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La Sirenetta・1
夜、見張りの目を掻い潜って狭苦しい城から海へと出た。
静かに凪ぐ海面から顔を出して近くに突き出た岩に凭れ星を眺めるのは日課のようなものだ。
ただ、その日だけは普段と違っていた。
砂浜を人が歩いている。長く伸びた銀髪が月明かりを反射して煌めき、遠目から見てもとても綺麗。その人は立ち止まって、別に何をする訳でもなくただ酷く優しい表情でずっと海を眺めていた。何故だか目が離せずに、自分も海を眺めるその人をずっと見ていた。
どのくらい時間が経ったのかはわからない。
その人がくるりと踵を返した時、その人の目が自然とこちらを向いた。もちろん自分もずっとその人を見ていたから、こちらを向いた時にはっきりとその人の顔が見えて、たぶんその人にも自分の姿が見えたと思う。
遠くからでもはっきりとわかるくらい、視線が絡み合った。

「…っ!」

心臓が跳ね上がる。訳もわからずに海に潜って、がむしゃらに泳いだ。漸く城に戻った時には既に空が明るんでいて、部屋の窓からただぼんやりとシルクのように輝く天上を眺めた。
ベッドに転がってしまえば先程のことは夢なんじゃないかという錯覚に陥りそうになる。けれどそれはきっと夢でも何でもなくて、よくわからないけれどただ一つはっきりとわかっていたことがある。
あの日、ミーは生まれて初めて恋をしました。



それからというもの、昼夜問わずに海に出て例の岩に凭れながら海岸とその向こうの世界を眺めるのが日課になった。
その人は一日に一度海岸を散歩するのが日課のようで、大抵は昼や夕方に砂浜まで歩いてくる。初めて見た時は一人だったけれど、時々誰かと一緒に歩いていることがあった。
よく一緒にいるのはなんとなく城の召し使いと格好が似ている人達と、月の光に似た銀髪のあの人とは対照的に太陽のように明るい金色の髪の人。
その金色の人は陽気な笑みを浮かべてよくその人に話しかけるけれど、その人はあまり表情を変えずに適当に相槌を打つ。仲がいいのか悪いのかよくわからなかったけれど、友人なのかな、と勝手に思った。
ずっと遠くから見ていてわかったことは、その人は大抵無表情で、誰かといる時もいつも仏頂面か眉を寄せて不機嫌そうな顔しかしないということ。けれど初めて見た時のように真夜中の海を一人で眺めている時だけ、あの優しい表情を見せた。その表情の違いにまた惹かれて、あの人のあんな表情を知っているのは自分だけなのかもしれないと思うと優越感が胸を満たした。



「なあフラン、ボスが呼んでる」

ソファーに寝転がりどこから取ってきたのか人間のドルチェをかじりながら、柔らかな金糸を跳ねさせたベルフェゴールにそう告げられた。あ、この人一応ミーの兄で王位継承権を持った第一王子なんですけどー、母親違いますし嫌いなので堕王子って呼んでますー。因みにボスっていうのは王でミー達の父親のザンザスのことなんですけど、海の王者ってことでみんなからは王様とか陛下じゃなくてボスって呼ばれてるんですよー、変ですよねー。
そのボスがわざわざ呼び出すなんて珍しい、玉座の間に向かおうとするとミーが叱られるとでも思ったのか堕王子が面白がってついてきた。この人本当面倒ですー、いっそまるごと魚類になればいいのに。

「ボスー、何か用ですかー?」

玉座の間に入るといつも通り不機嫌そうな父の姿が目に入った。だけど雰囲気がいつものそれよりも厳しい。嫌な予感がして思わず表情が強張った。

「貴様、毎日海上に出て何してる」

ぎくりと体が硬直した。
当然だけど人間は人魚の存在なんか知らない。空想の生き物だとさえ思っている。人魚達の住む『イデア』(古い言葉で理想郷という意味だ)は人魚しか見つけられない秘密の場所で、人間には見つからない仕組みになっているから、今まで人間と干渉して生きるということは無かった。
そして人間と関わるのは、人魚達の大いなる禁忌と遠い昔からされている。

「…別に何も、」

「人間を見ているそうだな」

きゅっと唇を噛んだ。兄が驚いたような視線を向けているのを感じる。それと同時に、目の前に君臨する王の凄まじい憤怒も。

「二度と外海に出るんじゃねぇ」

「なっ…」

威圧的な言葉、それは『王』としての命令であり強い権限を持っていた。
そんなのあんまりだ、つまりそれは城に軟禁されるのと同じではないか。
別に話しかける訳でも近付く訳でもなくて、ただずっと遠くから見ていただけなのに。見ているだけでよかったのに。
黙って聞き入れられる訳がなかった。

「…やです」

「なんだと?」

今まで逆らったことなど無いから、今回も大人しく従うと思っていたのだろう。
小さな反抗に、目の前に猛る憤怒が更に膨れあがるのがわかった。正直に言えば怖い、震えそうになる体を叱咤して、今度は先程と比べ物にならないくらい大きな声を叩き付けてやった。

「絶対に嫌です!」

普段なら出さないような叫びにびっくりしたような表情を浮かべるベルフェゴールに対し、ザンザスは何も言わない。

「そんな命令されるんだったら、家出してやります!」

「…ちょっ、フラン!?」

部屋を飛び出したフランをしばらく呆然と見ていたベルフェゴールが追う。しかし既にフランの姿はどこにも見えず、城門に佇んだままベルフェゴールはくしゃくしゃと自身の髪を掻き乱した。
今日は久しぶりにやってくるあれが一段と酷い日だというのに。



一方、城からだいぶ離れた場所まで来たフランは、やけに静かな周囲の海に不気味さすら感じていた。
普段なら色とりどりの魚達が優雅に漂う珊瑚礁が、今は何も見当たらない。
近くに見える生き物といえば、ゆらゆらと触手をくねらす磯巾着だけ。
しばらく触手の動きを眺めていたフランは、ふと思い付いて磯巾着の中へと話しかけた。

「クマノミさん、いますかー?」

すると案の定というか、くねる触手の中からひょこっと顔を出したオレンジと白の縞模様。

「なんか誰もいないんですけどー、なんでかわかり……え?」

ぱくぱくと口を開閉させて教えてくれたクマノミは、用は済んだとばかりに急いで磯巾着の中へと引っ込んでしまった。
そうだ、忘れていた。
今日は何十年に一度という、酷い嵐が来る夜。
思い出した途端に、ざあという不気味な音が近付く。次の瞬間には凄まじい力が全身を襲い、意識が遠退いていった。

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あきゅろす。
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