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Bunny barney (長編)
01




「まぁシノ、偉いわね。寺子屋で5番目だったんですって?」
「シノ、あなたは剣術のセンスがあるわ」

 あたしが見上げると、顔のない女が言った。ここは、どこだろう? ――ああ、あたしの家だ。

「あら、ユキ、まだひと月しか行っていないのに、もう1番をとったの? すごいじゃない!」
「もしユキがいなければ……あなたのことも愛せたかもしれないわね。でも、謝らないわ……だってあなたはあの女の子供だもの。悪いのは全部、あの女とあなた」
「本当に愚鈍ね。誰のおかげで生きていけると思ってるの!? ねぇ……答えなさいよ。私があんたを置いてやってるのはねぇ……ユキがあんたがいなくなると可哀想だからよ! あんたなんか、本当は辰巳家にいらないのよ! わかってる? ねぇぇぇ!?」

 女は頬を勢いよく叩いて、そしてあたしは床に転がった。無抵抗なあたしの体を、彼女は踏みつけたり、蹴ったり、殴ったりしながら罵声を浴びせる。どうしてか、考えていたのは、思ったよりあまり痛くないな――そんなことだった。やがて飽きたのか、女は踵を返した。

「ユキ、誕生日おめでとう」
「誕生日おめでとうユキ」
「ありがとう! お父さんお母さん!」

 横たわりながら、動かない体は放っておいて、首だけを声のする方に向けた。幸せそうな家族の姿。こそばゆいような笑顔の妹。女は妹の頭を撫で、男は優しげに話す。それは正に美しい平和と愛を象徴するようなワンシーン。いったい、あたしと、あの幸せと、どちらが本当で、現実なんだろう? 

 すると誰かがあたしの上半身を起こして、壁にもたれかからせた。

「あの中に混ざりたい、なんて思っちゃいませんよ。だってあの方達は、別の世界の人なんですから。そしてあなたは、汚い部分を請け負うことで、あの幸せの維持に貢献しているんです」

 藤堂。

 ああ、そうか。――あのひとたちは、あたしの父さんと母さん、だったんだ。

 つう、と温かいものが頬を伝う。するとノイズがかかったように周囲の声も、音も、情景さえも薄れ、やがて世界はごうごうと燃える炎の中にあった。焦げる臭いと、熱風。ぱちぱちと爆ぜる音。……ねぇ、藤堂。あたしが守っていたものって。あたしが貢献していた幸せって。こんな簡単に、消えちゃうものなの?

 薄く開いた目に映る、天井。

目覚めの悪い朝だ。……あたしはのそりと起きて、蛇口をひねってコップに水を入れ、飲み干した。

「……雨、降ってるじゃん」

 叩きつけるような雨音だった。通りで少し肌寒い。肩を丸めて、ハンガーにかけてある隊服を……って、あれ、ない。一着は、昨日隊服着たまま寝ちゃったんだったから、無いに決まっている。だけどそれどこらか、もう一着の替えの隊服と、いつもは一緒にかけてある寝巻きと、練習着もない。

 うーん、と頭をかいて首を捻る。少しぴんときて襖を開けた。

「うわ、またぁ?」

 刃物でずたずたに切り裂かれたあたしの衣服があった。ほんっとうに、これだけは面倒臭いからやめていただきたい。誰がやったかなんてことは見当が付いてるっちゃ付いてるんだけど……、あぁ、もう、考えても仕方ない。藤堂のところへ行ってなんとかしてもらおう。

 こっそり藤堂を尋ねると、メールか電話で言えばいいのに馬鹿ですねと言われてちょっとイラっとした。隊服がなくなったことを伝えると、何故かは分からないが替えの隊服がすぐに出てきて、ついでに何着か袴も貸してくれた。暫くはそれでいいでしょう、と言われて、とっとと部屋を追い出されたけど。

 替えの服とバスタオルを持って、離れにある風呂に直行する。外は雨が降っているけど、渡り廊下は屋根があるから濡れる心配はない。脱衣所で服を脱ぎ捨てたあたりで、なんだかいつもと違うような――そのことにあたしはようやく気付いた。

 人の気配がする。とりあえずバスタオルを体に巻いて、がら、と扉を少しだけ開けた。すると、中の風呂にいたらしいショートヘアの女の子とばっちり目が合った。

「うわぁぁぁぁっ!! た、辰巳シノっ!? こ、殺される、何もしてませんから、見てませんから殺さないでぇぇぇ!!」

 女の子はすごい速さで後ずさりして、ぶくぶくと泡を吹いて湯に沈みそうになっている。

「ちょ、ちょっと大丈夫? とって食ったりしないから」
「ぁぁぁ……ギャル怖いぃぃ……」

 ふたたび湯の中に沈もうとする彼女に声をかけ、落ち着かせると、彼女はごめんなさい驚いてしまって、と謝った。いや、あのさ、驚いたのはわかるけど、殺されるとか言ってたよね? あたし、女中内でそんなサイコキラーみたいな設定なの?

