小説 屋上にて(ロッシュと) デスクワークに疲れると訓練所に足を運び、手すきの者に相手を頼む。技量が近い者がいない場合は稽古をつけてほしいと頼まれることもあったが、一人で剣を振るうのが常だった。 たまたまその日は気が向かず、しかし書類と睨み合う気力もなかったために適当に足を動かしていた。休憩を少し延長しても、後で詰めれば良いのだなどと嘯きながら。 どこを歩いているのかよくわからなくなった頃、ふと目に留まった扉を開ける。今どき珍しく自動ではなく、手で押し開けるものだった。確か非常用として古い建築に多用されていたはずだ、と思い出して、記憶の片隅から聖府中枢の構造図を引きずり出す。どうやら代表官邸の近くまで来ていたらしい。 扉の外は屋上になっていて、眩しさに目を細めた。 「ロッシュ中佐?」 背後から呼びかけられる。 「……閣下」 官邸の主がいた。 「敬礼は不要だよ。休憩中だろう」 制されて右手を下ろす。 「閣下は、何故こちらに」 「私も休憩だ」 馬鹿なことを聞いた。 「花壇を見つけたので近頃よく来る」 視線を辿ると花壇と名乗るには少々おこがましいプランターがひとつあった。 周囲をシールドに守られ、雨さえ降らないこの街では、誰かが世話をしなければ植物など育たない。素人の世話らしいそれは、季節はずれの小さな花を一輪咲かせているのみだった。 「公園にあるでしょうに」 言ってから後悔した。そんな場所に気軽に行けるような方ではないのだ。 そうだな、それに執務室に鉢植えもあるのだけど。 閣下は私の失言など気にも留めず言葉を続ける。 まるで私など存在しないように。 「空が見えるのでね」 「空、ですか」 見上げる。高層建築物と交通機関が行き交い、隙間など存在しないように思える。 あそこだ、と指される。 なるほどほんの僅かだが空間があった。 「不思議なものだ。年中空にいた時はたまの地上任務を楽しみにしていたのに」 「……ここも空です。エデンですから」 「ああ。言われてみれば」 コクーンの、文字通り中心に浮かぶ『エデン』。その深奥に、この人はいる。 「あの、」 何故尋ねたのかわからない。気づけば口走っていた。 「どなたかを待っていらっしゃったのではありませんか」 一瞬、その瞳に感情と言う名の色が乗った。 「……誰も来ないよ」 戻ろう、君も私も暇ではない。 かき消えたそれは空と同じ色だったと信じている。 [*前へ][次へ#] [戻る] |