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すいません。ずっと前から好きでした(鉢久々)
※現代高校生






「あ、またある」

ぽつりと呟き、今ではもう使い慣れた読書専用の机に、つついと指を滑らす。指が追った文字は、数日前に比べて格段に量が増えていた。
最近ではこの図書室の机に施されたメッセージを読みに来る事が日課になっている。
始まりはあの日、あの雨の日だった。





この高校の図書室が好きだった。街の図書館には無い珍しい本が幾らか目立っていたからだ。入学してすぐその事に気付き、週に2回は貸し出し手続きをするようになった。

二年生になって、昼休みを図書室で過ごすようになった。
図書室のひっそりとした空気が好きだったが、放課後は部活でゆっくりできないため、昼休みに貸し出し手続きをするついでにそのままそこで時間を過ごすのだった。
その内に図書委員の何人かとは顔見知りになり挨拶くらいはするようになった。

教室で友人達とお喋りに興じるのも悪くは無いが、たまに一人になりたくなった。
読書が特別好きという訳では無かったが、知識を増やすのにこれほど最適なものは無かったし、本に意識を集中させているあの時間の、ある意味孤独に似た感覚を得られるのが魅力だった。
それに、誰の名も書かれていない貸し出しカードの一番上に、久々知兵助、と書くのはちょっとした優越感だ。


その日はたまたま雨で部活が休みだった。放課後も図書室で過ごせる嬉しさに浮かれながら、外のじめじめした空気とは反対に軽い足取りで特別棟の4階に向かった。
図書室には先客が何人か居たが、割と広い室内にその人口密度は逆に心地良く、俺は足音を殺してお気に入りの席に着いた。
入り口から一番遠い棚に隠れた窓際の机。そこに座り本を広げ、いつものように文字の羅列に意識を集中させた。

そうして暫く読み耽った時だった。窓からのひんやりとした空気に寒さを覚え、視線を文字から離した。ふう、と一息つく。風邪を引いては部活に支障がでるし、今日はもう帰ろうかと本をぱたりと閉じた。その時だった。
サラサラした表面の木製の机に、小さな文字列の落書きを発見した。

(すんなよ、落書き)

お気に入りのこの場所を他の人間が使っていることに寂しさを感じ、また、その場所にこうした悪戯をする人間がいることに憤りを覚えた。
そこに書かれていた文字を心の中で読み上げる。

『何か面白い本ないかな』

落書きはいただけないが、もしかしたら犯人は本が好きなのかもしれない。面白い本に出会いたいという欲、だったら、ちょっとくらいは力になってあげられるかもしれない。
ほんの気紛れで、冗談半分で。鞄からシャーペンを取り出し、その繊細な印象の文字列の下に知っている日本文学を幾つか並べた。

翌日の昼休み、昨日の予定外の雨で出来た自由な時間で一気に読み上げてしまった本を返却しに図書室を訪れる。
目星をつけていた新たな本をレンタルし、例の如く奥の棚の影になった席に座る。
そこですぐに目に飛び込んで来た、机上の文字。

(うそ、増えてる)

昨日自分が書いた作品名の下に、それは新たに書き加えられていた。

『それ読んだことある』

それを見て思わず頬が緩んだ。やっぱりこの人物は本が好きなんだ。昨日俺が挙げた作品達が既読だなんてそうとしか思えない。
それならばと考えを巡らせ、沢山の脳内情報の中から幾つかピックアップし、今日までの落書きを消して綺麗になった机に自分のお気に入りの作品を並べた。


それから暫く短い情報交換は続き、お互いの好きな作品や作家、果ては音楽や映画まで、日焼けして色褪せた机に素っ気なく書き殴っては消して、また書いてを繰り返した。




そうやって冒頭のような状態に至るわけだが、机上の人物とほぼ毎日二、三言交わしていて気付いたことがあった。
相手は男で、ここには朝来てこれを書いているということ。

男と言うのは言葉使いで分かった事。俺、という一人称ですぐに分かったが、それが無ければ正直どちらか分からなかったかも知れない。言葉は多少乱暴なものの、それほど彼の字は繊細だった。

朝来ているというのは、単純に俺が彼を見掛けたことが無いからという理由からだった。
毎日昼休みに訪れ、週の半分は放課後にも訪れるのに、俺はその姿を目に留めた事が無い。にも関わらず俺がメッセージを書いてから一日と開けず返事を書けるのは、俺が唯一図書室を利用しない朝の時間帯しかない。
朝早く来て図書室を利用するなんて、そんなに本が好きなのかな。この時はそんな風に思っていた。


メッセージの内容が、趣味嗜好から日常会話(例えば部活の事とか)らしいものになってきた頃だった。
近頃なぜか活発になってきた委員会活動のおかげで俺は中々図書室に行く事が出来なくなっていた。
今日で4日、あの机のメッセージを確認していない。
それだけでまるで宿題を忘れたような、授業をサボってしまったような、やらなければならない事をやっていない気分になった。
いつの間にか、落書きだったあの一言二言の文字列が、楽しみに変わっていたのだ。


だから余計に、俺はこの文通相手(短文ながらもそう言わせて頂こう)に会ってみたかった。
俺が勧めた本や映画を彼が面白かったと言ってくれると無性に嬉しかった。また、彼が勧めてくれた音楽はハズレが無かった。
こうやって充実した時間を得られたそのお礼を一言、机に書くのではなく直接言いたかったのだ。




また昼休みが委員会で潰されうんざりしていた日の放課後、初めてあの落書きを見つけた日と同じように外は雨だった。運良く部活も委員会も無く、俺は急ぎ足で図書室に向かった。
何せ先週の金曜日に確認して以来、6日ぶりだったのだ。こんなに間が開いてしまって、彼はどうしているだろうか。

