虹蛇
5p
小宮は速足で廊下を進んだ。
途中、声を掛けてられたクラスメイトや友人とたわいのない話をして別れる。
(はぁ、皆、ホームルームでの事、からかいやがって)
小宮は一人、ため息をついた。
小宮が階段を降りようとしたとき、背中から「あの」と声が掛かった。
小宮は「ん?」と振り返り、声の主を見る。
「天谷」
小宮は気まずそうな顔で、声の主、天谷の名前を呼んだ。
天谷は唇をぎゅっと結んで、揺れる目で小宮を見ていた。
小宮は下りかけた階段を戻り、天谷の目の前まで行くと、パンツのポケットに両手を突っ込む。
「何?」
訊かなくても要件は分かっているはずなのに小宮はそう言った。
威圧的な小宮の態度に、天谷は少し怯えたような顔を見せる。
「あの、えっと。君、ホームルームでのアレ、どういうつもり?」
若干震える声で天谷は言う。
「あー、アレ、何て言うかなぁ」
小宮はバツが悪そうにした。
(急にお前の事がムカついてとか言えないよな)
小宮は何も答えられなかった。
下を向いてしまった小宮を、天谷はどうしたらいいのか分からないという風に見た。
「俺、君に何か悪い事でもした?」
思いついた様にそう言うと、天谷は掛けている眼鏡の縁に両手の指を添えた。
その指は小さく震えている。
小宮はその震える指先に気付いた。
「いや、そう言うんじゃなくて、あーっ!」
小宮は重い頭を下げて唸る。
「じゃあ、なんで?」
切なげな声で天谷が声を上げる。
「何でって言われても、うーっ……」
小宮はパンツのポケットから両手を抜くと頭を押さえた。
そして、そのまま黙った。
そんな小宮を天谷は不安を宿した目で見つめる。
気まずい空気が二人の間を流れる。
「君、もしかして俺の事嫌い?」
不意に天谷にそう聞かれて、小宮は「は?」と顔を上げた。
「俺の事嫌いだから、あんな嘘ついて困らせようとしたんじゃないの?」
「え、いや、違う。別にお前の事嫌いとかじゃないけど。困らせたいとかも、思ってないし」
小宮は首を振る。
(嫌うどころか、今日までお前の事気にもかけて無かったっての)
「じゃあ、何で君はあんな事した訳? 嫌いでもなく。困らせたい訳でもなく、どうして君は……」
一生懸命にしゃべる天谷の顔は切実だった。
そんな天谷の顔を見ている小宮にとどうしょうもない感情が湧く。
「あのさ、天谷」
「君、本当に、俺の事、気に喰わなくないのか? 何かあるなら」
「いや、天谷君さ」
「いや、だから、俺の何が気に喰わないのかなって」
「いや、だからだね!」
「いや、だから君!」
「いや、あーっ、もう! ネチネチうるせーな! つか、あのさ、お前、天谷君さぁ、さっきから俺の事、君、君って言っているけども、もしかして、俺の名前分かってない?」
「え?」
「俺の名前、言ってみな」
「え、えーっと……」
「ほら、やっぱり、分からないのかよ。お前、天谷、相手の名前も分からないくせに、良くつっかかって来たなぁ」
「な、何だよ、逆切れ?」
天谷の額から冷や汗が流れる。
「あ、そうだな、悪いかよ。でも、お前が俺の名前を知らなかったのも事実だろ」
言いながら、小宮は胃に痛みを感じていた。
小宮は天谷の顔を見る。
天谷の表情は暗かった。
「……そうだけど。名前、知らないけど」
天谷は完璧に追い詰められていた。
天谷を追い詰めているのは間違えなく小宮で、小宮には酷い事をしている罪悪感があったが、しかし、小宮には自分を止める事が出来なかった。
「ホームルームでの件、俺に非があるのは分かってるよ。だから、お前が俺の名前を覚えたら謝るから」
小宮の口は、小宮の意思に反して勝手にそう言う。
「は、はぁ?」
「じゃあ、そういう事で!」
「え、ちょっと!」
じゃあなと一言天谷に言うと、小宮は天谷に背を向けて階段を駆け降りた。
残された天谷は気の抜けたようにその場からしばらく動かないでいた。
小宮は校門まで走ると足を止め、肺に空気を送り込んだ。
(俺、最低過ぎだ。何でアイツにあんな意地悪言ったんだろう。素直に謝りゃよかった事なのに)
小宮の気持ちは暗く落ち込んだ。
周りを見れば、友達同士、楽しそうに下校する生徒達がいる。
それが小宮の気に障った。
周りに写る風景の何もかももが小宮には面白くなかった。
全ての物が小宮をあざ笑っている様で、小宮を惨めにさせた。
小宮は歩き出す。
(明日、天谷に謝ろう)
そう決めて、小宮は空を走る汚れた鳶を目で追った。
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