月の光の下で
御曹司×引き籠り、オメガバース
いつか誰かの所有物になる自分に、自由なんてない。
「コージ、ご飯できたわよ。」
「はいはい。」
既に出社する支度を整えた母親の声に促される形で、まだ重い眼を擦りながら、専属料理長による朝から豪勢な食事が並べられた無駄に大きなテーブルの端、壁付けの巨大なテレビが見える位置に座った光慈は、手を合わせ礼儀正しく「いただきます」と頭を下げると箸を取った。
幼い頃より身に付けさせられた、綺麗な所作でトロトロのスクランブルエッグやカリカリのベーコンを平らげていく。
「すごい隈。昨日いつまで起きてたの。」
「んー、三時?」
「……よく起きれたな。」
「今食べないと、くいっぱぐれるし。」
呆れる両親に、光慈は食べたら寝ると答えた。
夜はどうしても家族バラバラに食事をとるため、料理長の負担を減らす、という名目もあるが、家族全員で食卓を囲む時間を作りたいという父親の希望もあり、光慈の家は朝食は午前七時にとることになっている。
誰かが病気で休んでいたり、急用で先に出社しない限りは、数少ない家族で近況を報告しあう場でもあった。
「またゲームか?」
「うん、まぁ。あと、近々くる。」
「そうか。もうそんな時期か。」
「うん。」
三か月に一度だけ訪れる、自分が最下層にいるのだと思い知らされる時期。
α同士の両親から生まれたにも関わらず、光慈が思春期の検査で突き付けられた結果は『Ω』という到底受け入れられないものだった。
父親似の亜麻色の髪とすらりとした長身、母親似の目尻の上がった大き目の猫目、二人の良い所ばかりを受け継いだ綺麗な顔立ちに、誰からも惹かれ、光慈は自分がαだと信じて疑わなかったのに、だ。
αの家系として、一流の作法やΩへの対応を学んでいた光慈は、その日以降、両親に検査結果を叩き付けて自室に引き籠り始めた。
いつ訪れるかわからない発情期に怯え、心配する両親にお前らのせいだと怒鳴りつけ、部屋を足の踏み場もなくなるほど荒らした。初めて発情期が来たときは、両親が購入した抑制剤を倍量で飲み、涙を零しながら自慰しそうになる手をベッド柵へと括って耐えた。誰かを、αを本能的に求める身体を恨み、罵り、悲嘆に暮れていた。
このまま何も食べずにいれば死ねるのではないか。そんな馬鹿なことすら思ってしまった。
しかし、それも三か月に一度経験するようになれば、どの程度我慢すればいいのか、少しずつ要領が分かり、二十二歳となった今では引き籠るための準備も当たり前のように始めている。
「きたらメールする。」
「分かった。引き籠ってもいいが、ちゃんと食事はとりなさい。」
「うん。」
「何かあったら言うのよ?」
「うん。」
いつも通り、迎えに来た秘書と共に出かける、α同士にしては仲が良い両親を見送り、光慈は再び自分の部屋へと戻った。
再びパソコンを起動させ、二台同時にゲームを再開させる。αとして上位で働く両親は、引き籠る光慈に必要以上のお小遣いを渡してきた。Ωである自分を憐れんでいる行為だと、自虐的になったこともあったが、今では開き直り、そのほとんどをゲームに費やしている。
ほぼ全ての機種を所持し、オンラインゲームも多いときは四台同時進行することもあった。オンラインゲームで光慈が使うハンドルネーム『ヒカリ』は一部のゲーオタからは課金額だけでなく、強さ、上手さを評価されているらしい。
「……こいつまた……。」
ゲームアカウント所持者に届くメッセージを開きながら、もはや嫌でも相手が分かってしまう名前を見つけ、光慈は面倒くさいと思いながらもメッセージを律儀に読んだ。
書いてある内容は、いつもと同じように『ヒカリ』の装備内容が素晴らしいという評価と、一緒にギルドを作りたいというもの。
他にも何度か同様のメッセージはもらっているが、ほとんどの者は全く返信も反応もしない『ヒカリ』に飽きて、または批難して離れていた。しかし、この『ファイ』と呼ばれる人物は物好きなのか、この数ヶ月しつこいくらいにアプローチしてくるのだ。彼もまた自分と同じくらい上級者の有名なプレイヤーだというのに。
いくら他人から高評価を貰っても、強敵をソロで倒しても、レアなカードを手に入れても、光慈がそれで満たされることはなかった。
キリの良いところまでシナリオを進めると、電源を切り、光慈は柔らかなベッドへと体を沈める。サイドテーブルにお守り代わりの抑制剤を置いて。
また、アレが来る。自分が自分ではなくなる、アノ時期が。
一週間の長い発情期を耐え抜き、再び毎日ゲームに明け暮れては眠る、そんな変わらぬ日々を過ごしていたとき、それは突然光慈に告げられた。
「見合いを申し込まれた。」
「……は?誰が。」
「光慈、貴方によ。私達が断れない相手、と言えば分かってくれるわね……。」
