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マシロの場合
ムードメーカー×寡黙男子


 この世界には番と呼ばれる自分にとって唯一の存在がいる。香りの強さには個人差があるが、感情の起伏が影響していると言われている。



「行ってきます。遅くなりそうなら連絡するから。」
「うん。」

 本来の年齢よりも大人びた顔に満面の笑みを浮かべるロキの言葉に、マシロは小さく頷き、忙しそうに飛び出す番の後ろ姿を見送った。
 マシロの部屋に泊まるときは交代で作ろうと約束した朝食。今日はマシロの番で、適当に切ったサラダと焼いただけのトースト、インスタントの珈琲といった簡単なもの。それでも、ロキは嬉しそうに食べ、まだ部屋にはロキの心地よい白檀の香りが残っていた。
 その香りの中で深呼吸し、マシロも仕事に出かける準備を始める。


『あ、あのっ、初めまして。』
『……え?……あ。』

 大型文具店の在庫管理担当として、あまり表に出ず、裏で働くマシロを見つけたのもロキの方だった。
 たまたま、調整しなければいけない案件ができたため、表に出ていた店長へ報告に来ていたマシロの香りを、客として来店していたロキが嗅ぎとったのが始まり。
 番との出会いに興奮し、まだ高校生らしいキラキラした表情を浮かべたロキに、マシロは内心酷く困惑した。

 相手のことを考えて話しなさい、という厳しい祖母の指導により、色々と考えて考えて話す癖を身に着けてしまったマシロは、中学に上がる頃には返答の遅い無口な男というレッテルを張られてしまったのだ。
 相手のことを考えているにも関わらず、マシロにその質問を向けた相手は長時間の無言に耐え切れず怒って離れてしまう。怒りの言葉を浴びるのが怖く、不快な思いをさせないよう余計に色々と考えるようになった。
 そして気が付けば、マシロの友人は根気強くマシロの返答を待ってくれる者か、マシロと同じくらい物静かな者ばかりになっていた。
 だからこそ、マシロはロキと出会ったときに困惑せざるをえなかったのだ。

 艶やかな深緑色の髪も相まって高校三年生にしては大人びた顔とは対照的な、明るい水色のキラキラな瞳を更に輝かせながら、友人たちに嬉しそうに番がいたことを報告し、祝われるロキの姿は、マシロのまわりには絶対にいない、否、まわりから離れていった人種そのもの。

『俺、ロキって言います!連絡先教えてくださいっ。』
『あ……うん。』

 明るく元気なロキに圧倒される形で、マシロは連絡先を教え、ロキが大学生になった今は、よく泊まりに来るようになった。高校生の頃より、少しだけ大人の世界を覗き始めたロキは、出会った頃より更に格好良くなり、泊まりにくるときは楽しそうに自分に起こった出来事をマシロに話してくれる。
 マシロの方は相変わらず変化のない生活のため、頷きながら聞くことしかできなかったが、話しながらロキが楽しそうに笑うたびに強くなる白檀の香りに幸せを感じていた。
 しかし、時折、ロキがアルバイトを始めて一緒にいる時間が減ったここ最近は更に、自分がロキの番で本当に良いのかと思うことが多くなった。

 自分は何も返せない。自分はロキの話を聞いて楽しいけれど、ロキは?ほとんど喋らない自分といて、本当に幸せ?

 ガシャンッ

「あっ?!」

 突然大きな音が部屋に響き、慌てて意識をそちらへ向けるたマシロは、自分が落とした物に気付き、顔を青ざめさせた。
 床で真っ二つに割れたマグカップは、ロキがまだ高校生の頃、お揃いにしようと買ってマシロの部屋に強引に置いていったもの。形は同じだが、色は互いの瞳に合わせた淡い灰色と水色があり、ロキがいつも灰色を使うため、最初は恥ずかしさもあり抵抗していたマシロも、今では水色の方を自然と手にしていた。
 床に散らばった綺麗な水色の破片を必死に集め、マシロは唇を噛みしめる。その唇は、いつもの柔らかな朱色を失っていた。



