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Bunny barney (長編)
02


「沖田隊長、どうやら気付かれたようです!」

 偵察から戻った隊の一人が焦燥した様子で叫んだ。ぴりりと緊張が張り詰める。六角家での攘夷浪士密談の疑いは、真実である――それが確定した瞬間でもあった。

「後続に連絡を。……アイツらが来るまで、俺達だけでここを凌ぐ! 誰ひとり逃がすな!」

 壁に沿ってしゃがみ、機会を伺っていた沖田が、もう隠れる必要もないと立ち上がって鞘から刀身を抜いた。それまで偵察に徹していた隊士達の瞳に焔がともった。それはこの日の死番である沖田自身も例外ではない。雨にさらされたひどく冷静でつめたい体と、昂ぶった感情が、獲物を今か今かと待ち構えている。とうに準備は出来ている。

 扉を破った音は、雨音にかき消された。突入した沖田に、あとから数名の隊士がつづく。初めに斬りかかってきた一人を沖田が一太刀で斬り捨てると、辺りは血で満たされた。それを皮切りに、続けざまに攘夷浪士が斬りかかり、真選組が応戦する。それは紛うことなき乱戦であった。

 刃先から滴り落ちる紅い雫が畳に染みを作る。沖田は足を止めることをせず、ひたすら本拠に向かう。何人斬ったか、もう覚えていなかった。覚える必要もなかったが。ただ自分の顔も体も、その刀もひたすら血にまみれていることだけはわかっていた。

 ――しゃらくせェ。

 退路を塞がれた上位浪士たちは袋の鼠ではあるが、いかんせん、数が多い。いっそのこと逃走を諦めて、こちらに全員向かって来るのなら、まだ勝機はあっただろうに。……ま、それでも俺が全部片付けてやりますが。

 三人をまとめてたたっ斬ると、ようやく敵の姿が見えなくなった。あとは、あの奥――そう、この部屋だけだ。障子を乱暴に開けると、数十人の浪士がそこで刀を構えていた。

 沖田は笑みを浮かべた。浪士達はその表情に怯えてはいたが、それでも足も、剣も、折れることなく、崩れることはなかった。死線を交える覚悟は、もう彼らにもできていたのだろう。それでこそ、叩きがいがあるってもんよ、沖田はこの大人数に囲まれても、怯むことはなかった。

 咆哮と悲鳴。あちこちで刃が舞い、血が踊る。

やがて、刀を交える硬質な高い音が聞こえなくなったころには、そこに立っていたのはひとりの男だけだった。

後に六角事件、と呼ばれるようになる事件の結末だった。







 朝に一番隊が出発し、後発も暫くして続いた。屯所は静けさと雨音に包まれていた。

 最初に異変に気づいたのは、誰だったかはわからない。下宿所の裏手からつながる、資材等の搬入用通路の扉の鍵が、かかっていない、とある隊士が気づき、自身の隊の辰巳隊長に報告した。

「裏手の鍵が?」

 全く、誰が――、昨日は刀の手入れの道具をまとめて搬入したから、その時だろうか、と書類仕事をしていた辰巳ユキは考えた。扉は重金属でできていて、一人二人では開閉のできない仕組みになっているし、警備のものがそこに一人、入口には二人、そして周辺の見回りも二人居たはずだ。何かあれば連絡が来る。取るに足りないことではあるが、今は屯所の警備は手薄。何せ三番隊以外は全て出払っている。彼女は事態を重く考え、それ以外に異常はなかったか、と聞いた。

「いんえ、きっと昨日のことで、閉め忘れたんじゃねえかと」
「それだけだといいのだけれど……貴方は今日の警備担当でしたね、人数を増やして、引き続き怠らないようにお願いします」

 私は今、手が離せないので、と申し訳なさそうにユキは言った。隊士は了承し、執務室を出ていった。

 そのちょうど隣の部屋、障子一枚挟んだところに、金髪の少女が聞き耳を立てていた。

 裏手の鍵が開いてたって? おい警備、大丈夫か真選組。そんな怪しい場所から抜け出すのはあたしくらいで……って。そういえばこの前それを見て副長に怒られたような。

 今朝、副長にまともになった隊服を見られて、それでいい、と言われたことを思い出す。いや、うん、あんたの注意を受けたわけではないんだけど、一応それを聞いてこうなったってそういうことにしといて。

 まぁ、そんなことはいいとして、見てこようか。

 彼女もまたそれをあまり危険視していなかったが、真選組なんぞどーでもいいが、妹になにかあってはたまらないとそこを抜け出した。

 気づいたときには、もう、すべてが遅かった。

 宿舎の裏手から侵入したであろう賊どもの数は、今、あたしを取り囲む者たちだけで、ゆうに十を超えていた。この視界と、足場の悪い雨の中、どれだけ戦えるかすらもわからない。