真剣な表情を浮かべる両親を前に、光慈は顔を伏せる。両親が断れないほど、つまりそれほど相手の格が違うということだ。光慈がここで嫌だと拒否して暴れたところで、両親を傷つけること以外、何も状況は変わらないだろう。
「……俺がΩだって知ってて?」
「……αだと通し続けるには、私達が囲み過ぎてしまったんだ。すまない、光慈。」
「そう。わかった。」
美味しくて好きだった、半熟卵のハムエッグも、砂を食べている気分になった。
囲み過ぎたわけじゃない、と光慈も分かっている。自分が両親に、否、両親の財力に依存しすぎてしまった結果だ。
「……いつ?」
「先方も忙しいから、今日の二十一時しか時間が取れないらしい。」
「私も仕事が終わったらすぐ行くわ。」
「……二十一時にどこ?」
父親が告げた場所は、引き籠っていた光慈でも聞いたことのある都内の高級ホテルのスイートルーム。
急に予定が決まったにも関わらず、そんな場所を抑えられる力のある見合い相手に、光慈はテーブルの下でふるえる手を握りしめた。
所有される側になるということは、こんなにも恐怖を覚えるのか、と。
「じゃあ、いってきます。」
「うん。」
「スーツは後で準備したものを送るから。」
「分かった。いってらっしゃい。」
心配そうな両親を見送り、珍しく両親の背中が見えなくなるまで、ずっと扉を開けておく。
もし、αに捕まれば、こうして両親を見送ることもできなくなるかもしれない。光慈の好みを熟知した料理長の美味しい料理も、他愛もない両親との会話も、代わり映えはないが、閉ざされた世界で暮らす光慈にとっての全てが奪われるのかもしれない。
誰もいなくなった玄関で、光慈は唇を噛みしめた。
自室に戻り、無意識にパソコンを起動させる。相変わらず懲りずに送ってくる『ファイ』のメッセージに、そのときはどうしてか返信ボタンを押していた。
『そんなに欲しいなら、アカウントごとあんたにやる。俺はもう止めるから』
相手の返信も待たず、光慈はアカウント名とパスワードを『ファイ』へと送る。αに捕まれば、もう光慈に自分の時間は与えられないのかもしれないから。
パソコンの電源を落とし、久しぶりに開ける部屋着以外のクローゼットから、適当にパーカーとジーンズを取り出す。
引き籠っていても、両親から絶え間なく送られていた服の一部だった。実はどれも高級ブランドなのだが、光慈はファッションに興味がなかったため、その事実に気付かない。
肩にかかるほどの長さまで伸びた、高校中退以来、切ってない髪を簡単に後ろで纏める。
「お出かけ、ですか?」
「……別に逃げないよ。」
玄関でスニーカーを履いていると、家にいても、光慈とはほとんど喋ることのなかった執事が声をかけてきた。きっと自分は、彼の中で触ってはいけない、異物だったに違いない。
「発情期までにあと一ヶ月あるし、危険なαがいそうな場所に行くつもりもないし。久しぶりに外で歩きたいだけ。携帯も持つから。」
「分かりました。お気をつけて。」
「うん。」
まだ心配そうな執事の視線を扉で遮り、光慈は目当ての場所へと向かった。一人でこのマンションから出るなど、高校生のとき以来だ。
太陽の日差しに思わず目を細める。自分が拒否した世界はこんなにも気持ち良かったのか、と。
高級住宅街であるこの地域は、入居するにも厳しい査定がある。そのため、住民の多くがαやそれに仕えるβ、そして囲われているΩだ。
光慈の目の前を楽しそうに歩いている高校生達も、αのオーラを隠すことはない。かつての自分と同じだった。
「……いいなぁ。」
自分も、引き籠ることなく、前を向いて笑って歩きたい。
怖々と、しかし確実にマンションから離れてみる。しばらく歩いたところでマンションを振り返った。巨大すぎる籠城から離れるのは、本当にとても簡単なことだった。
誰も光慈の歩みを止めない。誰も光慈の存在を気に留めない。
久しぶりで、恐らく最後になるであろう自由な時間に、光慈は笑わずにはいられなかった。例えそれが、静かに周りを魅了させてしまっていたとしても。
「何、飲もうかな。」
高校生の頃は、学校帰りによく立ち寄った近所の珈琲カフェチェーン店。数年ぶりに来たが、当時と変わらぬメニューから、お気に入りのカスタムメニューを頼んだ。
「……久しぶりだなぁ。」
両親があまり好まないため、テイクアウトすら頼むことができなかった味を想像し、光慈は満足そうに微笑む。光慈の笑顔に、周りが一瞬だけ騒めいた。
あえて窓側の席に座り、人の流れをただぼーっと眺めていたそのとき。
「君、今一人?」
「……。」
店員や他の客が、あえて誰も近づかない状況を作っていたにも関わらず、光慈に話しかけてきたのは、まだ大学生くらいの若い男だった。もちろん相手にするつもりはなく、一度だけ視線を男に向け、光慈は直ぐに窓へと視線を戻した。
