メロウ2
鉢屋くんの妨害が増えた気がする。
兵助くんと二人きりになれることなんて学校じゃ皆無だ。兵助くんの近くにはいつも鉢屋くんがいて。
でも。
そういえば二人がいつも一緒にいるなんて今に始まった事じゃないということに気付いた。意識して無かったから気付かなかっただけで、鉢屋くんはこうしてずっと兵助くんの側にいた。俺が彼女に出会う前から、ずっと。
兵助くんは気付いてないけれど、それはまるで大昔に定められた数学の公式みたいに当たり前の事として存在している。
こうして思考に耽っていると無性に兵助くんに会いたくなる。けれど多分また邪魔されるんだろうな。二人はクラスまで同じだから。
会いたい会いたいと考えていたからだろうか。願いが通じたのか、この日珍しく兵助くんが俺を尋ねて来た。
いつもなら昼休みに鉢屋くん付きで一緒にご飯を食べる時くらいしか会わないのだけれど。今日は彼女一人だ。
嬉しくて尻尾を振る犬みたいに廊下で待つ兵助くんに駆け寄った。
「ごめん、今日一緒に帰れない…」
「えっそうなの」
兵助くんの言葉で嬉しさが一気に地に落ちた感じだ。
放課後はいつも部活に励む兵助くんが、珍しく部活が無いからと一緒に帰る約束をしていたのだ。
「ちょっと用が出来ちゃって…ほんとごめん」
「んーん、いいよ」
俺は笑顔で返した。
心底悲しそうな兵助くんの表情を見て、俺と同じように残念がってくれてると思ったから。
次のデートでは沢山我が儘言っちゃうから、そう言って兵助くんの頭を撫でれば、彼女は恥ずかしそうに笑った。
そんな事があって、1人帰路につくわけだけど。
「あーあ、1人は寂しー!」
本当だったら隣に居たはずの最愛の人が、いない。
ただの一日離れると分かっただけでこんなにも恋しく思うなんて、どれだけ彼女に惚れてるんだろう。今なら、鉢屋くんも居ていいから、兵助くんと一緒に居たい。
今日に限ってそれは到底無理な話なので、こんなに気分が沈んだ日は駅前のCDショップでも行って、お気に入りでも発掘しようかと思う。俺は自宅に向けていた足を駅前の繁華街に向け直した。
夕方の繁華街は学校帰りの学生も数多く、俺はその中に紛れ込むようにゆるゆると歩を進めた。そして仲睦まじいカップルを見付けては、苛々とした気持ちになるのだった。
通い慣れたCDショップに足を踏み入れれば、話題の新譜が空間を支配するように流れていた。
それは好きで好きで堪らないといった内容のラブソングで、とてもじゃないが今の俺には催涙効果抜群過ぎて聴いてられない。
収穫も無し、思ったような気分転換も出来ず、早々に店を後にした。
来た道を戻っていると、視界はあるものを捉えた。それは頭の中の殆どを支配している愛しい人物に似ていた。
段々と近くなり、目の前の通りを横切る彼女は、似ている訳ではなく本人だという事が分かった。
「兵助くん…?」
独り言のように小さく吐き出された俺の声は雑音に掻き消された。
しかしだからといって俺は兵助くんを追い掛けたりはしなかった。ただ、綺麗な黒髪が揺れる後ろ姿を眺め立ち尽くすのみ。
誰だってそうなってしまうと思う。自分の彼女の隣に、他の男が居たのなら。
鉢屋くんだった。
俺の居るべき場所に居たのは、鉢屋くんだった。
並んで歩く、楽しそうな二人。
兵助くんは鉢屋くんと二人、立ち尽くす俺を置いて雑踏の向こうに消えていった。
残された俺はと言えば、さっきまでの寂しい気持ちが完全に困惑と怒りに変わっていた。なぜ、どうして?二人は何をしている?どこへ行く?用があると言ったのは、鉢屋くんと出掛ける為だったの?
俺との時間は無いのに、鉢屋くんとの時間はあるの?兵助くんは、俺のなのに。
鉢屋くんと出掛ける事をなぜ黙っていたのか。俺じゃなく鉢屋くんじゃなきゃいけない理由があるなら言ってくれれば良かったのに。
言ってくれなかった。
それはつまり、そういうこと、なのかな。
疑うのは良くないと分かっていても、頭の中は真っ黒な感情だけがぐるぐると充満している。
悔しかった。
余裕の無い自分が。もう駄目かも知れないと思った自分が。
兵助くんが本当に好きなのは誰なの?
