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8/9(鉢久々)
※8/8の続き
※現代








キスもセックスも経験あるのに、こんなに気持ち良いと感じたのは初めてだった。
兵助が何故拒まなかったかなんて知る由もないが、大方拒むのすら面倒くさかったとかそういうオチだろう。基本無気力で淡白な兵助ならあり得る。
ただ俺の方は、その細い体を掻き抱くのに夢中だった訳で。好きなのか、ただの気紛れなのか、自分でも良く分からない。
彼の匂いが、熱が、無性に欲しくなった事だけが紛れもない真実だった。


それでも、不自然なくらい自然に別れは訪れた。
帰るタイミングを失っていた俺は8月30日になって、始業式の前日は何かと忙しいだろうから今日帰るよと言い出したら、兵助はそうか、とだけ返した。
見送りも別れの言葉もまた来なよという社交辞令も無い。確かにそんなもの望んじゃいないけど。そんな心にも無い言葉でもいいから、兵助が一言掛けてくれたら、俺のこの夏の逃避行が何も残らない無意味なものじゃなかったと思える気がした。ひと夏の夢物語として消えていくのは勿体無いと思った。

だけど、そう、必要無いのだ。見送りも別れの言葉も社交辞令も。俺達の間には何も残さない。それが一番良い。兵助もそう考えているからこそ何も言わないのだろう。
そうして俺は生まれ変わった相棒のバイクに乗って桃源郷のようなその場を離れるのだった。
バイクを走らせ風を割きながら俺は、兵助は今もきっと机に向かって勉強しているのだろうなと思った。
呆気ない別れだった。





9月。大学が始まるまでのその1ヶ月は脱け殻のように過ごした。バイト先と自宅を往復するだけの日々。
脱け殻である自覚は無かったが、夏期休講明け初日に長年の友人である雷蔵に言われたのだからそうなんだろう。

脱け殻というか無気力。つまらない。窮屈。
喧騒が煩わしい。空気が不味い。空が狭い。そんな風には考えていた。
すうすうと風の抜けるような隙間だらけの心だが、兵助とのあの夜の事を思い浮かべるだけで体は熱を持ち、気分は高揚した。変態の自覚はある。どこの思春期かと。
だが他の人間を抱く気にはなれず、ただあの感触や匂いを記憶の底から必死に辿ろうとしたりした。

「三郎、前」

「んあ?」

講義の後、帰宅しようとキャンパスを横切りながらぼーっと歩いていると隣を行く雷蔵に引き止められた。正面に向き直れば、そこは電柱。鼻先5センチといったところか。よくもまあ気付かずにこんなに近付いたものだ。考え事しながら歩くのは危ないな、うん。

「なんか最近気持ち悪いよ三郎」

「ひどい」

「だってお前がうじうじ悩むなんて初めてじゃない」

「そっかな…」

ああ、そうかも知れない。悩むというか、他人に執着する事が今まで無かったから。誰かの事で頭が一杯だなんて、生まれてこの方一度も味わった事のない状態だ。
俺はポケットに手を突っ込んで煙草を探した。だがすぐに見つからず、ボトムのポケットや鞄を調べた。目線は下でも、視界の端に写る雷蔵を追っていれば電柱にぶつかることもない。

「あ、高校生がいる」

先を歩いていた雷蔵が独り言のようにぼんやり口にした。
高校生か。俺ももう一度高校からやり直したいよ。出来れば、あの彼の近くで。
恨めしい気持ちで顔を上げれば、視界に入る一人の制服男子。
日焼けの全くしていない細い腕やふわふわと毛先が揺れる黒髪。明後日の方向を見つめる目を縁取る睫毛の長さといったらこの距離からでも良く分かる。
おや、と煙草を探す手を止めた。
俺はそれら全てに見覚えがあった。ふらふらと近寄れば、明後日方向の視線がこちらを向いた。

「へ……へ、いすけ…?」

「…よお」

彼は少しの戸惑いも見せず、真っ直ぐそこに立っていた。

「え え え、なに、本物?」

え、とか、う、とかいう単語しか出て来ない俺を置いて雷蔵はその場を静かに後にした。驚きを隠せない俺。兵助が小さく笑った。

「動揺し過ぎ」

「えっと、俺に会いたくて転校して…」

「ちがうよ何バカなこと言ってんの。俺元々こっちに住んでるけど」

「ええー」

てっきりあそこの住民なのかと思ってた、と告げれば、そう思ってると思った、と返された。分かってたなら訂正してくれれば良かったのに。心の中でこっそり悪態をつく。

こちらに住んでいる兵助は、夏休みに集中して受験勉強に励むため田舎の祖父母の家に泊まりに行っていただけらしい。予備校の夏期講習よりも自主学習を選ぶだなんて、特別優秀じゃなきゃ出来ないだろうよと頭の片隅で思う。

「確か一度だけ、三郎の学校の名前を聞いたから、さ」

見学がてら来てみた、といつものように抑揚の無い声が続く。
別に、会いたかったと言われた訳じゃないけれど、兵助がここにいるというただそれだけで感情が高揚した。

そして久しぶりに兵助に会ってああそうか、と納得する事が一つある。あの場所だから居心地が良かったんじゃない。兵助の隣が、居心地良かっただけなんだ。
綺麗な空気も静かな森も魅力的だけど、肝心の彼が居なきゃ意味が無いのだ。彼自身が空気であり、静寂であり、安定剤だった。

俺達は連れ立って歩き出した。
こんな都会の真ん中で並んで歩くのは初めてなのに違和感なんかあるはずも無く、自分にとってこうある事が当然の事のようだった。
この先もずっとお前がいたら、二度とあの言いようのない焦燥に駆られることもないのかな。
そんな台詞が浮かんできて、これじゃまるでプロポーズだなと思った。
幾らお粗末でありきたりな台詞も、しかしそれは本心なのだ。

歩きながら、そんなことを全て吐き出した。思っていたこと、感じたこと、全て。

「居心地が良かったのは、俺も一緒だよ」

兵助がそう言ったから、俺はもうこの先、喧騒から抜け出して何処か遠くへ逃げたいと思うことも無いだろう。




END.








ありきたりな最後ですが、田舎で出会う鉢久々を書きたかっただけなので満足です


09,9,11

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