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トウヤの場合
?×真面目ッ子


 この世界には番と呼ばれる自分にとって唯一の存在がいる。しかし、匂いで番を特定できるのはこの世界のみの理である。



「トウヤー、またオニギリを作ってくれよ。」
「中身は何がいいですか?今日は塩鮭と昆布と味噌醤油です。」
「どれも美味しそうだなぁー。じゃあ……味噌醤油で!」
「分かりました。」

 入店するなり、カウンターで皿洗いをしていたトウヤのもとへ一目散に駆け寄り、もはや定位置となった席へ座るパーカーを被ったままの男。
 普通なら注意するところだが、ここはセイリュ国。多くの獣人が共存しており、差別とまではいかないが正体を隠して過ごしてきた獣人が移住してくることも多い国だ。中にはまだこうして、自分の獣部分を隠す者もいないわけではないのだ。
 手際よく少し硬めに炊いた白米に胡麻を少し混ぜ、三角形に握って、食材がくっつかないと評判のフライパンに乗せていく。ある程度焼き色がついたところで、前もって作ってあった味噌と醤油、少しだけ香辛料を足した特製のタレを薄く塗る。その途端、店には醤油の香ばしい匂いが漂った。
 ひくひく、と鼻を動かす他の客に、思わず笑みを浮かべながら、トウヤはあっという間にできた特製焼きオニギリをパーカー男へ差し出す。

「はい、どうぞ。」
「うわ、いい匂い!」

 美味しそうな香りに、男が細めた瞳は銀にも金にも見える不思議な色だ。その色を持つ瞳を、トウヤはこの世界に落とされるまで見たことなどなかった。
 働き者と称されるセイリュ国の国民。その多くが残業も厭わず働き続け、深夜の帰宅になることも珍しくはない。それでも誰も文句を言わないのは、実力重視の国営企業がどこも残業代を惜しまず、実力や労力に見合った給料を与えるからだと店主は自慢げに話していた。
 しかし、食品販売店などは、規定通りの時間に閉店する。この国にコンビニという便利な店はない。
 そのため、トウヤの働く居酒屋のように深夜でも食事ができる場所に、残業終わりのサラリーマン達が集まってくるのだ。
 まぁ、この夜鼠食堂は店主が夜行性なので深夜しか営業をしていないのだが。

「あっち!でも、うまーい。トウヤは料理上手だなぁ。」
「これくらい誰でも作れますよ。」
「そんなことねぇよ。他の店で食べたオニギリは硬くて塩辛くてトウヤのものとは全然違った。」
「え?他の店でも?」
「そうそう。でもトウヤが作るのが一番うまい。」

 あっという間に三つ作った焼きオニギリを平らげた男に、温かい緑茶を差し出す。
 白米はあっても、オニギリという観念がないセイリュ国で、賄いとして作り始めたオニギリ。初めて店主に食べて太鼓判をもらって店の裏メニューに加えてから、一応それなりに注文はされると思っていたのだが、まさかそんなに広まっていたとは知らなかった。

『珍しいなぁ。落ちてきたのか。』

 大学へ向かうためバスに乗り、伝わる振動に眠気を誘われ、再び瞼を開けたトウヤの目の前にいたのがこの店の店主だった。
 混乱するトウヤに、まだ眠そうな顔をしながらホットココアを作り、店主はこの世界について教えてくれた。
 眠りから覚めるたび、全て夢ならいいのにと思い、見慣れてしまった景色に、あぁ夢じゃなかったんだと、落ち込んでいた日々は、一ヶ月を過ぎた辺りでもう過去になった。
 そして、店主の生活リズムに合わせて昼間は寝て、夕方から活動するようになったため、他の店の情報など分かるはずもない。

「こう、ふわっと、食べたときに、ほろっと崩れる感じが違うんだ。」
「そうなんですか。」

 身振り手振りで一生懸命表現するパーカー男に、トウヤは思わず笑いを堪える。トウヤにとっては普通のオニギリなのだが、こうも絶賛してもらえると嬉しい反面恥ずかしくもあった。
 周りがスーツや作業着姿の獣人が多い中、私服に近いパーカー男は異彩を放っていたが、誰もそれには触れない。
 セイリュ国に移住する人々には様々な理由がある。そのため、身分や素性を尋ねないのが暗黙のルールだった。このルールのおかげで、トウヤも普通に過ごすことができているのだ。
 いつも通り、男の話し相手をしていたそのとき。

