Bunny barney (長編)
05
――その娘のことを、俺はどう思っていたのだろう。
土方は、留置所で監視させている娘の処遇について決め兼ねていた。その娘とは、裏切り者の疑いのある少女のことだ。思えば少女とは、五年前からの付き合いである。
少女は金髪にピアスという出で立ちで、逆立ちしても警察には似合わない娘だった。そして性格の方も、面倒なことを嫌がり、職務を頻繁に放棄し、問題を起こしてばかりだった。
総悟並の問題児であることは違いない。彼女はもとより真選組には向いていないということは誰の目から見ても明白だった。だが、そこに“悪意”といったものは感じられず、なんだかんだ言って素行は悪いものの、普通の少女らしい娘だったのだ。
そして局中法度に触れるようなことはしたことがなかった。きっと少女は望んでここに来たわけではない、そう気づいたのは早かった。俺の目から見れば、誰かの都合で、やりたくないことをやらされている、そんな風に見て取れたのだ。だから俺は、総悟や他の隊員のように、少女をどこか腫れ物のように扱うことはしなかった。むしろ自分自身の境遇から、軽い親しみや、同情すら感じていた。新しい環境で、誰も味方がいない、いつも比較され続ける――それに身に覚えがあったから。
好ましいとは思わなかった。ただ、昔の自分と重ねた。むしろ副長としては、裁かなければならない側の人間だったというのに。
そんな姉とは逆に、その娘の妹は、実にわかりやすく、表情がコロコロと変わる娘だった。よくやってくれているし、彼女は存分に真選組の役に立っている。女隊士を入れるなんて、という反発は、彼女のおかげでなくなった。
妹――ユキの評判が上がるにつれ、シノの評判は地に落ちるように下がっていった。その頃から、彼女の素行はさらに悪くなっていったのだと思う。鍛錬にも出なくなった。いつもの行動を考えれば、彼女が本当にこの事件を起こした張本人だとしても、おかしくはない筈だ。証拠も揃いに揃っていた。
だけど俺はどうして。
そんな娘が裏切った、そのことに驚きと悔しさ、悲しさを感じているのだろうか。信じていたなどという関係では、決してなかった。シノとの面識は、ユキに比べればずっと少なかった。多少話をしたり、行動や衣服の注意をしただけ。それでもきっと他の隊士達よりは彼女と話す機会は随分多かったのだろうけど。
これ以上問題を起こしてくれるな、と注意したばかりだった。シノはいつもの様子で、ふざけ半分に笑いながら俺に文句を言った。とても襲撃事件を企むような顔ではなかった。
ならば、あの留置所でのあの顔は何だというのか。少女の持つ気の強さ、反発精神や俺が思っていた心の奥底の、ある意味落ち着いた空虚さなどというものは、どこへいったのだ。困惑と、恐怖と、悲しみ。そんな単純なものに震える、ただの十六の娘がそこにいた。弱くてちっぽけで、何もできない娘がそこにいた。
――胸糞わりィ。
だからなんだと言うのだ。私情を挟むまで、落ちぶれていはいない。
――朝、かな。ひんやりしたコンクリートの壁にもたれて、あたしは目を覚ました。部屋の中央に、看守が置いていったのだろう、朝食があった。そういえば昨日から何も食べていないことを思い出す。だけど手が縛られているので、食べようもない。
ご飯、食べたい。ぼーっとしたままの視界が、次第にはっきりしてきた。
はぁ……もう、嫌になるっての。ていうかさ、よくよく考えてみれば、あたし何も悪くないんじゃないの。冤罪じゃん、冤罪冤罪。天下の真選組がさぁ、そういうこと軽々しくしちゃっていいわけ? これであたしがそのまんま処刑されたりなんかしちゃったらさ、人道的にどうなのそれ。副長だって、少し位は話聞いてくれたっていいじゃん。見てよこの脚。名誉の負傷よ? ちったぁ同情してくれたっていいじゃない。
ああ、腹立つ。腹立つ腹立つ腹立つーっ!