「先輩、相談があるんです。今日、付き合ってくれませんか。」

 仕事もひと段落し、誰からともなく帰宅の準備を始めていたフロアで、マシロは比較的入社時期の近い、教育担当でもあった先輩のもとへと向かった。仕事以外話しかけてくることのない後輩からの相談に、相手も驚きの表情を浮かべる。

「大丈夫だけど、どうした?やっぱり体調悪いんだろ。」

 珍しく遅刻ギリギリに出社したマシロを、こっそり心配していた先輩は、普段以上に無表情な、色を無くしたマシロに、眉を潜める。

「違います……その。」

 長い沈黙を破り、震える声で告げられた相談に、先輩は目を見開き、笑みを浮かべた。

「いいよ。お前に頼られたら、手伝わないわけないはいかないだろ。」

 グシャグシャと髪をかき混ぜられながら、マシロは小さくため息をつく。何故か意気揚々と準備を始める先輩に、いつもより少し大きい鞄を握りしめた。

 その後、他の社員からプレゼントマスターと崇められる先輩の恐るべきリサーチ能力により、目的の物を手に入れたマシロは、自宅へと急いだ。
 小さな声で必死に内容を先輩に伝えた後、携帯画面に映ったマグカップを見せられ、珍しく笑みを浮かべていた姿をある人物に見られていたとも知らずに。




『ごめん。今日も行けない。』
「……うん。」

 携帯電話越しに申し訳なさそうな声が聞こえ、マシロは零れそうになったため息を慌てて飲み込む。
 通話を切った後、無意識にカレンダーを見るようになったのはいつからだろうか。
 ロキに謝ろうと、必死に同じマグカップを見つけたその日から、ロキはマシロの前に姿を見せなくなった。
 最初はアルバイトや試験で忙しくなったのだろうと思っていたが、一週間、二週間を経過した頃から、ロキが自分のところへ来るつもりがないのだと、薄々分かってきた。
 行けない、と電話はあるが、出会ってから三日に一回は必ずロキが押しかけてきていたため、急に部屋が静かになったように感じ、マシロは堪らずソファーに体を横たえる。
 机に置かれた、ラッピングされたまま開けられることのないプレゼントをジッと見つめ、ため息をこぼした。

 何で?やっぱり、つまらなくなった?
 番でも、嫌になることってあるのかな。
 ロキは俺に会いたくない?

 考えれば考えるほど、嫌な方向に行ってしまう。
 考えれば考えるほど、苦しくなる。
 切ったばかりにも関わらず、またロキの声が聞きたくなり、マシロは黒くなった携帯画面を握りしめた。

 番だけど、やっぱり、ロキに俺のような人間は合わないのかもしれない。
 飽きちゃった?
 嫌いになった?
 何も喋れないから、一緒にいるのが、嫌になった?

「……ロキ。」

 相手のことを考えて話しなさい、という祖母の言葉が何度も何度もマシロの頭に響き続ける。
 相手のことを考えて、と何度も声に出さず復唱し、携帯を更に強く握りしめた。

 プルルルル、プルルルル

「……。」

 十数分前、自分と話していたにも関わらず、ロキが電話に出ることはない。無機質な音を聞き続けながら、マシロは視線を床へと落とした。
 やっぱり、と電話を切ろうとしたそのとき。

『……もしもし。』
「あ……ロキ?」
『ど、どうしたの?』

 ようやく聞こえた声に、ほっとしたのもつかの間、珍しく焦ったような声に、やはり自分から電話をするのは不味かったのかと胸が痛んだ。

「ごめん……ちょっと、話がしたくて。」
『マシロさん?』
「あのさ…………。」

 ロキは俺と会いたくないんだろ?
 俺がロキの周りの人とは違うから、つまらないんだろ?
 番じゃなきゃ良かった、って思ってるんだろ?

