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フラマート☆アタック

 今晩、副宰相が屋敷に来る。と帰るやいないやシャプールにそう告げられ、ジラは驚愕に目を剥いた。

「ふくさいしょう!?」

 いくら政治に疎い自分でも、それが偉い人間なのは言われなくとも分かる。シャプールはジラの吃驚の声を何と勘違いしたのか「簡単に言うと、国で三番目に偉い。国王、宰相、副宰相だ」と丁寧に解説してくれた。いらぬ世話である。余計緊張する。

「ど、どうしましょう! 副宰相様に食べさせられる料理なんて用意していませんよ! 今から市場に!? で、何か作りますか!?」

 今晩の夕食はすでに用意してしまったし、日も傾きかけている。わたわたと慌てるジラにシャプールは「いいや」と低く呟いた。

「いらん。なんでもいい。何を食べさせても、ぶん殴りたくなる」

 なんだそりゃ、と怪訝な顔をするジラの耳に、表から人の声が届いた。声の主は若い男であった。男は貴公子めいた顔に笑みを浮かべ、ジラの姿を見とめると「ああ」と声をあげた。

「君がジラだな、噂は聞いている。私はナルサスだ」

 ジラがちらとシャプールを見ると、シャプールは二度浅く頷く。どうやら本当にこの人が副宰相であるらしい。大層な肩書に似合わぬ軽やかな佇まいである。
 ジラはおずおずと答えた。

「副宰相様、お、お待ち申し上げておりました」
「王宮外の者に副宰相と呼ばれて喜ぶ趣味は無い。ナルサスでいい。もしくは、宮廷画家、と」
「は、はぁ……」

 宮廷画家? と顔をひきつらせるジラを無視して、ナルサスは笑顔で手を差し出してきた。なんだ、案外とっつきやすい良い人じゃないか、と笑顔でその手を握り返そうとすると、すっとその手が引っ込められる。ナルサスの笑みもすっと引っ込められる。

「なるほど、握手を行う文化圏の人間か。興味深いな」

 真剣な表情でナルサスは言う。ジラは虚しく宙ぶらりんの自分の手と、自分の胸と、ナルサスを順番に指差し、シャプールの方に困惑のあまり無表情になった顔を向けた。

「これは、人種差別ですか?」
「気にするな、誰にでもそうだ」

 うんざりした調子で答えられ、ジラはひどく不安になった。




 かちゃかちゃと食器の音を聞きながら、ジラは冷や汗なのかよく分からない汗を首筋にかいていた。本当にこんなもの、副宰相様に食べさせていいのだろうか。今日は残り物を始末するつもりで品数こそ多いが、雑多なメニューである。どちらも主食の鶏肉の麦粥と固くなったエクメクが並んでいるし、他の料理もとてもではないがジラが王宮で頂いたような御馳走には程遠い。主人であるシャプールがあまり酒を嗜まないから、酒の用意もない。料理は下手ではないが、所詮は家庭料理である。
 二人は、無難な会話を交わしながら、綺麗に皿を空けていってくれる。給仕をしながらジラは、はて、ぶん殴りたくなるとはどういうことかと首を傾げた。
 せめて少しでも食卓に花を添えようと、ジラは切り分けたムハレビに糖蜜漬けの果物を添えて食後のデザートに出す。それを見たシャプールは、わずかにそわそわした。ジラは素知らぬふりをして、少しだけ大きく切り分け、一粒だけ葡萄を多く乗せた方をシャプールの方に渡した。そうでなければ後でうるさい。この新しい主人は、強面に似合わず大層な甘味好きなのである。
 ジラはナルサスの傍らに立ち「お飲み物はどうなさいますか」と尋ねた。

「そうだな、チャイを頼む」
「かしこまりました」
「パダフシャーン産の茶葉をじっくり蒸らしてくれ。砂糖は匙三杯、羊乳を匙一杯、羊乳はよくよく温めてから足してくれ。もちろん沸騰はさせずに。シンドゥラのシナモンをほんのひとつまみと、もしあればで構わないのだが、バニラビーンズを少しきかせてくれ。混ぜる順序は、茶葉、砂糖、火からおろして乳、供する直前にシナモンとバニラビーンズだ」
「…………今のなんの呪文ですか?」