空腹で胃がキリキリする。何を昨日は素直にショックを受けていたというのだ。元よりあたしはそんなか弱い人間じゃないし、図太い、しぶとい、めげないを地で行くのが辰巳シノだろう。それをなに、あたしは何もできない娘だって?、そんなことが、そんなことが認められるわけがない。何をする能力もないけれど、自分だけはそのことを正しいと思っちゃいけない。自分を認められないなら、誰もあたしを認めてくれるわけがない。
弁解については藤堂とユキに任せる。そしてあたしは無実を主張し続ける。簡単なことだ。
「ねぇ、看守のひとー!……いないのー? 外にいるんでしょ、ちょっとー!?」
飯を食わせろー!と寝転びながらがんがんと部屋の壁を怪我していない方の足で蹴って大声を出す。すると、扉の鍵ががちゃりと開いて、外から男が入ってきた。
「手ェ外してくんないと、ごはん食べれないんだけど」
目の前に置いとくだけって拷問か? 不満げに看守の方を見る。
「あ、ああごめん。気づかなくて……」
髪をかきあげる看守と、ばっちり目が合って、息が止まりそうになった。そこにいたのは、先日風呂にてばったり会った女中の少女の顔――。
「あ、あんた風呂の時の!?」
「ヒィッ!!!!! ごめんなさいごめんなさい!!!」
では、なくて。こいつ、男だろう!? いや、むしろ風呂場にいた時も、随分ガタイがよくて声の低い女の子だなぁと思ったもの――待てよ、その理屈はおかしい。じゃあつまり、この“男”は、女風呂でいたってことに……? ははぁ、つまりそうか、なるほど。
「敢えて覗きという観念を捨てたと……!? エクストリームな新しい形として先に待ち伏せ、ここに男がいるはずがないという女の思い込み、それを利用しただと!! なんたる下劣なっ!! この変態っ!!」
あたしは縛られて床に転がるという哀れな格好をしながらも、彼を罵倒する。
「なんかこの人スゴい解釈しちゃってるゥゥ!?」
「さいってー……ねぇ、どこまで見たの? ねぇおっぱい見た?」
「みみみ、見てません!!! ほんと、全然見てないです!!!」
裸でもないのに目を覆い隠して焦る山子(本名ではないだろう)に貴様は女子かと突っ込みたくなる。ばっきゃろー、死にたいのはあたしの方だ。まだ彼氏にも見せたことないんだよ!! 居たことないけどな!!!
「ふーん、まぁ、いいけど、で今度は何? 監禁プレイ? 囚人と看守プレイ? そーいう感じのアレですか?」
本当は良くないけどな!!! 未来永劫根に持ってやるけどな!!
「違いますっ!!! あんた楽しんでるでしょォォ!?」
彼は後ずさりしながら叫んだ。
「なんかあたしが責めてるみたいな感じになってるけど、傍から見てもあんたただの最低な覗き魔だからね? そこ間違えちゃいけないよね?? あたしだからよかったけど、ユキとかなら他の隊士から闇討ち? 拷問? 処刑でもされてたよあんた。はいそこ、ちょっと安心した顔しない。地味だから表情なんて気付かないと思い込まない。だから、あんた、本気で悪いと思ってんの!?」
「すみませんでしたァァァッ!!!」
ねちねちと愚痴を言い続けるあたしに、さすがに堪えたのが彼はスライディングしながら土下座を行う。……そんなに頭下げられたらこっちが申し訳なくなるよ。
「その件は、本当にすみません……俺疲れてて、まさかあそこが女風呂だとは」
「本当かどうかかなり怪しいけど、まぁそういうことにしとく。だ、だからあんたもさっさと忘れなさいよね!? はい、記憶消去! この話題はもう出さない!! はい、さっさと手の縄外す!!」
ぽかん、としていた彼だが、すぐさまはっとして、あたしの手に巻きついている縄をはずしに来てくれた。結構きつめに縛ってあるせいで、難儀しているようだ。ちくり、と麻縄が肌に刺さった。
「痛っ!」
「す、すみません、かなりきついみたいで……」
「べつに、かまわないから、さっさとやっちゃって」
いてててて、と唸りながら、ようやく縄が全部外れる。彼が背中を支えてくれ、ゆっくりと起き上がった。自由になった両手を見ると、赤いあとがくっきりと残っていた。どうやら内出血もしているみたいだ。
「ありがと……そういや、山子。あんたの本当の名前って、何なの?」
「山崎退と申します。あの時は、咄嗟に出たのが、山子で、」
「そう。でもその話題はもう口にしないでって言ったよね?」
