私は斬られていない。いや、正確には刺されそうになったと言うべきか。
「なぜ逃げました?」
「そちらこそ、なぜ背後に回るとわかったのかね?」
こちらに背を向けている青年は、そのままの姿勢で刃先を後ろに突き出している。
羽交い締めにしようと背後に回ったつもりの私が、彼の刀の振る舞いで触れることもできなかった。しかも刃先と私の腹部の距離は紙一重だ。
「爪先の方向と微妙に屈折した膝に、逃げると確信していました。何処に行くかはわからないけど、背後だけは取られたくないので……」
そう言って振り返った彼の顔は、やけに落ち着き払っている。
「巽殿。私は今、この状況でも君を高く買っているよ? しかしながら役者を演じるのは不向きだね。気付いているかな? 君は自分の罠に獲物が引っ掛かると、それだけで唇を持ち上げてしまう」
今まで自覚がなかったのだろう。
欠点を指摘され、そんなことはないと心外そうに首を振る青年は、不服そうに口を動かす。
「……貴方、実のとこ不感症でしょ?」
揶揄するような物言いで口端を持ち上げた青年は、刀の先を私の顔に向ける。
「そんなことはないが、なぜそう思うのだね?」
「一向に俺を感じてくれないからですよ!」
目を見開き、怒声をあげて突き付けてくる刀に後退しながら、私は一筋縄ではいかない相手に苦戦を強いられた。軽く騙したところでは、彼に簡単に見抜かれてしまう。
「十分感じているよ。冷や汗が出るほどね」
「じゃ、早く一緒に気持ちよくなりましょう!?」
膜が張ったように濁った目付きの青年は、不穏な輝きを瞳に残しながらニタリと笑う。すると、これまでにないほどの太刀さばきで攻撃を始める。
「巽殿……!」
一つ避ければ次がすぐ迫っている。
気迫にすら圧巻され、後方に追いやられながらも何か良い方法はないかと考えるが、彼の守備範囲は広すぎる。攻撃の許容範囲がそのまま守りになるのだ。
これでは、どちらかの体力が底をつくまでこのままだろう。
「流君。その気になれば俺なんか簡単に消せるのに、どうして反撃しないで逃げてばっかりか、わかってますよ?」
不敵な笑みを浮かべる青年。
やはり私の弱点を見抜いていたのだ。
「貴方は、絶対服従を誓った君主が所有するものを傷つけることができない」
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