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檻の中A(SSnovel烙印続編)



「……ん」

暖かい。を、通り越して暑い。

茹だるような熱を感じてか、奥底に沈澱していた意識がだんだん浮遊してきた。

「む、?」

ゆっくり目を開けると、霞んだ視界の先に、なんか居る。
なんか毛だらけの。髭の生えた……

「――って、ね、猫?!」

驚いてその毛むくじゃらから距離をとった瞬間、

「ぶみゃ」

「あいたっ」

転がり落ちた。ベッドから。
後頭部をもろに打って頭を抱えて身体をくの字に曲げた。

ううう。ジンジンする、痛い。くそ、ベッドが小さすぎんだよっ! ベビーベッドかよ、これ!


……ベッド?

「みゃ」

「わっ、ぷ」

ざらついた、まるでやすりみたいな舌に顔を舐め回される。
当然だけど、痛い。

顔の皮膚は他の場所に比べてやわで敏感なんだって、止めてよ!

そう猫に説教をしてやろうかと思って、とりあえず起き上がろうと片手で身体を支えた。
上半身を立たせて、ベッドの上に目を向ける。

目に飛び込んで来たのは、あの大学のウザ男だった。
まさか……服は……着てるな。見れば、俺自身も見覚えの無いスウェットを着せられていた。くすんだグレーの、毛玉だらけのスウェット。サイズがかなりでかい。手が指先しか出てない。

「……ヤったわけじゃないんだ」

ベッドで気持ち良さそうに眠る男を、頬杖付きながら見つめてみる。

何か、バカっぽい……。
口半開きだし涎垂れてるんだけど。ヤバくない? この顔。昨日引き連れてた奴らこの顔見たらどう思うんだろ。

携帯のカメラ機能を起動させた。フラッシュをオフにしてパシャリ、一枚。

「ぶみゃぁあ」

いつの間に居たのか、俺に寄り添うようにくっついている猫に思わず笑みが漏れた。

「お前のご主人さま、バカっぽすぎじゃない?」

「にゃ」

肯定するみたいに一鳴きした猫に吹き出してしまった。


「――セックス無しで誰かと眠ったの、かなり久しぶりかもしんない」

ぽつりと零れた自分の言葉で、何故か胸が締め付けられた。
誤魔化すように、男に右手を伸ばす。脱色されて痛んだ髪に触れる。
見た目のまんま、パっサパサ。
微かに香るシャンプーの匂いが、柔らかい寝息が、上下する胸が、

「ミぃ」

ざらついたあったかい舌が、床に着いたままの左手の甲を擦る。慰めるみたいに。

「馬鹿なのは、俺かな」

目の奥が熱くて、零れても零れてもとめどなく流れる涙。
それすら、懐かしい気がした。






部屋から出ると、すぐに目に飛び込んで来たのは下りの階段だった。
視線を巡らせると、他にもドアが三つ見えて、内一つは小窓が付いていてドアの左にスイッチがある。トイレのようだった。
男は実家暮らしみたいだ。大学生だし、遠方から通うわけでもなければ普通かな。

