[携帯モード] [URL送信]

T&B
ゆめのつづき@
*『ゆめのはなし』の続きです。



目覚めると、体がギシギシと軋むようだった。そのうえ妙に体が重い。バーナビーはまばたきを繰り返し、目を擦った。体が軋むのは、床で寝ていたからだった。昨夜飲み過ぎてそのまま眠ってしまったらしい。体が重いのは、昨夜一緒に飲んでいた虎徹の片腕が、どういうわけか胸の辺りに乗っかっていたからだった。しかも、気のせいでなければ首の下あたりにある温かいものは、虎徹のもう片方の腕だった。バーナビーは首を傾げる。どういうことだ、と。何故、腕枕のようなことをされ、こんなに近くで虎徹が眠っているのか、生憎何の記憶も残っていなかった。
胸元に乗っている腕をぱしぱし叩くと、随分と近い場所にある虎徹の瞳がゆるゆると開く。


「んあー、はよ……」

「………おはようございます」


手探りで眼鏡を探したがどこにあるか分からなかった。眠る前に外した記憶もなかったので場所が分からないのも当然と言えば当然の話だった。すると、何故か虎徹はバーナビーに覆い被さるような格好を取った。


「……おじさん?」

「えーと、ああ、あった」


ほい、と渡されたのは眼鏡だった。礼を言って受け取り、眼鏡を掛けるともちろん視界はクリアになる。当然、近くにある虎徹の顔もはっきりと見える。


「………あの」

「ん?」

「ちょっと、離れてくれませんか?」

「………あー、わりぃ」


些か近すぎる距離に気付いたのか、虎徹はすぐに離れようとしたが何かに気付いたように動きを止めた。そして、片腕を動かす。その片腕というのは、バーナビーの首の下にある腕だった。つまり、この理由は分からないが何故かされている腕枕のせいで自分からは動けない、ということなのだろう。言葉ではなくそうした仕草でそれを指摘されるというのはどうにもいたたまれない気持ちにさせた。
バーナビーは無言で起きあがると洗面所へ向かった。鏡に映った自分の顔は仄かに赤く、それがまた余計にいたたまれない気持ちにさせた。誤魔化すように上げた手は無意識に首の後ろをさする。


「…………どうして、」


一般的に男二人が雑魚寝をした時にああいった体勢で眠るというのは考えにくかった。記憶を遡るが、当然と言うべきか何も思い出せず、記憶がないということが恐ろしく思えた。酒による失態というのはよくある話で、もしかしたら自分は何かやらかしてしまったのだろうかとうずくまって頭を抱えたい気分になる。虎徹は何も動じていなかったことを考えると、少なくとも彼には記憶があるのだろう。そうでなければあんなに近距離で、しかも男に腕枕なんかしていれば、もっと驚くなり慌てるなりの反応を見せるはずだ。
自分の知らない記憶を尋ねるべきか、バーナビーは迷った。尋ねて真実を知るのは恐ろしい気もするが、知らないままというのももやもやして気分が悪いし、何より、何もしていない可能性だってゼロではないのだ。何か不可避な事故の可能性だってある。可能性だけ考えればいくらでもあった。
どちらかが何かをしなければあんなふうにはならないのだろうが、虎徹が何かした可能性もゼロではないし、けれどもしそうだとしたらあの落ち着きは何なんだ、とバーナビーの頭の中は混乱を極めていた。そんな中、ふと脳裏を過ぎったのは、昨夜見た夢だった。はっきりとは思い出せないが、優しくて、悲しい、でも温かい夢だったような気がする。不思議な夢だった。優しさと温かさが同居することはあってもそこに悲しみが混じるというのはどこか矛盾しているように思えた。だからこそ不思議で奇妙な夢なのだが、夢の中で触れた温かさは今もまだ胸の奥を優しく満たしているような気がした。あれは何だったんだろう、そう考えるバーナビーの手は無意識に首の後ろをさするのだった。