特別棟の4階、重厚な雰囲気の扉を開ける。珍しく先客は居らず、室内は本のページを捲る紙の擦れる音すらしなかった。
その為か必要以上に無意識に足音を殺して棚の奥を目指す。早くメッセージを見たい、その思いが無駄に心拍数を上げた。

棚を曲がった時、目に飛び込んだ光景に心拍数は一瞬止まった。
誰か、いたのだ、そこに。

勝手に自分の指定席と決めてしまったその場所に座る男子生徒と目線がかち合った。オレンジ色の頭に思わず息を飲み込み、驚きに引きつった心臓を宥める。

俺は彼を知っていた。
正しくは存在を知っていた、と言うべきか。だって俺は確か一度聞いたはずの彼の名前を忘れてしまった。
オレンジ色の彼は同じ学年で、問題児として有名だった。
頭が良く、テストも常に上位に名を連ねているらしいが、如何せん性格が問題だった。不真面目でサボリは頻繁、不良グループとのいさかいは絶えず喧嘩三昧なのだとか。全て聞いた話だけど。
そんな人間が今まで自分とメッセージを交わしていたのだろうか。

「…もしかして、机のそれ書いた人?」

「それ?」

オレンジの彼が目線を落として机上を見据える。

「何これ、お前落書きすんなよな」

「違うの?」

「知んねえ」

目の前の人物は読んでいた本をパタンと閉じると立ち上がった。

「机で文通とか、気持ち悪」

擦れ違い様に消しとけよと一言吐いて彼は去った。残された俺は残念な気持ちと、気持ち悪いと言われたショックで(冷静になってみれば確かに気持ち悪いかもしれない)呆けていた。

ただ一つ気になることは、立ち去る彼の持っていた本がこの図書室にしかない俺の大好きな洋書だったこと。



それから俺は机にメッセージを残すのを止めた。図書室に行く回数も格段に減ったように思う。
第一に読みたい本が尽きてきたというのもあるし、自分が書いたものを第三者に見られるのは恥ずかしかったのもある。
それに元々は気紛れな落書きに冗談で返事しただけなのだ、こだわる必要もない。
別に、気持ち悪いと言われたのを、根に持ってるわけ、じゃ、無い。
ちょうど部活の大会が迫り本を読む時間も気力もなくなっていたし。

しかし以前と同じペースで読破出来なくても、借り物には返却期限というものがある。借りていた図書の返却期限が迫っていたので、昼休み図書室に向かった。
読む時間が無くてもせっかくだから何か借りていこうと物色していた所、唐突に腕を引っ張られた。
強い力で後ろに引かれ、本棚に倒れ込みそうになったところに柔らかいものが本棚との間でクッションになってくれた。人の体だ。
抱き止められたということは、自ずと抱き込まれる形となる。驚きで声もでない。静かな図書室内では好都合であるが。

「やっと来た」

耳元でそう小さく吐き出したのは、オレンジ色の頭の問題児だった。
状況を理解しようとするが思考が付いて行けず、ただ呆然と彼を見上げた。身長に多少の差があり至近距離では見上げなければ顔が見えなかった。

「…んで返事くんねーの」

眉を顰め、問い詰めるように見下ろされる。少々気分が悪い。

「どーいう意味?」

嫌悪を露わにして逆に問えば、気まずそうに頬をカリカリ掻きながら彼は言った。

「あれ、俺が書いてたから」

あれ、とは、あれか。机上の落書き。
有名な問題児が本当に読書好きなのかという疑問はこの際置いといて。確か彼はあの日、あれは自分じゃないと言わなかっただろうか。否定したくせに何を今更。気持ち悪いとまで言われたんだぞ俺は。

「あそこで鉢合わせたのは予想外だった…動揺して嘘吐いた。でも最初本当に返事くれると思ってなくてさ…びびったわ」

「ちょっと待て、お前俺が相手だって知ってたのか」

顔も知らない相手だから気を遣わず文を交わしていたというのに、初めから素性が知れていたのなら恥ずかしい事この上ない。
そして、あれは最初から俺に宛てられたものだったという。そんな事、俺がこの席を愛用していること、俺以外の生徒があまり使わないことを知らなければ不可能だ。

「何で知ってんの?俺がここに良く来てたこと」

「ずっと見てたから」

「……は?」

「何とかして関わりたいなと思ってダメ元で机に落書きしてみた」

「…意味、分かんね…説明してよ」

すると目の前の相手はバツが悪そうに視線をさ迷わせ、ある一点を見詰めた。
視線の先を追うと、件の机が目についた。良く目を凝らすと、あの見慣れた繊細な文字で何か書かれていた。
ぐっと近付いて、文字列を読み取る。



『すいません。ずっと前から好きでした。2年B組 鉢屋三郎』



ああそうか、こいつは確かそんな名前だったっけ。
一つ謎が解けたような爽快感が訪れたが、それは一瞬で消え去った。

新たなメッセージの意味を理解すると、半開きになった口を閉じることもせず固まった。
意味が分からない。説明してくれと言った筈なのに、余計に分からなくなった。
長い間呆けていたらしい。眼前に迫ったオレンジ色の髪と、唇に触れた柔らかいものが、ようやく意識を覚醒させた。

「いきなり何しやがる!」

「ぼーっとした顔が可愛いからつい…」

ああもう、真っ赤になった顔で俺を見るな。
聞きたいことも言いたいことも沢山あるのに、何もかもどうでも良くなってしまうじゃないか。






END.







君に捧ぐ恋の唄」様へ提出。
ありがとうございました!


09,10,19

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