、なあ」
殴られてたもんな、と男が言った。男が螢火の顔を覗き込む。
「腫れてるぞ。冷やした方がいいんじゃないか」
「寒いから、いいです」
「そっか」
螢火はしげしげと男の白濁した両眼を見つめた。
「いいのですか」
「何がだ」
螢火は、己の小袖にすがりつくようにして眠る二人にちらと視線をやる。
「誘拐した相手と仲良くして」
ああ、と男は小さく吐息に似た返事をした。
「もうさ、おれは忍術学園の奴らが出てきた時点で諦めてる。忍術学園と関わって仕事が上手くいった試しがねぇもん。あの人は真面目だからきちんと仕事するけど」
おれはもういいや、と抱えた膝に頭を埋める気配がした。長い溜息が聞こえる。
「ねえ」
「なんだよ」
「寄ってほしいんです」
「はァ?」
「寒いから、寄ってほしいんですけれど」
白目はしばらく悩んでいたようだったが、本人も寒さに耐えかねていたのか、螢火の被衣に潜りこんだ。螢火はぎょっとして身を固くする。寄れとは言ったが、そこまでしろとは言っていない。警戒心に欠けすぎではないか。
触れていると、嘘がつきにくい。嘘をついても、顔が近いと見抜きやすい。だが、ここまで近いとこちらも動揺する。
鈍く扱いやすいが、思慮が浅い分、こちらの思いもつかない行動をするものだから肝が冷える。螢火は少しだけ凄腕に同情した。
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