帰宅後、眠れぬ夜を明かし翌朝学校へ。足取りは当然鉛のように重かった。
いつもは死ぬ程会いたいと思う愛しい彼女も、今日ばかりは避けたい気持ちだった。
しかし恋をする男は単純なもので、大好きな人の笑顔をひと目見れば何もかも吹っ飛びそうになるのだから始末が悪い。昼休み、兵助くんが会いに来てくれたのだ。隣に鉢屋くんはいない。
普段だったら手放しで喜んだ状況だ。実際さっきまで悩んでいた事が一瞬どうでも良くなった。
だけど、嬉しい状況であればあるほど疑心は膨らむもので。
なぜ今日に限って彼は隣にいないのだろう。昨日の事がやましいから、遠ざけたいという思いの表れなんじゃないだろうか。
「なぁ、タカ丸紫好きだっけ?」
「え?あ、うん…」
俺の気の内も知らず、兵助くんは何やら楽しそうにしていた。
その無防備な姿が本当に可愛くて、だけどこれを鉢屋くんも近くで見てきたのだと思うと、少し憎らしくなった。
兵助くんにそんな感情を抱くなんて有り得ない。けれど実際、俺の内側を占める感情は明らかに負の感情であり、それは少しのきっかけでもあれば暴発してしまいそうな爆弾のようだった。
「兵助くんさ、昨日、どこ行ったの?」
「ん?」
「用事あるって言ってたから」
「ああ、あれ…ちょっと買い物に」
「一人で?」
「うん、そう」
ずくり、心臓が疼いた。だけど努めて笑顔で返した俺は中々偉いと思う。
「買い物なら俺付き合ったのにな」
「一人でゆっくり見たかったから」
でも鉢屋くんと見て歩いてたんでしょ?
「へぇ?何買ったの?」
「あー…うん、秘密」
鉢屋くんは知っているのに、俺には秘密?
「俺には言えないようなものを、鉢屋くんと買いに行ったんだ?」
「え…?」
兵助くんの体が強張ったのが伝わってきた。
多分、俺のただならぬ空気を感じ取ったからだろう。
「俺とは帰れないけど、鉢屋くんとは遊びに行くんだ?」
「っそれは、」
核心を突かれ兵助くんは言い倦ねた。正当な言い訳でもしてくれれば、嘘を吐くはずのない彼女を信じられただろう。しかし弁解すら彼女はしない。それの意味することは。
「もうさ、鉢屋くんと付き合っちゃえば?」
「…タカ、丸?」
驚きに大きく開かれた瞳は困惑の色でいっぱいだった。
「もう…やめたい。全部嫌になっちゃった」
小さな事で嫉妬したり、疑ったり、そのせいで兵助くんを傷付けてしまったり。
今も酷い事を言ってしまっている。こんな自分に嫌気が差す。
兵助くんは、こんな稚拙な自分といてもきっと幸せになれない。
「見ちゃったんだ、昨日。鉢屋くんといる兵助くんを。疑いたくなかったけど…嘘吐かれちゃって俺どうしたらいいの」
弁解なら幾らでも聞いた。それが例え嘘だったとしても兵助くんと恋人同士でいられるなら、嘘も本当にしてあげようと思ってた。そのくらい彼女が好きだから。
だけど兵助くんは時折口を小さく開く以外は真っ直ぐこちらを見つめたまま微動だにしなかった。
「付き合ってるのに、…付き合ってるから、好き過ぎて辛いんだ」
満たされない心が暴走した時、取り返しのつかない事を仕出かして兵助くんを傷付けるくらいなら、他の男の隣でいいから兵助くんには幸せそうに笑っていて欲しい。
何よりも優先すべきは、兵助くんの幸せなのだから。
「……別れたいってこと?」
兵助くんは小さく開いた唇からようやく聞こえるくらいの音量でぽつりと零した。
「それって別れたいってこと?」
逸らすことも出来ないで大きな目を見つめ返していれば、真っ直ぐ見据えていた彼女の目から涙が一筋伝った。
「俺の事好きなんだろ?なんで別れなきゃなんないの」
「兵助くん…」
「やだ…絶対別れない」
顔を伏せることも嗚咽を漏らすことも無く、兵助くんはただ涙を流した。涙腺をその身に施された人形がスイッチを押すと同時に水滴を溢れさせたみたいに、余りに無機質で神秘的な光景だと頭の隅で思った。