「止まれ!」
「威勢のいい嬢ちゃんだねェ、――だが、この人数を相手にひとりってェのは、流石に無理があるんじゃねェかい?」

 男たちが下品に笑った。くそ、よりにもよって、こんな時に。攘夷浪士か、犯罪組織か。いずれにせよ、だ。きっとこれが全員ではない。既に屯所の中に侵入した者もいるだろう。シノは頭をフル回転させる。せめて別の場所で戦えれば、と考え、首を振る。逃げることもできなさそうだし、時間を稼ぐこともできそうにない。それに、他の隊士に連絡しようにも、そんな隙があるわけじゃない。

 ……藤堂、あんたもしかして見てるんじゃないでしょうね。……って、ばっかじゃないの。あの男が今助けに来れるはずはない。それでも誰かが仕組んだ嫌がらせの罠だと思いたかった。

「ッ!?」

 おお振りな太刀筋で、男の一人はあたしを捉えようとした。――速い。それでも男は、その一撃は挨拶だと言わんばかりに余裕げな顔をしている。ぎりぎりで仰け反って避けることに成功したが、次はどうなるか。あたしはようやく今置かれている現実に恐怖を覚える。何を、自分は、自分は”やれる”気でいるのだろうか? あんたはユキや、沖田隊長とは違うんだよ。そんな声が脳内で響く。

「あ、……あ、んた達、何が、目的?」
「それを言う義理はねェが……ひとつ教えてやるとするならば、この“真選組”に用はねェ、コトが済んだら帰ってやるよ」

 ふいに、妹のことが頭をよぎる。この男は、いま、なんといった? ……ある特定の人物を指しているにはちがいない。ある“誰か”をターゲットにしているのは違いない。

「それは」

 それは、辰巳ユキに関係のあることじゃないのか。

 だとしたなら、あたしは――こいつらをここから通すわけには行かない。言葉を飲み込み、男の次の一太刀を前方から浴びる。リーダー格らしい男の斬撃はひたすら重く、力負けしたあたしは弾き飛ばされそうになる。ぐっとこらえた足首は、今にも重圧に耐え兼ねてばらばらになりそうだ。

 ふらつきながらも構えを取ると、次は別の男が斬りかかってきた。それを刀で受け流すと、またもや次の刃が腹のあたりを狙う。無防備な左腹を切りつけられる前に後ろに右足を踏み込み、バックステップで避ける。まずい、後ろは壁だから、なるべく後退はしたくなかったのに。

 ふたたび横から、前から同時に二人。上から斬りかかってきた奴に向かって足蹴りで対抗して相手を蹴飛ばす。前のふたりはまとめに受けたら本当にやばい。右に一撃目を回避して。

 ひだりあしが、うごか――

 煉獄の炎で焼かれるような痛みに、声にならない悲鳴を上げて、あたしは地面に転がった。倒れたおかげで、結果的にたったいまの斬撃を受けずに済んだこともわからなかった。倒れた時の、どん、という心臓を付くような衝撃で息が乱れる。混乱しながらも立ち上がらなければ、と力を入れると、激痛が走った。

「おうおう、もう終わりかい?」

 覗き込む男の顔は、その輪郭がぶれるせいできちんと認識できない。

「こんなになっちゃあ、もう立てねェなァ」

 痛みで息ができず、ひゅうひゅうと鳴る肺。足元に目線を向けると、足の甲は刃で貫かれ、地面に縫い付けられている。必死で芋虫のように上半身を起こし、刺さった刀を抜こうとする。

 また、悲鳴があがった。今度は衝撃が頭を真っ白に染めた。ぐらぐらと揺れる視界。気分が遠くなる。顔を殴られたと理解したのは、熱い頬に触れてからだった。もう、喉から出るのは、嗚咽と、それを塞き止めようとする荒い息遣いだけだった。

 完全に無力化したあたしを直ぐに始末する必要はないと相手も思ったのだろう。むしろ相手は待っているように思えた。あたしが呼吸を整えて、ああ、これから死ぬんだって理解できるように。

 考えることを放棄したかった。死ぬんだろうなぁってなんとなく思った。あたしの人生、使い潰しの人生だ。誰に慕われることもなく、なんの才能もない役たたずな娘。誰にとってもいらない娘。五年前のあの日を思い出す。

 ああ、なんて出来損ないにふさわしい結末だ。

「シノ!!」

 冷たい雨が急速に体温を下げていく。瞳を閉じたとき、私を呼ぶ妹の声が聞こえた気がした。




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あきゅろす。
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