「あ、いらっしゃいませ。」
「……げっ。」
「え?」

 店に現れたのは、体格は大きいものの、スーツ姿の穏やかそうな茶髪の男だ。無精髭が男らしいのだが、その頭に犬耳があるためトウヤには妙に可愛く思えた。
 いつも通り席の案内へ向かおうとしたトウヤの耳に、パーカー男の声が届き、思わず視線をそちらへ動かす。普段から明るい男が、珍しく焦っているような気がした。
 首を傾けながら、トウヤはもう一度無精髭の男へと向き直る。すると、今度は穏やかそうだった男が驚愕の表情を浮かべてトウヤを見つめていた。

「あ、あの、空いている席へどうぞ?」
「……え?……あ、はい。」

 トウヤの言葉に、男の眉間に皺が寄る。いつも通り対応したのだが、何か嫌な思いをさせてしまっただろうか、と不安が過ったのもつかの間、無精髭の男はゆっくりとした動作で、パーカー男の隣へと座った。

「……なんで分かった。」
「隊員達の努力の成果です。」

 悔しそうに顔を歪めるパーカー男に、無精髭の男の視線が少しだけ強いものに変わる。しかし、それもすぐに穏やかなものになり、トウヤへと向けられた。男に向けられるにしては、少し甘さを含んだ視線に、トウヤはどうしていいか分からずやんわりと笑いを返す。

「ご注文はお決まりですか?」
「……え?」
「え?」

 入店したときと同様に聞き返され、トウヤもさすがに首を傾けた。

「トウヤ、できたぞ。」
「はい。」

 少々居心地が悪くなってきていたところで、店主から声がかかり、トウヤはこっそり安堵の息を零すと出来たばかりの料理を違うテーブルへと運ぶ。

「お待たせしました。」
「ありがとう。それにしても、この店は有名人ばかり来るね。」
「そう、なんですか?」

 常連でもある猫耳の男の言葉に、トウヤは目を見開いた。

「まぁ、もともとここの店主が元専属料理長だってのもあるけどさ。現王子に、近衛騎士団団長まで見れるとは思わなかったよ。」
「おい、飲み過ぎだ、バカ。」
「あいたっ!」

 一緒に食べていた人にベシッと強めの音で頭を叩かれ、涙目で相手を睨む猫耳の男を労わりながら、トウヤはこっそりと先程の二人を覗き見た。
 確かに、礼儀正しい客や居酒屋に来るような雰囲気じゃない人達もよく来店していたな、と思い出す。周りにいるサラリーマン達も、トウヤのイメージにあるヨレヨレクタクタサラリーマンではなく、多少皺はあっても綺麗なスーツだ。作業着姿で大盛定食を食らうもの達は別として。

 でも王子様とか、そんなすごい人見たことないけどなぁ。

「……っ。」

 こっそり視線を向けただけなのに、パーカー男と何やらこそこそ話をしていた無精髭の男と再び目が合う。穏やかに笑うその姿に、何故か胸がドキッとした、気がした。
 それから、嫌がるパーカー男を引きずるような形で無精髭の男は店を出ていった。




「トウヤ、オニギリを作ってくれるか?」
「はい。中身は……。」
「トウヤのおススメでいい。」
「じ、じゃあ、塩鯵にしますね。」

 パーカー男の定位置だったカウンター席。しかし、そこにはいつの間にかあの無精髭男、ツツジが鎮座するようになった。パーカー男は週に二度来ればいい方だったが、目の前の男は一週間のうち来ない日の方が少ない気がする。
 本当に真夜中に来ることもあれば、今日のように夕方の開店時間直後に来ることもあった。何よりトウヤが困惑しているのは、お客に美味しいと評判の店主の食事ではなく、トウヤのオニギリと少しのツマミだけしか食べないことだった。
 気に入られたね、と店主は笑うが、穏やかだが必要なこと以外喋らないツツジは、オニギリを食べてしばらくすると帰ってしまうため、トウヤにはよく分からない。