 ジラは不可解そうな顔を隠すことも出来ずに聞き返した。

「パダフシャー……」

 もう一度最初から復唱し始めたナルサスを、シャプールが遮る。

「残念だがナルサス卿、今日は急な来訪であったから茶葉を切らしておりましてな。アイランしかお出しできませぬ。そうだな、ジラ」
「……へ?」
「そうだな、ジラ」
「あ、ええ、はい、申し訳ありません。粗忽者でして」

 シャプールの言わんとすることを察して、ジラは慌てて頭を下げた。ナルサスは鷹揚に手を振る。

「何、構わぬ。アイランか、久しぶりだな。塩は岩塩を丁寧に砕いたものを二つまみ半、氷を入れた水を使い、長いヘラでよくよく混ぜてくれ。右回りに50回、左回りに5回が好ましい」
「…………わかりました」

 まあ、若干、状況は良くなったのだろうか。ジラはひきつる唇を必死に笑顔の形にした。

 もぐもぐとムハレビを頬張るシャプールを、ナルサスはまじまじと見つめた。

「如何いたした、ナルサス卿。そう見つめられては食べにくいのだが」
「いや、シャプール卿、見たところおぬしは菓子が好きなようだが」
「いえ、別に好きというわけでは……」

 万騎長たるシャプールが、甘い菓子を好んで食べるというのはなかなか恰好がつかないらしく、そう口ごもる。

「ときにだシャプール卿、甘味を好む人間は一般的に愛情不足という側面が否めないということをご存知か。砂糖の摂取によって人間はかりそめの幸福感を得ることが出来る。それは人間が愛情深い接触を行ったときの幸福感に似ているからだ。見たところシャプール卿は両親の愛情に飢えているようには見えないから、おそらくは良い伴侶が得られぬ飢餓感を甘いもので満たしているのだろう。口唇への刺激はそのまま性的な刺激の代替ともなる。他人の嗜好にどうこう口を出すつもりはないが、もしシャプール卿が愛に満ちた性行為の代替として甘味を嗜好しているのだとしたら、これは心身に良い習慣とは言い難いと思う。速やかに改善すべきだ」

 ナルサスは一息に言った。途中からまた始まったと言わんばかりの顔をしていたシャプールは、ナルサスが満足げに言い終わった後で言った。

「ナルサス卿、無礼を承知で言わせてもらう。うるせえ」
「……すまん、心からの忠告であったのだが」

 素直に謝るあたり、悪い人ではないのかもしれない。ものすごく面倒くさい人ではあるが。ジラはよく冷えたアイランを食卓に供する。ナルサスは一口飲むと、美味しいと言ってジラに笑みかけてきた。

「ジラ、おぬしは本当に料理上手なようだ」

 手放しに褒められ、ジラは照れて頬を赤くする。

「安く傷みかけた食材と、簡便な調理法にも関わらず、まずまず食べられる食事を作る。実に合理的だ。あと一歩で貧乏くさい食卓に堕しかける危険性をはらみつつ、実にギリギリで質素な食事という範囲に留まっている。すばらしいバランス感覚だ。私には得られぬ技術だよ。いったいどういう修練を積めばその感覚を掴めるようになるだろうか」

 途中から半ば白目を剥きながら聞いていた。作り笑いは完全に崩壊し、笑みとも憤怒ともつかぬ顔をしている。

「ナルサス様、無礼を承知で申し上げます。うるせえ」
「……すまない、褒めたつもりだったのだが」

 しょげるナルサスを見ると、なんだか申し訳ない気持ちになる。だが、この男の言い方は、面と向かって「ばーか! 貧乏人!」と言われるより腹立たしいのだ。一種の才能であろう。
 シャプールはジラに耳打ちする。

「ナルサス卿は、前王の怒りを被り放逐されたのだ」
「ああ、前王陛下は随分懐の広いお方のようです。私なら殴り殺してる」
「同感だ」



 

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