 たくさん、色々、考えて考えて、電話をかけたのに、言葉にするのが怖かった。この質問に、ロキが肯定するような仕草を見せたら、ロキが自分から離れていったら、そう考えるだけで携帯を持つ手が震える。

「……しばらく、距離を。」
『待って!そっちに行くから待って!』

 置こう、と全て言い切る前に、ロキが慌てた声で通話を切った。耳元で聞こえた大声に吃驚して、携帯を床へと落としてしまう。慌てて拾い上げた頃には、通話は既に終了していた。

 ロキが汗でびっしょりになりながら、部屋を訪れたのはそれから数十分後。
 玄関を開けたマシロは、白檀の匂い弱さに眉間に皺を寄せた。

「はぁっ、はっ……。」
「はい、風邪ひくよ。」

 渡されたタオルを素直に受け取り、玄関に座り込むロキの隣にマシロも座り込む。今日で最後になるなら、少しでも近くでたくさん香りを感じたかったからだ。

「……さっきの、続きだけど。」
「っ、やっぱり俺じゃダメ?!」

 さすがにロキの顔は見れず、冷たいフローリングの木目に視線を向けながら呟いたマシロだったが、近付けていた体ごとロキに押し倒され、自分を見下ろす番の表情に目を見開いた。

「俺、もっと静かな、大人な男になるから……、だからっ。」

 いつもは満面の笑みで楽しそうに輝いていた水色の瞳から、次々マシロの顔に零れ落ちてくる温かいもの。

「捨てないでよっ、お願い、マシロさ……ううっ。」
「ロキ?」
「あ、あんな男なんか、直ぐに追い抜かしてやるっ……マシロさんも、幸せ、にするからっ。」

 覆い被さったまま離れないロキの言葉に、マシロは首を傾ける。

「……男?」
「あっ……そ、その……俺。」

 白檀の香りが更に弱くなる。ロキが視線を彷徨わせたかと思うと、再び涙を零しながら全てを吐露した。

 最近マシロの香りが薄くなっていたため、不安になっていたこと。
 偶然、マシロと男が話しながら歩いてるところを見かけ、こっそり後をつけたこと。
 店から嬉しそうにプレゼントを抱えながらマシロが男と出てきたのを見て、ショックを受けたこと。
 それを見てから、マシロに会う勇気がなかったこと。

「……ロキ。」
「ごめんなさいっ、でも……嫌だよっ、マシロさんと、離れたくないっ。」

 一際強く抱きしめてくるロキの背に、マシロはゆっくりと腕を回した。
 マシロの香りが弱くなっていたのなら、それは自分もロキに相応しいのか悩んでいたからだろう。
 二人とも、互いの匂いばかり気にかけて、ちゃんと話をしなかった。全てわかってしまえば、答えは簡単なのに。

「ロキ……ロキは俺といてちゃんと幸せ?」
「あ、当たり前だろっ!幸せすぎるから……マシロさんは?俺といて幸せ?嬉しい?」
「……うん。幸せだよ。ちゃんと言えば良かったね。」
「っ!」

 部屋に一段と濃く、白檀の香りが溢れた。
 マシロの肩に顔を埋めたまま再び泣き出したロキに、マシロは笑いながらゆっくりと背を撫でる。
 ちゃんと、ロキにもマシロの匂いが届くように。この幸せが伝わるように。

「ロキ、俺もちゃんとロキに謝らなきゃいけないことがあるんだ。」
「……何を?」


 翌日、色違いのお揃いマグカップで珈琲を飲みながら、互いの匂いに包まれ、幸せそうに笑う二人がいた。


終わり


マシロ:二十四歳。会社員。寡黙と思われがちだが、返答する内容を考察している時間が長いだけ。いつも楽しそうなロキが好き。

ロキ:十九歳。大学生。楽しいことが好き。積極的な性格。年齢差もあり寡黙で大人なマシロと自分を比べてしまう。

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