「女中の子……だよね? なんでこんな朝っぱらから?」
「い、いやいやいやいや。きききき昨日、夜更ししてしまって」
「名前は?」
「やっ山崎……いえ、山子です!」
「はぁ? 変な名前ね」

 山子と名乗った彼女は、あたしの肩や腕を見て言い淀んだ。

「えーと……随分怪我してるみたいですけど、大丈夫ですか?」
「あはは、まぁ、隊士だしね」

 何も言い逃れできないので、笑っておく。あたしは風呂場の扉を完全に開いて、全身にかけ湯をしてから、彼女に背を向けて椅子に座った。上手い話題はないかなぁと思っていると、山子の方から話しかけてきた。

「あ……、ところでシノさんは、どうしてここに? あ、あの僕……いえ、私そろそろ上がりますね!」

「シノさんなんて、別に、普通に呼び捨てしてよ恥ずかしい。あたしも、ちょっと入るヒマがなくって。そう? もう少しくらい、そこでいてもいいのに」

「い、いやぁ、じゃあもうちょっといようかなぁ! な、なんだぁ、私と一緒なんですね」

 振り返る。彼女は挙動不審で、ちらちらと視線があちこちに移動する。どうやらあたしは彼女を怖がらせているらしい。

「ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「は、はいぃ」

「あたしって、そんなに評判ひどいの?」

「そ、そうですね……話しかけたらキレて殴られた、とか。性格がとんでもなく悪い、とか。話しているとガンを飛ばしてくる、とか。重度のサボリ魔で、夜な夜なかぶき町を走り回る暴走族のボスだとか、目をつけられたら一生終わり……とか?」

 なにそれ、と思わずあたしは吹き出した。

「ふ……あはっあはははっ! 目をつけられたら終わりって! なに、あたしはいつ死神になったのよ。それにあんた、大人しいようで結構言うじゃん」

 笑いが止まらず爆笑していると、唖然としていた彼女が言った。

「な、なんだかシノさんって、思ったより怖くないんですね……」
「そう思ってくれて嬉しいよ」

 あたしは蛇口をひねり、桶にお湯をためて頭や顔を洗っていく。

「ふー、さっぱりした。山子ちゃん、なぁに、そんな顔して」
「だ、誰ですか!?」
「い、いやさっき話したじゃん」
「メイクを落としただけですか!? 本当に!?」

 顔をまじまじと見られる。まるで別人って? 三年かけて磨いたあたしのテクニックをなめるなよ。山子は満足そうなあたしを見て目を丸くしている。

「なに、そんなにおかしい?」
「や、驚きました……」

 鼻歌を歌いだしながら体を洗い始める。そろそろ時間の方が危ないので、さっさと全身を洗い終えると、あたしは風呂に丸ごと浸かったままの彼女に言った。

「じゃあね、あたしはこれで」
「は、はいっ! すみませんでしたァァ!」

 気にしないで、と言ってあたしは風呂を出た。何を彼女はそんなに焦っていたんだろう? まぁ、不審がられている気配はなくて良かった、と安堵する。あたしってば悪評だけはとんでもないからなぁ。あはは。山子、かぁ。今度会った時は話しかけてみようか。

「……何期待してんだろ。はぁ」
 
 あんなのは、たまたまだ。きっと同じところに居合わせなければ、彼女だってあたしと会話したくなんかなかったんだ。見るからに怯えられていたし、きっと話しかけても、迷惑なだけだろう。

 さて、と。隊服に着替えてメイクもして、いつもの辰巳シノに戻ろう。……と、これじゃあ新しい隊服だから、普通に顔以外は真面目な隊士だなぁ。ま、今日くらい構わないか。雨音の中、脱衣所から部屋まで、今日のスケジュールをスマホ片手に確認する。




 その日、監察方山崎退は夜中まで連続天人殺害事件の資料整理にあたっていた。――こき使いやがって、と毒づく暇もなく、そのまま朝まで仕事に明け暮れた。その間、その仕事を押し付けた上司は一度も訪ねてこないのだから驚きである。……あんたのことだよ、土方さん。

 はぁ、あの人ホント人使い荒いよなぁ。上司があの、憧れのユキさんだったらなぁ。ため息をついて、山崎はひと仕事終えたというふうに欠伸をした。なんだか、肌寒いなぁと一枚上に羽織る。そのまま下駄を履いて部屋の外に出ると、ざあざあと雨が降っていた。くしゃみが出て、彼は眠い頭を働かせる。

 えーと……そう、とりあえず、風呂入ろう。棚から変えの服を取り出して、離れにある風呂に向かう。こんな時間だから、誰もいないだろう、そう彼が戸を開けると、予想通り人っ子一人いない様子だった。

 こっくりこっくり揺れながら、目の下の隈を擦って浴槽に浸かっていたその時だった。がらり、と誰もいないはずのその扉が開き、誰かがそこから顔を出したのは。

ここ、女風呂だったのかァァァァ!!

