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モリの場合B
 この世界には番と呼ばれる自分にとって唯一の存在がいる。かの国の王族の番は、発情期の香りに十二分に満たされると卵殻が形成されると言われている。



 ルガ国に新たな王子が誕生したという知らせは、国境を越えてハクコ国にも幸せなニュースとして取り上げられていた。

「可愛い……髪色や目元はカルガ様似ですが、雰囲気はリュウ様のように穏やかです。」
「駄目だからね。」
「……まだ何も言ってません。」
「そう?モリが今にもルガ国へ飛んでいきそうな顔をしているから、ついね。」
「ぐ……。」

 テレビで何度も放映されても見飽きることのない愛らしい姿からようやく視線をイセへと向けたモリは、満面の笑みを浮かべる番に唇を尖らせる。

「そんな可愛い顔をしても駄目だよ。モリは俺の番。既にハクコ国の王族なんだから簡単にはルガ国へ入国できない。分かった?」
「……わ、分かりました。」

 イセの言葉に、モリは渋々頷いた。
 最近、イセはこうして使用人としての習慣が抜けないモリに、言葉で行動を制限するようになった。制限と言っても、廊下を走るな、食後の珈琲は禁止、夜は必ず今日あったことを隠さず伝えろ等、可愛いものだが、理由が分からずにいるモリは少しずつ不満がたまっていく。

「今日は少し会議があって遅くなるから、夕食は一緒にとれない。夜には戻るから。」
「はい。」
「あー……そうだな。何か食べたいものはある?」
「え?今昼食をとったばかりなので何も。」
「果物とかはいらない?」
「いらないです。」

 こういった会話もここ最近多くなっていた。何か欲しいものはないか、食べたい物はないか、としつこいくらいに聞いてくるのだ。

「早く行かなくていいんですか?」
「つれないなぁ。じゃあ、行ってくるね。」

 ギュッと抱きしめられ、首筋にイセの鼻が触れる。そのままたっぷりと匂いを吸い込むと、満面の笑みでイセは部屋を出ていった。
 扉が閉まるまで姿を見届けると、モリは大きなソファーへと体を沈めて、小さくため息をついた。

 相変わらず、モリにイセの匂いは届かない。

 イセが発情期にならなければ匂いを感じることができないため、匂いに気付いたら気付いたで、嫌でも顔が熱くなってしまい困るのだが。
 それでも、モリの周りに存在する番達が幸せそうに互いの香りを嗅ぐ行為を目にすると、胸が痛んだ。朝のイセの行動も無意識だと分かっているが、モリにとっては少し辛いものだった。

「……はぁ。」

 番の匂いではなく朝食のステーキの匂いが残る部屋。
 もやもやとする胸を押さえ、モリはソファーに身体を預けたあまゆっくりと瞼を閉じた。
 食後すぐに眠るのは良くないと分かってはいるが、最近酷く眠くなる。今日も睡魔に負けて、昼食の準備を終えた使用人に起こされるまでモリは眠り続けてしまった。



「お待たせしてすいませんでした。」
「大丈夫ですよ。それよりモリ様の体調は大丈夫ですか?勉強熱心なのは良いことですが、ご無理は禁物です。」
「いえ、最近すごく眠くて……いつの間にか眠ってしまうんです。」
「ほう……少しお疲れなのかもしれませんね。」
「働いていないのに疲れるなんて可笑しい話ですよね。」

 慌てて昼食を終えたのだが、約束していた時間よりも僅かに遅れてしまったことに落ち込むモリに、ゾシュは静かにホットミルクを差し出した。
 いつもなら甘い菓子と珈琲か紅茶なのだが、これもきっとイセの指示なのだろう。
 苦笑しながら、ゆっくりと口にしようとしたその時。

「……っ。」

 ふわっと香ったミルクの匂いに、モリは慌てて口を押えた。

「モリ様?」
「……すいませ……少し、急いで食べ過ぎ……うっ。」

 子供の頃から体は丈夫だと言われていた。
 城に流行風邪が横行していたときも、伏せる主を世話をしていた自分がうつることはなかった。
 吐くなど、子供の頃に高熱を出したとき以来だ。

「すい、ま……っ。」
「すぐに医者を。モリ様にもご連絡を。」
「分かりました。」

 口を押えたまま机に額を押し付けるモリの耳に、ゾシュの的確な指示が聞こえる。
 優しく背中を撫でられる手がイセの物ではないことに寂しさを感じながら、モリは歯を食いしばった。



「モリッ!」

 イセが見たこともない形相で部屋に飛び込んできたのはそれから数十分後のこと。
 すぐに吐き気は収まったのだが、ゾシュの指示により無理矢理寝かされたベッドで檸檬水を飲んでいたモリは、その表情に眉を下げた。

「あ……すいません、今日は忙しいと言われてたのに……。」
「も、もう大丈夫なのか?」

 珍しく額に汗を浮かべ、服も所々乱れ、誰が見ても全力で走ってきたのだと分かる。自分のことなどお構いなしで、恐る恐る頭を撫でるイセの手に、モリの口から自然と安堵の息が零れた。

 匂いが分からなくても、ちゃんと分かる確かなものがあった。

「大丈夫です。早く食べることには慣れていたはずなんですが、最近ゆっくり食べることが多かったので胃が吃驚したみたいで。」
「……っ、よか……た。」

 頭を撫でていた手が背中へと移り、強く抱きしめられる。何度も良かった、と繰り返すイセに、モリは思わず笑ってしまった。

「今日はちょっと失敗しましたけど、一応体は丈夫なんです。心配かけてすいませんでした。」
「……めだ。」
「え?」
「やっぱり駄目だ。これ以上モリと子供に負担がかかるのは良くない。これからは勉強会もゾシュにこちらへ来てもらおう。食事もそうだな、あまり匂いの強くないものに変更してもらって……一応軽い運動はした方がいいが、落ち着くまでは散歩くらいにしてほしい。」
「……はい?」

 自分を抱きしめたまま、呟き続けるイセの言葉はモリの理解の範疇を超えていた。

「あとは飲み物か。ホットミルクは禁止で、あぁ、檸檬水は飲めるみたいだな。柑橘系のジュースを取り寄せよう。あとは……。」
「ちょっと待って。待って下さい。」
「ん?大丈夫だよ、モリの希望はいくらでも聞くから。王族の番は代々悪阻が酷いからね。使用人達も慣れているよ。」
「つ、わ?」

 先程の必死な顔とは一転して満面の笑みで自分の腹を撫でるイセに、モリは顔を引き攣らせる。
 無意識に服を握りしめていた手で、イセの胸板を強く推して距離を取ると、モリは大きく息を吐いて顔を伏せた。耳まで真っ赤に染まった状態ではイセに表情が丸わかりだったのだが。

「もしかして……ら……卵殻、が?」
「2回目の発情期で卵殻ができたのは確認したよ。この前しっかり受精させたつもりだったから、そろそろかな、と。」
「そっ!そういうことは……早く、言って下さいっ。」
「あ、この国では常識だったから、誰も言わなかったのか。」

 震えるモリの左手に、イセは自分の指を絡めると、指にぴったりと嵌っている番の証に口付けた。

「モリも子供も大切にする。ルガ国に負けないくらい、モリが寂しくないくらい、たくさん家族を作ろうね。」
「……っ。」

 更に真っ赤に染まった耳を見て、イセは幸せそうに微笑んだ。



終わり。


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