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そういうことは先に言え

 今まで自分のことを類稀なる強運の持ち主だと思っていた。故郷はパルスに滅ぼされたが、村で自分だけ生き残った。奴隷として売られるも、パルスの富豪で人徳家の主人に買われ娘のように可愛がられた。今度はパルスがルシタニアに侵攻され、主人の豪邸は火を放たれ主人と使用人のほとんどは死んだが、自分は生き残っている。ルシタニア兵に手籠めにされ惨殺されるところであったが、急遽始まった拷問ショーのためにそれも免れた。
 だが、ひょっとすると。ひょっとすると、だ。これってめちゃくちゃ不運なのでは!? だって、強運ならそもそも村が焼け落ち全滅なんて目には遭わないだろ!
 そう、ジラは気の荒いルシタニア兵に思いっきり顔をぶん殴られながら思った。
 頭がぐらぐらした。ルシタニア兵がパルス語を解さないのをいいことに「分かりました豚野郎」と返事をしたのがまずかっただろうか。もう少し従順に拐されていればよかった。

 ジラの体はよろめき、大勢の兵士の手や足によって押し合いへし合いされ、荷馬車の上で公開拷問をしていたボダンの足元に這いつくばる。乾いた血の上に真新しい血がこびりついた荷馬車の板は、肉の腐ったようなひどいにおいがした。
 ボダンはジラには分からぬ言葉で「無礼な敵国の売女め!」と地団太を踏み、金切り声をあげる。ああ、やっぱり私は強運なんかじゃない、とジラは思った。同時に、ああ、悪口というのは言葉が分からなくとも結構通じるものだな、と反省した。

 それよりジラは己の耳元でぶうぅんと虫の羽音がする方が気になった。ひょいとそっちを向くと、軍馬と兵士の血を好きなだけ吸ってまるまるとした虻が、元気よく羽ばたいている。虻は人間どもの喧騒をものともせず、一番の大好物に向かって飛んでいった。つまり、汗をかいた馬車馬の、大きな尻にだ。
 拷問荷馬車を牽いていた四頭のうち、一番大柄な鹿毛馬がぶひいぃといななき、派手にしりっぱねした。あれだけ大きな虻だ。相当痛いだろう。混乱は瞬く間に馬たちに伝染し、四頭の馬の巨躯が地を踏み鳴らして狂乱する。
 御者があわてて手綱をとろうとするが、痛みから逃げようとした鹿毛馬が急に走り出したことで大きく揺れた荷馬車から、まるで玩具のように振り落された。ボダンもその取り巻きも、次々に悲鳴をあげて落ちていく。
 柱にくくりつけられていた血まみれの男と、床板に蛙のようにへばりついていたジラだけが、荷馬車の上に残った。今にも振り飛ばされそうになるのを必死にこらえるジラに、男は叫んだ。

「おい! 娘!」
「ひゃああぁぁぁなんですか! 取り込み中なのが見えませんか! 縛り付けられてる人はお気楽でいいですね! 振り落される心配がありませんから!」
「おまえ! 馬車は操れるか!」
「操れそうに見えますか! 操れたところで今出来るわけなかろーがァ!」

 恐怖に任せてジラは自暴自棄に怒鳴り返した。ジラの剣幕に柱の男はぎょっとした顔をする。

「あああああこれ止まるの!? たすけて! 誰かたすけてー! とめてー!」
「怒鳴って止まるならおれもそうしている!」
「じゃあ、そうしてくださいよ!」
「今のは皮肉だ!」

 ルシタニア軍から荷馬車はずいずい離れ、エクバターナの城門に突進していく。あそこに真正面からぶつかったら、多分死ぬ。ジラは顔を青くした。背後からはルシタニア軍の矢が雨のように降り注いでくる。

「ど、どうしたらいいんですか!」

 ジラは柱の男に怒鳴る。男は血だらけの顔でにっと笑った。

「おぬし、信仰する宗教は?」
「イアルダボート以外ならなんでも信じてやるって気持ちです!」
「そうか、奇遇だな、おれもだ。好きな神に祈ってろ」
「なんて!?」

 答えを聞く間もなく、ジラの胃袋は引っくり返る。城門ぎりぎりまで駈けた馬が、大勢のパルス兵に驚いて急に方向転換したからだ。平衡を失った荷馬車は、轟音と土埃と共に横転した。ジラはその拍子にぽーんと放り出され、死体が浮く濠に背中から落ちた。水飛沫が派手に上がる。
 ジラはもがきながら明るい水面を目指す。ざぶんと水面を切るように現われた大きな手が、ジラの手を力強く握って引き上げた。久しぶりに空気を吸った気がして、ジラは大きく深呼吸を繰り返す。そして、目の前の立派な鎧を着こんだ中年の男を見た。

「万騎長シャプールを救ってくれて、心の底よりお礼を申し上げる。貴女には感謝してもしきれない」

 ジラは目をぱちくりさせた。壊れた荷馬車の残骸に大勢の兵士が寄って集り、口々に歓喜の声をあげている。城壁に居並ぶ兵士たちも、武器を放り投げん勢いで喜んでいるのを見て、ジラは初めて己が偶然の成り行き上とはいえ救った男が、大変な大人物であることを知ったのだ。
 己の悪口雑言無礼の数々を思い出し、ジラは顔を青くする。

「……ルシタニア兵に捕まった間抜けな兵士だと思ってたのに」

 そう呟いたジラの言葉は、歓声に紛れて誰にも聞こえなかった。

 


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