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虹蛇
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 天谷雨喬は五月の終わりの日差しを浴びながら日下部光平の住む安アパート、カーサコミヤの前を大きなカバンを肩にかけて行ったり来たりしていた。
 ここへ来たからには天谷の用事は日下部にあったが、その日下部の部屋に行く事が天谷にはどうも気が進まなかった。

 天谷は日下部とのとある出来事を思い出す。

 大学の屋上の階段の踊り場で日下部に抱きしめられて、それから……。

『ふぅーん、俺の部屋、ねぇ。じゃあ、今度お前が俺の部屋に来たら、お前はそういうつもりだと捉えよう』

 日下部がそう言ったのは多分冗談だ。
 しかし、天谷はこの日以来、日下部の部屋には行かなくなった。
 それは天谷の意地だった。
 それは小さな意地で、曲げてしまったら日下部に負けてしまうと天谷が勝手に思って張っている意地だった。
 下らない意地だと言われたら天谷だってそう思う。
 こんな意地なんて張るべきではないと天谷は思っている。

 日下部の部屋は天谷にとって居心地がいい。
 大学に入ってから知らず知らずのうちに、天谷はほとんどの時間を日下部の部屋で過ごしていた。
 ソファーに座って日下部と二人で過ごす時間が天谷は好きだった。
 このまま意地を張って永遠にあの部屋での幸福の時間を失うのか。

(あーっ、俺のバカ! 日下部のあの馬鹿馬鹿しい質問に、あいつの部屋とか答えるんじゃなかった。やっぱり帰ろう。それが一番だ、うん!)

 天谷は回れ右をして来た道を引き返そうとした。
 すると、振り返った天谷の目の前に日下部の姿があった。
 日下部はコンビニのビニール袋を片手にぶら下げている。
 買い物の帰りらしかった。
「く、日下部」
「天谷か、どうしたんだよ。うちに何か用事か?」
「ち、違う、俺はただ、通り掛かっただけで」
「嘘言えよ。ここ、お前が通り掛かる様な場所じゃないだろ。うちに来たんだろ」
「ちちちちっ、違う! そうじゃなくて! 断じて違がくて!」
「何慌ててんだよ、変な奴。ほら、こんな所にいてもしょうがないから来いよ」
 日下部はそう言うと、天谷を置いてアパートの中へ入って行った。
 天谷は仕方なく、と言うていで日下部の後へ続く。
(落ち着け、俺。そ、そうだよ、普通にお邪魔すればいいじゃん。日下部だって普通にしてたし、案外気にしてるのは俺だけなのかもな……)

 日下部の部屋は、三階建てのアパートの二階だ。
 天谷は日下部と錆のある階段を上り、二階に上がると日下部の部屋の前まで来た。

「待ってて、今、鍵開けるから」
「う、うん」
 日下部がパンツのポケットに手を入れて鍵を探すのを天谷は緊張して見ていた。
(何を緊張してるんだよ、俺は。そう、落ち着け、俺には邪な気持ちは一切ないんだ、堂々と日下部の部屋に入ればいいんだ)
 天谷はそう自分に言い聞かす。

「天谷、お前、何をそんなに緊張してるんだよ」
 天谷を怪しそうに見て日下部は言う。
「なななっ、何言ってんの? 俺、緊張何てしてませんけど」
「そうか? あ。鍵開いたから中はいって」
 そう言って日下部は先に部屋の中へ入る。
 閉まりかけるドアを抑えて天谷は小さく「お邪魔します」と言って、ゆっくりと日下部の部屋へと一歩踏み出した。




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