[携帯モード] [URL送信]
春へ
頭痛がする。
酸素が足りていない、眼球の裏側の熱くなる頭痛が。この首を絞めているのは、俺か、世界か。


陽の昇りきった頃から感じていた不調は夕方になっても癒える気配を見せてはくれなかった。体調が優れないからと夕飯の支度を弦一郎に押し付け、部屋で寝ていろという精市の気遣いに一刻半ほど従うと、目の覚めた時には暖かな香りが家を満たしていた。頭痛は収まっていた。ただ残る息苦しさに、自分には今"何か"が不足しているのだ、と思われて仕方がなかった。
俺は寝間着から紺の着流しに着替えると、ひっそりと裏口から、夜中近い外へ歩きに出た。
月の柔らかな光のもとで、虫の声に下駄の音はからりころりとよく調和した。少し家から離れると精市の畑がある。毎朝せっせと世話を焼きに出向いては、丁寧に育てられた野菜をもいで帰ってくる。新鮮なそれらが、皆好きだった。
日増しに伸びる苗を養う水田が近づくと、柔らかい土に下駄の歯がささった。水と土の匂いを含んだ風が吹き抜ける度に、頭痛が和らぐ気がした。

息が、吸える。

目を閉じて青い香りのする空気を胸一杯に吸い込む。そのまま大きく長く息を吐き出せば、良からぬものが浄化されてゆくような気さえした。
畦の途中には小さな社がある。手を合わせてから石段に座る。と、誰かの小走りに駆ける足音がした。否、これは。

「柳さん」
「赤也」

誰かが追うのだろう事は想定していた。が、来るならば精市だと思っていた。精市か、赤也。赤也ならば弦一郎が許すまい、という俺の読みは外れたらしい。

「精市の遣いか」
「いや、俺の意志で。柳さんを追いかけたいって言ったら、幸村さんが出してくれたんす」
「そうか。精市は、」
「幸村さんはどうでもいいじゃないっすか!起こしに行って布団に柳さんがいなくて、俺どうしたらいいかわかんなかった」

何か酸いものがじわりと胸の奥にしみて悟る、

「怖いんすよ、柳さんまでいなくなっちゃいそうで」

いつの間にか俺の隣に身体を丸めて座っていた赤也が、縋るように言う。
赤也が精市の家に住み着いて一年経たぬうちに観月が里に帰り、仁王が消息を絶った。
恐れているのだ、喪失を。

「赤也、春になったら二人きりで出掛けよう」
「どこに」
「俺の天国に」
「てんご、」

薄闇の中でも目を見開いているのがわかる。違うんだ赤也、お前の思うような場所ではない。






あきゅろす。
無料HPエムペ!