「タカ丸じゃなきゃ嫌だ」
ついに兵助くんの目が伏せられた。
手のひらで涙を拭う姿は、俺のつまらない負の感情を消し去るのに充分だった。
「でもじゃあ…なんで嘘吐いたの?結構傷付いたんだけど」
兵助くんは何も言わず、カーディガンのポケットから何かを取り出した。手のひらに乗せられ差し出されたそれは、紫のシンプルな携帯ストラップだった。
「こないだ付き合って1ヶ月記念だっただろ?たった1ヶ月でも、俺嬉しくて、何かしたいなって思ったんだけど、思い浮かばなくて…」
話し出して段々落ち着きを取り戻した兵助くんは、やや俯き加減ながらも必死に涙をこらえていた。表情は叱られてむずかる子供のようで、寄せられた眉が可愛かった。
「プレゼントでもしようかなって思って一人で買いに行ったら、途中で三郎に会ったんだ。男の人が喜ぶもの分かんなくて三郎に相談してたから、心配してくれて…。まあ結局中々決まんなくてこんなのになっちゃったけど…」
そう言って兵助くんは紫のそれを握り締めた。
いらないなら俺が付けるから、と取り出した兵助くんの白い携帯に、青いストラップが付いていた。推察通り、それは紫のストラップとお揃いだった。
俺は反射的に兵助くんの手をストラップごと握り締めた。余りの迫力だったのか、兵助くんがよろけた。
「やばい、どうしよう、凄く嬉しい」
兵助くんには記念日だといって喜ぶようなイメージは無い。誕生日すら覚えてなさそうである。だからこそ余計に嬉しかった。込み上げてきたものが涙腺を刺激したが、寸でのところで泣くことだけは耐えた。その代わり、酷い顔をしていたに違いない。
けれどしかし、同時に自分が恥ずかしかった。好きな気持ちばっかりが先走って、ただ押し付けてただけだった。兵助くんから同じだけ返されていたのに、それに気付けなかった。
兵助くんが一人のところを鉢屋くんはわざと狙っていたのは事実だろうけど。結局のところ、兵助くんは初めから嘘なんか言ってなかったんだ。
「ありがとう兵助くん、俺も付けていいかな?」
未だ涙の浮かぶ赤い目をさ迷わせながら、兵助くんは気恥ずかしそうに頷いた。それを確認してから自分の黒い携帯を取り出して、焦ってうまく動かない手先で括りつけた。
「あのさ、兵助くん」
まず最初に謝らなければ。疑ってしまったことや別れるなんて言ったこと、泣かせてしまったこと。
だけどその前に、俺はどうしても聞きたいことがあった。
兵助くんの口から、兵助くんの言葉で、ちゃんと聞きたかった。
「……本当に、俺でいいの?」
兵助くん程良い女はそれこそどこを探したって見つからないけれど、俺より良い男なんてきっと沢山いる。
だから、こんな俺を選んで兵助くんは後悔しないだろうか。
「タカ丸がいい」
確かにはっきりと兵助くんは言った。
そこでやっと、泣いてもいいような気がした。これ以上無い幸福感に満たされて。
沢山涙を流すなんて格好悪いから、欠片ほどのプライドでもって耐えたつもりだったけれど、せっかくの兵助くんの極上の笑顔が、視界がぼやけて良く見えなかった。
「兵助くん」
泣き顔を見られたくなくて、兵助くんを抱き締めてその肩口に顔をうずめた。シャンプーの甘い香りが鼻を擽る。それがまた、涙を誘うんだ。
「俺を選んでくれてありがとう」
後悔なんてさせない。この世に良い男が何人いようと、兵助くんにとっての最良が俺であればいい。
「あとさ、今度から鉢屋くんじゃなくて俺のこと誘ってね?プレゼントは、一緒に選ぼう?」
「…ばーか」
唇を尖らせて拗ねる兵助くんが、それでも抱き締め返してくれたから、俺はいよいよ本格的にしゃくり上げてしまった。
END.
09,9,23
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