「旨い。」
「良かったです。これもどうぞ。」

 大きな体にはそれだけで足りないだろうと、胡瓜と昆布の浅漬けにサービスして肉団子入りスープも差し出す。今日の賄いとしてトウヤが作ったもので、店主も何も言わなかった。

「ありがとう。」
「いつもオニギリだけだと体に悪いですから。」
「……ありがとう。」

 表情はあまり変わらないが、髪の毛と同じ色の茶色い犬耳がピクピクと動いており、喜んでくれたのかもしれない。

「……トウヤ。」
「はい?何かご注文ですか?」
「いや、違う。その……トウヤは何も感じないか?その、匂いとか……。」
「匂い?……あ、すいません。スープ焦げてました?」
「違う。これは旨い。そうではなく……。」

 ツツジの言葉に、トウヤは改めて匂いを嗅いでみるが、いつもの店の匂いしかしない。あえて言うならば、今日の定食であるビーフシチューの匂いが強いくらいだ。
 トウヤが困惑したのが分かったのか、犬耳がシュンと垂れた。

「すいません……俺、まだここに来て間もないので、よく分からなくて。」
「そうか……。」

 きっと獣人であれば分かる何か、なのかもしれないが、あいにく自分は獣人ではない。残念そうなツツジに申し訳なく思い、トウヤは決意をするようにゆっくり深呼吸した。

「あの、誰にも言わないって約束してくれますか。」
「ん?あぁ。トウヤとの約束は絶対に守る。」
「……俺……実は、この世界の人間じゃないんです。その、他の国って意味でもなくて……。」
「そうだろうな、とは思っていた。」
「はい、それで獣人でもないので……って、知ってたんですか?」
「俺の匂いが分からないと気付いた時点で、な。」

 店主以外に打ち明けるのは初めてだったため、緊張していたトウヤに、ツツジは穏やかに笑みを返す。最初に出会った頃より、酷く甘い雰囲気を漂わせているのはトウヤの気のせいではないだろう。

「匂い、ですか……え?匂い?」

『トウヤ、恐らく関係はないだろうが、俺にもいつ起こるかわからないからな。番、の話をしておこう。』

 以前、店で働き始めたばかりの頃、突然お客同士が立ち上がり抱きしめ合う現場に遭遇したことがあった。まわりが祝福する中、驚き固まるトウヤに、店主が楽しそうに話してくれたことがある。
 この世界にある『番制度』について。

「……か、揶揄ってるんですか?俺が、この世界の住人じゃないから、って。」
「俺達は、番の匂いに関しては絶対に嘘をつかない。互いに分かることだからな。」

 カウンター越しに、ツツジの雰囲気が更に甘くなる。震えるトウヤの腕に手を伸ばし、ツツジはしっかりと握りしめた。

「戸惑っているのは分かっている。ただ、俺がトウヤの匂いに惚れていることだけは信じてほしい。」
「……っ!」
「やっぱりそういうことか。王族第一のお前がアイツがいないのに店に通う理由がようやくわかった。」
「え?え?」

 店の奥から現れた店主は、面白そうにトウヤとツツジをみて笑っている。慌ててトウヤが周りを見渡せば、いつの間にか自分達の動向を見守っていたらしいお客が、あの時と同じように小さく拍手をしていた。

「トウヤが平気な顔をしてるから、ただの勘違い野郎かと思っていたんだけどな。」
「勘違いするわけないだろう。最高の匂いだ。」

 犬耳をピンと立てた真剣な表情で口説かれ戸惑うトウヤは、更に自分が甘い番の香りを漂わせていることに気付かなかった。


 その後、久しぶりに現れたパーカー男が現セイリュ国王子であり、自分の番であるツツジが若き実力者近衛騎士団団長であると知るのはもう少し先のこと。



終わり


トウヤ:十九歳。日本の大学生。一年前に異世界トリップして夜鼠食堂で働く。真面目ッ子。
ツツジ:二十六歳。セイリュ国近衛騎士団団長。歴代三番目の若さで就任。王子達の脱走癖に手を焼いている。犬ではなく狼の獣人。


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