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 取り囲まれた人と会話にすっかり気を取られ、目前まで迫っていた馬車、蹄の音に全く気づきもしなかったのだ。
 目的の人物の位置を見計らうように停止した馬車は、やや暫く沈黙を守った後に、再び動きを見せる。
「閣下、サファリ様をお連れ致しました」
 漆黒のドアが開くと、そこからは革張りの黒いブーツを履いた足がステップを踏んで降りてくる。
 その人物はサファリではなくマジェスタ。
 先に馬車を降りた金色の髪の青年はアストロに敬礼したのち、顔にかかる前髪を払いながら視線を馬車の中へ配らせ手を差しのべる。
 しかし当の本人は一向に馬車を降りようとせず、まして差し出された手も掴もうとはしない。
「お兄様……」
 小言のように囁き声をあげ、差し出された手を払いのけたサファリは、意を決し馬車を降り立つ。
 その行動は相当な勇気が必要だっただろう。
 自分から馬車を降りるなど、普段なら有り得ない行動に驚いたマジェスタとアストロだったが、予測しなかった展開はまだ続いた。
「サファリ……──!?」
 艶やかな長髪が風に揺れ、アストロは信じられない物を見るように、胸に飛び込んで来たものを見つめた。
「……本当にごめんなさい、お兄様」
 馬車から飛び降りたかと思えば、突然抱きついてくる弟。
 その弟を頭一個分高い位置から見下ろすアストロの表情は、驚きから微笑に変わる。
 予想だにしなかった行動に、戸惑うように虚空を掴んでいた手はしっかりと相手を抱きしめる形になり、再開の儀は終幕を迎えた。
「我が愛しいサファリよ、心配したぞ。無事で何よりだった。さぁ、中へ入ろう」
 思いもしなかった行動にすっかり苛立ちも吹き飛んでしまったのか、叱るどころか手を握りながら歩きだすアストロに、サファリもマジェスタも、たった一言の言葉の抜群の効果に呆気に取られていた。
 手を引かれ馬車を後にするサファリは、後ろを振り返りマジェスタへと微笑を浮かべる。
 それを見たマジェスタも、うっすらと優美な笑みを浮かべ、誰にも悟られないように静かに息をつく。
 まさか、本当に猿芝居を演じるとは思わなかった為、想像以上に驚いた身体がなかなか言うことを訊かなかったのだ。
 金髪の青年はやや暫くこの現状を眺め、姿が消えるまでその場に立ち尽くしていた。







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あきゅろす。
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