恐る恐る階段を下る。
水が流れる音と、テレビだろうバラエティー番組のような賑やかな音声が漏れている。

家族の誰かがいるんだ。
どうしよう。

「あっ、起きたんだ。おはよう〜」

掛けられた声に驚いて、肩が跳ねた。
声は後ろから聞こえた。振り返ると、俺よりいくつか年上に見える女の人がいた。

「驚かせちゃった? ごめんごめん」

「い、いいえ……。おはようございます」

「お腹すいたでしょ? ってゆうか周平の奴まだ寝てるんだ。叩き起こしてこようか?!」

そう言って豪快に笑う姿は、俺が持っている女性像をものの見事に打ち砕くものだった。
唾すごい飛んでるんだけど……まぁ、いっか。

「気持ち良さそうに寝てたんで放っといてあげて下さい」

「そ? ええと君は……」

「有井です。有井拓真。……えと、周平君とは大学が同じで」

確か周平って言ってたよなこの人。さすがに名前間違えてたら怪しまれるよね、多分。

「そうなんだー。いや何かさ、アイツがつるんでる連中とあんまりにもタイプが違くてさ。
なんて言うか上品だし、すっごい綺麗だしさぁ、君。びっくりしたよ」

「いいえ、そんなこと――そういえば俺、昨日は何かご迷惑を掛けていませんでしたか?」

「何もないよ? あたしも会社の飲みで、ちょうど周平と帰りが重なってさ。でも周平が拓真君をおぶってるの見てたくらいだしね〜」

おぶられてたんだ、俺。……ちょっと、いやかなり恥ずかしいんだけど。

「こっちおいでよ。今日父さんも母さんもいて賑やかだけど気にしないで」

恐らくは周平君のお姉さんだろう。手招きされて戸惑いながらも人が生活する音がする部屋に足を踏み入れた。



***

「ぎゃははは、マジウケるんだけど!」

「こら、千夏っ。言葉遣いが悪いっ」

「おい」

「拓真君悪いね、家の子は品が無くて」

「そんな事はないですよ。とても素敵なお姉さんがいて周平君が羨ましいです。俺は一人っ子なので」

「おいコラ」

「そうなの〜? じゃあ家の子になりなよ、拓真君なら大歓迎だよ」

「おい!!!」

「ああ周平、いたのー?」

リビングにいた周平君以外の家族と四人で談笑しながら遅めの朝食をとっていた。
お姉さんを始め、おばさんもおじさんも濃いキャラクターで実は結構人見知りする俺でも、すんなり輪の中に入れてもらえた。
家族って言うものがよく解らない俺でも、この家はとてもいい家族なんだなって感じられた。むず痒くて……温かかった。