若い男ではあったが、他の客よりも明らかに地位の高いαの雰囲気を纏わせている。きっと何も苦労せず、αの地位に溺れているのだろう。厄介なことに、男は光慈を間違いなくΩだと認識していた。
「ねぇ、無視?」
全く反応のない光慈に少しだけ苛立った声。穏やかだった店の雰囲気も、男のせいで台無しだった。
「分かってるなら違う奴探して。」
「……。」
威圧感が増した相手にも、光慈は怯まなかった。
どうせ、今日の夜には他のαのものになる。それなら、今くらい抵抗してもいいだろ。
「この……Ωのくせに。」
「だから?」
依然として反抗的な光慈の態度に、若い男の表情が変わる。ため息をついて、男を振り返れば、憎悪の色を浮かべた瞳で睨み付けられた。
αに威圧されることが、ここまで苦しいとは知らず、光慈も僅かに眉間に皺を寄せる。
「俺の友達に何か用事?」
誰も言葉を発せずにいた、重い雰囲気を破ったのは飄々とした声だった。
「え?」
「久しぶりだなー。高校以来か?」
若い男と光慈の間にすんなりと割り込み、スーツ姿の男が光慈に向けてにこりと笑う。少し青みがかった黒髪、優しそうな二重の垂れ目がとても印象的だ。
彼も明らかにαだが、若い男とはαとしての風格が桁違いだった。
笑っているのに、体ごと喰われてしまうのではないか、と畏怖を抱いた。何も喋れず固まる光慈を余所に、スーツの男は若い男に語り掛ける。
「で?何か用事?」
「……っ、くそっ。」
圧倒的な格の違いに、若い男は顔を青ざめさせながら店を出ていった。同時に店にも安堵の雰囲気が溢れ出す。
店内にざわめきが戻る中、光慈は穏やかに笑みを浮かべる男を恐る恐る見つめ返した。
「あんた、だ、れ?」
「皐月、って呼んで。覚えてない?俺、隣のクラスだったんだけど。」
「知らな、い。」
「そう。だったら、今からもう一度覚えなおしてよ。」
この男には逆らえない。
伸ばされた手に、もはや自分の手を重ねる以外、光慈に選択肢はなかった。
入学式で初めて彼を見たときから、欲しいと血が騒いだ。
誰もがαと信じてやまない、堂々としたオーラを振りまいて、艶めく亜麻色の髪を揺らしながら笑う彼。
違う、αじゃない。彼は間違いなく、俺のΩだ。
彼の身体に他のαが触れる度、何度叫びそうになったか分からない。彼が気付くまで、Ωと自覚するまで少しだけの猶予を与えようと耐えた。彼とはクラスが違ったため、接点をまだ持てなかったというのも理由だ。
しかし、俺が当たり前のように受け取った『α』の結果を確認した翌日、彼は学校から消えてしまったのだ。
学校では病気の治療をするため、という名目だった。
皆が悲しむ中、俺は親を通じて彼に結婚を申し込んだ。Ωとしての初めての発情期を自分のもとで体験してほしかったから。だが、彼の両親からの返事は拒否し、αとして彼を扱い、αとして彼を囲った。囲い続けた。
何度、一人で発情期を耐え続けているのか。
彼は俺のものなのに。
高校、大学を卒業し、両親の事業を手伝い始めてから、彼を手に入れることだけを目標に、必死だった。檻さえ壊せば、彼は自分のもとに落ちてくる。
『装備、すごい強いですね』
あまり得意ではなかったゲームも、彼のために習得した。同じ位置まで登りつめると、返信のない相手にメッセージを送り続けた。彼のゲームはある程度把握し、活動していない時期は発情期なのだと想像しただけで、今すぐに彼の檻へと駆け込みたくなった。
個人的に繋がっていたからこそ、彼の異変に気付けたのだと今では安堵している。
まさか、彼の両親を貶める奴が俺以外にもいたなんて。
彼からの初めての返信を見て、俺は直ぐに彼のマンションへと向かった。部下に彼の両親の最近の動向を調べさせ、無理矢理彼が見合いをさせられそうになっていると知ったときは、気が狂うかと、相手を殺そうとも思ったが、今は相手にそれ以上の苦しみを与えているから問題はない。
彼の両親にも、彼と番ったことを先程伝え、会社の援助も保証した。相手が俺だと知ったら、驚くに違いない。
まだ無理矢理薬で早めた発情期の熱が冷めない、朦朧とした光慈の瞳を見下ろし、皐月は薄く開いた唇を塞ぐ。苦しそうに細められる猫目に、αの血がまた騒いだ。
「やっと手に入れた。」
首筋にしっかり刻まれた歯型。
もう皐月から光慈が逃げられないという証。皐月が光慈を離さないという証。
月明かりの下で、照らされた日に焼けず真っ白なままの肌に、もう一度赤い痕を残しながら、部屋を満たす香りに促されるまま、皐月は光慈を抱きしめた。
終わり
光慈:二十二歳。α同士の親から生まれたΩ。Ωとしての運命を拒否し、引き籠る。甘党。
皐月:二十二歳。他のαを束ねる家系に生まれたα。引き籠った光慈を見守り、手に入れようと長年画策していた。半ストーカー。
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