「あー、いや、そんなつもりではなくて……あっ、そうだ! シノさん、外で相当やばいことになってますよ」
山崎は申し訳なさそうに、少し下を向いて言った。
「そりゃ、今日はここの看守してるくらいだから、あたしが何したかもう知ってるでしょ」
「……本当に?」
彼は真剣な目でこちらを見て、そしてあたしの包帯を巻かれた左足を見た。煽るような言葉を言うべきじゃなかったな――だけど、彼の真摯さに答えたい、と思った。
「やってないよ、あんたが信じるかどうかは別だけど」
「俺も……あなたがそんなことをするとは、どうも思えません」
言葉が胸を打つとは、こういうことを言うのだろう。
……やめてよ。誰も信じちゃくれないって、思っていたばかりなのに。五年間も一緒にいて、誰もあたしのことを信じてはくれないって、そう絶望してたばっかりなのに。なのに、なのに、信じてるなんて、あんた一度会ったくらいの他人じゃんか。自嘲してたのがばっかみたいだ。
目頭が熱くなるのをこらえて、なんで、とそのまま口に出す。
「そりゃあ、なんとなく、ですかね。俺、監察方なんてやってるから、わかるんですよ。嘘をついている人の目が。ちょっと、何いってんだコイツみたいな顔をしないてください」
「そんな顔してませーん、ちょっと心の声が顔に出ただけですぅ」
「心の声漏れてるじゃないですか! どうしてシノさんはそんな、余裕たっぷりなんですか!? 俺はこれでも、ちょっとは心配したんですよ!」
「えーと、ちょっととは?」
「そう、あの一件で、シノさんに対する認識がちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、いやものすごい少しだけ変わったっていうか……むしろ、どことなく俺に似てるっていうか……」
「えー、それってほとんど変わってなくない??」
「あ、ああぁ、すみません!!!」
再び泣きそうになりながら土下座しようとする彼。――僕は、あなたがそんなことをするとは思えない。なんだかその一言で、だいぶ救われた気がした。
「ありがとう、山崎退……だっけ。ほんと、誰も話聞いてくんないし、ありえないって思ってたけど、ちょっとだけ嬉しい。だけど、自分のことは自分で何とかするよ、……ほら、あたしってこんなんだから、皆が誤解するのもある意味当然じゃんって思うんだよね。それにあんたに迷惑をかけるのは違う気がするし。ほら、庇われるのもだっさいじゃん?」
少しはにかんでしまったのを、彼は気づいただろうか――。
「それに、その、これからも付き合いを続けていくのは、悪いことじゃないと思う。ってか、たまに話してくんないかな……生きてたらだけど。その、平たく言うと……お、お友達に……あ、いや、今のは忘れて! だけど、あたしのことをさ、少しでも思いやってくれるんなら、隊士の皆が居るところでは、あんまりあたしと話さないでくれる? えーと、ほら、あんたみたいな暗いやつだと思われるのやだし……ユキの前ではいいけど」
いきなり、山崎はシノの方を強く見つめた。
「……そ、それはつまり、今後俺に、皆には気づかれずにパシリになれと」
「え? そういうつもりでもないんだけど」
「その代わり何も手を出さないでやるし、ユキさんと話すチャンスをやると、そういうことですね?」
ううん、と葛藤するように山崎は頭をひねる。待って、待ってくれ、多分あんたはすごく重大な勘違いをしている。――あたしは彼の肩を叩く。
「おーい、退くん? ま、待ってよ、いつからそういうことになったの? あんたは、あたしの話し相手になってくれたら嬉しいって、言っただけじゃんか」
「話し、相手に……? はっ!!!」
なにか重大な秘密に気づいたとでも言うよりに、山崎は顔面蒼白になった。
「なるほど、取引というわけですか……」
「待って、あんたの脳内にあたしがついていってない!!」
「看守はほかに任せます。大丈夫、あなたが本当に無実なら、僕はそれを証明する証拠を揃えるなんてちょろいもんです。監察方山崎退を、舐めないでください!」
地味な顔のくせに、いいやつかよ、こいつ――。全世界の顔が地味な奴に全面的に喧嘩を売るような言葉を脳内で言いながら、あたしは駆け出しっていった山崎の後ろ姿を見つめていた。案外悲観しているのがばからしくなって、少し笑えた。
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