そこに大分遅れて登場した周平君。当然だけど、かなり戸惑ってるみたい。

「ほら周平! 拓真君待たせて! ところで拓真君、今日はどこか周平と出掛けるの?」

「は?! つーか母さん拓真君って……」

「いーじゃない、まさかアンタの友達にこんなイケメンいるなんて思わなかったんだもの。ねー拓真君」

「そんな事ないですよ。周平君は凄く人気者みたいですし、周りの友達もかっこよかったですよ」

「し、周平く……っ」

俺が名前で呼んだことに動揺したのか、周平君は顔を赤くして口を手で覆っていた。

「何アンタ、顔真っ赤にして」

「う、うるせぇな馬鹿姉貴! 黙ってろよ!」

「にゃ〜におぉ? お姉様にそんな口きいて、……ね〜え拓真くぅん。周平のはっずかしぃ過去、教えてあげよっか?」

「すみません申し訳ございません調子こきました失礼いたしました」

大学で感じとった雰囲気とは全く違った扱いを家族からは受けているみたいで、それが何だかおかしい。友達の間では、はたから見ても明らかに中心人物だったのに。

家族って普通、多分、きっと……特別に素を出せるもの、なんだろうな。
よく、わかんないけど。

「お食事、ご馳走様でした」

「あら、いいのよ拓真君! そのままにしておいて。たいしたもの出せなくてごめんなさいね」

「いいえ。こんなに賑やかで楽しい朝食の席にご一緒させて頂いて嬉しかったです。……そろそろ帰ります。本当にお世話になりました」

ペコリとお辞儀をして、食事の皿をキッチンに運んだ。
「ゆっくりしていけばいいのに〜」と言ってくれる周平君のお姉さんにありがとうの意味を込めて会釈をする。


「それじゃあ、周平君。また大学で。本当にありがとうね」

鞄を手にして、玄関まで見送りに来てくれた周平君にお礼を言う。他の三人も一緒に玄関まで来てくれた。

「家まで送るよ。父さん、車の鍵借りるよ」

「傷付けるんじゃないぞ」

「分かってるって」

一泊、泊めてもらった上に車を出して貰うなんてさすがに申し訳なさすぎる。断ろうとして慌てて口を挟んだ。

「い、いいよ! せっかくの休みに」

「気にすんなって。じゃ、行ってくる」

「帰りにミニステップのバニラアイス買ってきて」

「じゃあお母さんはミックス」

「父さんはベルギーチョコ」

「ったく、うるせぇな! わ〜ったよ。行ってきます」

何だかもうこれ以上、断るタイミングを失ってしまった。
相変わらずテンポのいい家族の会話を聞きながら、顔が緩むのを感じてしまう。

「お邪魔しました」

改めて深くお辞儀をする。

「またおいでね、拓真君」

「いつでも泊まりに来なさい」

「も〜、父さん、拓真君の事気に入りすぎ!」

「だって可愛いじゃないか」


――何だろう、この感覚。
味わったことの無い感覚。
胸が……むずむず? するような。

「ほら、もう行くからな! ……拓真」

「うん――え?」

腕を引っ張られて、玄関から外に出る。
後ろから周平君の家族の声が聞こえて手を振り返した。
助手席に促されて席に着き、シートベルトを装着する。
車が発進して、自宅マンションの近くのスーパーを周平君に告げるとすぐに了解の返事がきた。


「それよりさ……大丈夫か?」

「え?」

「顔、赤いからさ。具合悪いんじゃないか?」

言われて、サイドミラーに目をやる。
耳まで真っ赤に染まった自分の姿が目に飛び込んできて、とんでもなく恥ずかしい気持ちに襲われた。
見られたくなくて両手で顔を覆った。

「お、おい拓真?! 大丈夫かよ?!」

「へ、平気……気にしないで」

さっき周平君が、彼が知らない内に俺が彼を名前で呼ぶようになった時に顔を赤くしていたけど。

何で、俺まで。


「やっぱり家まで送るから。スーパー近くなったら道案内よろしくな」

「え、いいってば!」

「ダメ。そんな熱ありそうな奴歩かせられねぇし」

「でも、」

「いいから」


熱があると思われてる。
俺も、早くその熱が冷めてくれることを必死に願ってるのに全然効果なしで。

周平君が俺の名前を口に出す度に顔が熱を持つのを感じてしまって。
何、これ。意味わかんないよ。


何を話したのか覚えてないけど、本当に必死に冷静さを装ってそればかり気にしてた。

部屋に案内して、マンションで一人暮らしだと知った周平君はかなり驚いていた。

「いいなー。こんなとこに一人暮らし……うわ、しかも広っ。何部屋あるんだよ」

「3LDK。でも使わない部屋もあるし」

「すっげぇ! 羨ましいぜ……」

部屋を見渡して感嘆の声を上げる周平君を見ながら、思わず口に出していた。

「そうかな。俺は……周平君みたいに賑やかな家族がいるほうが良いなって、思ったよ。楽しくて、明るくて。
家族ってこんなかなって思った」

そう、何の気無しに言ってからはっとした。
俺は何を言ってるんだろう。

ぽかんと口を開けて俺を見詰めている周平君に気付いて余計恥ずかしくなった。

別にこの生活に不満なんて無いのに。父親にも特別不満なんて感じたことがないのに。


惨めだ。


「拓真」

「な、何?……うわ、」


呼ばれて、反応してすぐに人の温もりに包まれていた。
周平君に抱きしめられていた。

性欲に塗れてない。
ただ俺とセックスしたいから、だから可愛がるとか、そんなんじゃない。

でもそれじゃあこれは何だって言われたら、俺には解らない。

セックスの無い、人との重なりなんて俺は知らない。


「周平、君」

「……俺さ、正直自分でもよくわかんねぇんだ。何でこんなに拓真のこと知りたいとか、冷たくされても構いたくなるんだとか。拓真は男だし、でも俺の周りのダチとは何か違くて」

