緋色の月夜 W

「おい、紫苑! しっかりしろ、紫苑!」
「……あ、あああああ!」
 濡れた瞳は目の前の青年を映さず、青年の後方に向けられていた。見てはいけないものを見たかのように、大きな目が最大限まで見開かれる。再び全身全霊を襲った恐怖に、紫苑は気を失った。
 紫苑をここまで傷つけ、恐怖を植え付けたもの――明らかに、誰が少年を傷つけたのかわかってしまった青年は、煮えたぎる憎悪で唇を噛みしめた。
「この性分もない悪魔が! この子供が欲しかったら俺を殺してみろ!」
 静かに少年を横たえ、後方に吠える靖。誘い文句のような声に答える形で、紫苑を傷つけた張本人が突如、青年の背後に現れる。
 その姿は、伸びきった鋭い鉤爪と血色の瞳を携え、飢えた獣のように鋭い眼光を放ち、暗闇でもよく見える長い牙を光らせて笑っていた。
「……吸血鬼か。貴様、絶対に許さないぞ」
 一目見ただけで人間ではないとわかる姿。赤い瞳と縦長の瞳孔、長すぎる犬歯が悪魔種族に属する吸血鬼だと肯定している。
 青年は背後に立つ吸血鬼を後目に、出来るだけの憎悪と嫌悪の表情をして言葉を吐き捨てた。
「享楽で人を傷つけるなど、悪魔の風上にもおけないぞ」
「おぉ、怖いお方。その子供、ピーピー泣いて“靖、助けて”って言うものだから、少し遊んだだけですよ。最後はきっちり、私の餌になってもらうつもりだったんですがねぇ? 貴方が靖でしょう? だからついでに、貴方も戴きますよ」
 猫のように喉を鳴らして笑う吸血鬼は、軽く地を蹴ると、人並みならぬ速さで姿を消す。
 誰もいなくなった場所が後遅れして風に包まれる。
「その顔も身体も……切り刻みたくなるねぇ!」
 青年の真後ろで煌めく鉤爪は、閃光を走らせ、目下の首筋を狙って振りかざされる。
 だがその腕は、青年に傷をつけるどころか触れることさえも叶わなかった。
「なんだ貴様。また、遊んでいるのか?」
 ニタリと唇を持ち上げた青年は、驚きと恐怖で信じられないものを見つめる吸血鬼を眺めた。
 結末から言うと、吸血鬼の腕は肩から切り離され、地面へと落下していたのだ。
「――くあああああっ!」
 遅れて地を駆け巡る悲鳴と腕から溢れ出す血に、青年はおぞましい程の笑顔を浮かべる。
「その目と髪……なぜだああああ!」


[*←||→#]

4/10ページ

[戻る]


あきゅろす。
無料HPエムペ!