 なるほど通りでおかしいと思ったんだ!! なんか脱衣所が汚くねェし!! 山崎は頭をフル回転させる。最悪なことに、入ってきたのはあの悪名高い辰巳シノ。しどろもどろに言い訳をしようとしていると、どういうわけか彼女は俺を“女の子”と勘違いしてそのまま入ってきた。

いや、いや、さ。普通気づくだろ!? それとも女風呂だから女しかいないとか思ってるのか? ……思ってるんだろうな。俺も思うよ。もう駄目だ。もう、できるだけ身を隠して、なるべく見ないように、こっそりと切り抜けよう。お前ならできる、山崎退。

って、何バスタオル脱いでんのォォォ!? 余計出づらい!! くそっ、後ろを向いているとはいえ、白い背中が見える。白い背中……って、なんだあれ、傷跡だらけで……。

彼女が振り向こうとしている――見てはいけないと瞬時に理解した俺は目を瞑った。……よし、乗り切った。

ああ、ジーザス! 俺は神に祈った。どうか彼女がこのまま気付かずに出て行ってくれますようにと。きっと気付かれたら、相手はあの辰巳シノ。必ず殺されるに決まっている。そんな俺の叫びもいざ知らず、彼女は俺にしきりに話しかけてくる。あれ、なんかこの人、思ったより、そう思って薄く目を開く。

誰だお前!!??

 脳がそろそろパンクしてきたようだ。俺の頭はそんなにものを詰め込めるようにできていない。詰め込めるのはあんぱんだけである。――こんな、普通の女の子だったっけ? 辰巳シノっていうやつは、もっとガラが悪くて、妹にべったりで、口が悪くてギャルで。男なんて全員下僕だと思っている感じの。俺の苦手とするタイプの人間のはずだ。なのに目の前にいる女の子は、普通に女の子で、可愛らしい顔をしていて……いやいやいや、相手はあの辰巳シノだぞ? ありえん。

 なんとか動悸と混乱を押さえて、彼女が風呂場をあとにしたことを確認すると、俺は力が抜けて湯に沈み込んだ。

 ――さすがに山子はないよな。どうか覚えてちゃくれませんように。

「きゃああああっっ! 女湯に誰かいるわ!!」

 がらり、とまた戸が開いた。そこには、風呂に来た数名の女中達の姿。俺は弁明する機会も与えられず、蹴られ、殴られ、ボコボコにされてその場を叩き出された。



「……ん?」

 なんだか、悲鳴が聞こえたような――。シノは風呂の方角をくるりと振り返った。音が雨音にかき消されたのを聞いて、彼女はなんでもなかったように歩みを勧めた。

今日の予定は――過激攘夷浪士の密談の拠点旅籠・六角屋の偵察、襲撃。一番隊を偵察として送り、二番隊、五番隊は後続。あたしらの三番隊は、屯所に残って留守を守ればいいだけ。……今日は死番があたってる、か。

この真選組でいう死番とは、戦闘時における切込隊長のようなもの――考案は土方さんで、隊に一人ずつ、日が変わるごとのローテンションで、その時における“一番先に突っ込んで、死んでも良い役”を決めるというもの。死ぬ覚悟をしてりゃあ躊躇なく切り込める。ま、あたしはそうやすやすと死のうとは思わないけれど。

そういえば、一番隊は沖田隊長が今日の死番らしいとユキから聞いた。ユキと同等の剣の腕を持つ青年。――最近、ユキは沖田隊長の話をよくする。だけどあたしは沖田隊長が苦手だ。持つ者は、持たざる者の気持ちがわからない、とでもいうのだろうか。羨ましいと思うと同時に、恨めしくも思う。ユキと対等に、肩を並べられることが。どんなに努力しても、あたしには届きそうもないのに。

雨、止む気配ないなぁ。

空を見上げると、先ほど見た時よりも雨の勢いは増していた。陰鬱な朝。仄暗い曇天から滴り落ちる大粒の、灰色の雫。今思えばこの時、あたしがその“なにか”を察していたなら――、あんなことには、ならなかっただろうか。




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あきゅろす。
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