一方、一人リビングに残された虎徹は痺れた左腕をどうしたものかと眺めていた。が、まあそのうち痺れも取れるだろ、と呑気な思考に戻る。欠伸を一つしてごろりと寝転がると、周囲は酒瓶で散らかってはいるものの部屋は非常に広く、物が極端に少なかった。バーナビーはここで生活をしているのだろうが、まるで生活感というものが感じられなかった。逆に散らかっていることで多少の生活感が生まれているくらいだ。物の少ないせいで、空間ばかりが目立つこの広い部屋にひとり暮らすバーナビーは寂しくないのだろうか。ふとそんなことを思った。少なくとも自分だったら寂しい。孤独に負けてしまいそうだ。
だが、昨夜のバーナビーの涙を思うと、心のどこかに寂しさや孤独を抱えているのかもしれない。否、むしろ抱えていない方がおかしいだろう。そうでなければあんなふうに泣いたりしないのではないか、そう思ったが、自分が何かを言ったところできっと余計なお節介だと切って捨てられるのだろう。心配する気持ちや世話を焼きたくなる気持ちは自分の勝手な想いだ。それを押し付けることはできない。けれど、やはり眠りの中で静かに涙を流すバーナビーの姿はいつまでも脳裏から消えてはくれなかった。そこから生まれるのは、例えるなら子に対する親のような気持ちに近いのだろう。子供が悲しい夢を見ていたら何とかしてやりたいのが親というものだ。しかし、それこそ余計なお節介に違いなく、バーナビーは虎徹の子供ではないし、子供と呼べる年齢でもないのだ。


「…………でも、なぁ…」


いつも冷静沈着で誰にも頼らない姿がバーナビーの真実の姿であればそれでいい。そういう人間だっているだろう。でも、もしそうじゃなかったら、誰かに頼りたくても頼ることができなかったら、この広い部屋で孤独を抱えて過ごしているのだとしたら、そこまで考えて虎徹は思考を止めた。まだ、自分達はそこまで踏み込める関係ではない。バーナビーのパーソナルスペースは、きっとまだ自分に対して開かれてはいないのだ。たとえ開かれていたとしてもそれはせいぜい10センチ程度で、覗き込むことはできても中に入ることはできないのだ。今の自分にできることと言えば、その10センチの隙間からバーナビーの心を窺い見ることくらいなのかもしれない。10センチなら手くらいは入るかな、と考えて虎徹は困ったように顔を歪めた。


「………歯痒いもんだな」


バーナビーと自分の性格が対照的だからこそ余計にそう感じるのだろう。自分が世話焼きな性格であることを虎徹は一応自覚していたし、バーナビーがそれを快くは思っていないことも、一応ではあるが自覚していた。だからやりすぎないように気をつけてはいるが、どう思われているかは分からなかった。疎ましく思われているのかもしれないし、多少は許容されているのかもしれない。
だか、少なくとも昨夜は、バーナビーは酔っていたし、眠ってもいたから、子供にするように頭を撫でたことも、額にキスをしたことも、何も気付いてはいないだろう。気付いていないのならそれでよかった。寧ろ少しでも気付いていれば触れることなどできなかったに違いない。そこまで考えて虎徹は小さく笑った。眠っている時にしか触れることができないなんて、これではまるでバーナビーは野生の獣のようだ。


「…………何、一人でニヤニヤしてるんですか」

「ぅわ!なんだよ、いたのかよ…!」

「そりゃ、いますよ。ここをどこだと思ってるんですか」


呆れたようにバーナビーは言い、溜息を吐く。未だ寝転がったままの虎徹を見下ろす視線は何とも冷たく、いたたまれなくなった虎徹はゆっくりと体を起こした。見上げた先にいるバーナビーは、当たり前だがいつも通りのバーナビーだった。静かに凪いだ視線は、やれやれとでも言いたげに虎徹へと向けられており、そこに昨夜の涙の影などかけらも見当たらない。どんな夢を見ていたのかなんて知る由もないが、これでいいのだろう。
そう。今はまだ、これでいいのだ。せっかく少しだけ開かれたバーナビーの心の扉を、無理にこじ開けるようなことをしてはいけない。少しずつ、少しずつ、開くのを待つしかないのだ。しかし、そもそもこれ以上開くのかどうかも分からないわけで、けれどそれは自分次第でもある、と解釈することにした。あれこれ考えたってなるようにしかならないし、バーナビーが手を伸ばしたその時にその手を取ってやることさえできればそれでいいのだ。ともあれまずは部屋を片付けてお仕事である。
何かが少しだけ変わったかもしれない朝だった。







[*前へ][次へ#]
[戻る]


あきゅろす。
無料HPエムペ!