抱きしめる力が強くなる。
俺の手は、所在なさ気に垂らされたままだ。

「よくわかんねぇ、けど、――友達としてっつうか、近くにいても良いか……?」

耳元で言われて、今まで経験したことがないほど胸が高鳴った。
愛の告白を受けたわけでも無いのに。友達として、近くにいていいかって聞かれただけなのに。

そんなこと普通聞くもの? って感じだけど……


「あ、アドレスと番号っ」

「……は? え?」

「……俺のアドレスと番号、聞かれたの、アレ、まだ有効……?」

― 『っ、いや、ま、待った! 番号とアドレス、交換してよ!』 ―


……返事が無い。
恥ずかし過ぎて周平君の肩口に顔を埋める。


「無効」

「……」

「な、わけねぇだろ……っ!」

「わっ」

「ああ有り得ねぇ、拓真、可愛すぎる」


抱きしめる力が更にまた強くなって、苦しくて周平君の背中を叩いた。
意味が通じたようで、拘束が緩くなる。
俺は叩いた手を、そのまま周平君の背中に回した。

「拓真、まだ、まだ自分の気持ちに整理つかないから、言えねぇけど」

「――うん?」

「いつか、そんな遠くない内に、言うから」


こんな遠回しなことがあるのか。
もどかしくて、それなのにそのもどかしさすら心地好くて。
ノンケだろう彼は、俺のこともそう疑ってなさそうだし、そりゃあ躊躇うのが普通だよね。


「……うん」


だから、ただ俺はそう言えば良いんだ。
いつか来るかも知れない、来ないかもしれない日を待つよりも、ただ周平君と友達でいられる権利を守りたい。今は、とりあえず。

彼の身体より、彼との時間が欲しい。



大学四年、六月十五日。


俺と周平は友達になった。






***


「……拓、真」

「ただいま周平。いい子にしてた?」

「腹、減っ、た」

「はいはい」

破綻した関係は新たな関係を構築して今もここにある。
俺のマンションで、俺と周平は二人で生活している。


「周平、今日ね、お姉さんに会ったよ。今度結婚するんだってね。招待されちゃった。二人で参列しようね」

「……ああ」

「お姉さん、綺麗になるんだろうなぁ〜」

周平の服一枚だって身につけられていない身体に指を這わせれば、周平の身体はビクリと反応した。

「……良いね。お姉さんは祝ってもらえて」

「……」

「男と、女だもんね。赤ちゃんも産めるし、家族が作れる。その赤ちゃんがまたおっきくなって、子供産んで、孫が出来て」

「……」

「……そんなフツウが、フツウの幸せが欲しい? ねぇ、周平」


周平の子を孕んだと言う女は流産したらしい。
俺が女の彼氏を誘惑して堕として、操って。
ちゃんと調べさせたら、周平じゃなくて彼氏の子供だったみたいなのに。

彼氏も彼氏で俺と浮気したこと棚に上げて周平と寝た彼女を責めたみたい。

で、赤ちゃんは既にお腹の中で息絶えてたみたい。産まれる前に、階段から落ちたわけじゃないのに、お腹で死んじゃうことがあるなんて知らなかったよ。

赤ちゃんは可哀相だね。
俺みたいなクズがこんなのうのうと生きてて、まだいくらでも救いようのあった命が外界を見る前に死んじゃうなんてさ。


「周平、逃げたい?」

「……」

「……なんてね。ダメ。周平は俺から離れちゃダメ。絶対ダメ」

力の無い周平の身体をきつく抱きしめる。
反応一つ無くて、まるで人形を抱いてるみたいだ。

今は、セックスで快楽を感じてる時くらいしか周平の表情が見れない。


「周平、……周平」



欲しいものは今この腕の中にあるのに。
決して満たされない思いを周平の身体にぶつけても、刹那的な満足感しか得られなくて。



――いつか、そんな遠くない内に、言うから。





あの時周平に抱きしめられていた俺は世界一幸せだった。





それだけは、狂ってしまった今でも、確かに解るんだ。




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