05



「で、このソのフラットだっけ、それはどれになるんだ?」

ここだ、と手でその音を押せば、ポーンとその音が室内に響く。
いつもの元気さで隣に座る界に聞いて来たゆくえの表情は、まるで憑き物がとれたかのようだった。







「止めたやめたー!」といきなり界に背を向け起き上がり、パンパンと2回程自分の頬を軽く叩いたゆくえを、界は強打した頭を今さら摩りながらそれを見ていた。
俺辛気臭いのむりなんだよーとか何とか言いながら、ゆくえとの会話内容はピアノにうつった。

その流れで界のピアノを聴かせる事になった。

短くも優しいそのメロディーにゆくえが感激し、今度は教えてとせがまれて現在に至る。


「界のピアノ聴いてるとさ、何でかな……すっごい懐かしい気持ちになる。安らぐし、癒されるし、切なくもなるし、何でだろうな……初めて聴いたのに」
「……そうか」

界の無愛想な返しに、ブハッと笑ったゆくえ。
はずいけどすっごい真剣に言ったのに、と頬を膨らませながら言われた。

これまでに郎以外の人間にピアノを聴かせた事がなかった。
それに、郎は褒めるでもなく、貶すでもない。敢えてあげるとすれば、界の『温度ある』ピアノを好む。

自分の出す“音”がどういうもので、人にどんなものを与えるのかがは分からない。
客観的に聴く事もなければ、もし聴けたとしても何も感じないだろう。

だから、ゆくえの言った感想が本心からなのかただのお世辞なのかなんて関係なく、単純に“そうか”、だった。



ゆくえの笑顔を見ていて思う。
これには何かあるのだろうか。
自分までその表情になれそうで、実際は出来ないが、それでも少なくとも、温度がない自分の心が少しだけ温まるような、そんな気がした。


―暗殺者、のクセに……
心なんて、とうの昔にどこかに捨てて来たはずなのに。

自分の中の、少ないながらの何かが、まだ残っているのか―――。




ふっとゆくえの顔から笑顔が消え、その目に影を落とした。


「俺さ、実は……、記憶がないんだ―――」


(!―――……)

























「明日の夜、イードが動くであります」
「また単独任務か」
「いえ、まだ本人に通達されてはいませんけど、明日あたりに言われるでしょう」
「情報筒抜けだな」
「組織内なので許容範囲、上も承知であるよ」

寮の一室。
同室者不在を利用し、組織の情報を共有する。

同室者と言えど今は本来なら授業中。
寮に生徒が居ること自体がおかしな事なのだが、この2人は特例だった。

「そういや絶対ぇ人入って来ねぇよな」
「入って来たとしても、こんな一般人とはかけ離れた会話を理解するとは思わない。それに、彼はこの学園には稀な『顔の良い常識人』であります」
「っは、俺んトコと替えて欲しいくらいだな」

牛乳瓶のような眼鏡を押し上げる藍色の髪の青年―――今川恭平は、その長い前髪で顔の半分は隠れている。

「F組の貴方と同室者……倉持ゆくえ、でありますか。あいつはにおいますよ」
「どっかの組織員とか。どっかからのまわしモンか」
「そういう類いではないですねぇ……」


ソファの向かいに座る恭平を見る目付きは、常人のそれではない。
八割方恐れおののかれる顔立ちをしている。
しかし恭平はその顔を見慣れている為に、怖いなんてものは微塵も感じなかった。

「ま、いつかは分かりますよ。今裏組織全体が大きく動こうとしていますからねぇ。いずれ暴れられる機会はあります……デーモン」
「その名で呼ぶんじゃねぇ。今は松嶋豊樹だ」
「そうでありますか。それは失敬」


チッと舌を打った松嶋豊樹の表情が、さっきの数倍険しくなる。
そんなものを前に不気味に笑っていられる恭平も、常人の何倍も肝が座っていた。

「気味悪いぜ。まんまだなぁ。ストレインジ」
「お褒めの言葉どうもであります」






5/8ページ

[戻る]


あきゅろす。
無料HPエムペ!