いや、むしろ肉体は本人そのものなのだから、おかしな言動を取らない限りばれることはないだろう。
自信を持って歩く青年は、草原を抜けて人の住む気配がある街角に戻ってくると、暗い夜道であるにも関わらず堂々とした足取りで宿に向かう。
街中のように一日中明かりが灯ることがないこの地区は、商いを中心とした建物が軒を連ねている。夜には店じまいしてしまい、それに伴い人通りが少なくなるためか街灯は設置されていない。本当に月の明かりだけが頼りの状態だ。
この夜道を、少年にも見間違えられそうな男子が一人歩きしていれば、誰かしらに声をかけられてそのままお持ち帰りともなりかねない。まぁ、凛々ならともかく、この破魔なら張り倒すことくらいするのだろうが。
そんな危険を伴った一人歩きから暫く。
機嫌も上々、鼻歌すら歌いかねない足取りだった歩調がぱったり止む。
「……ん?」
闇夜に慣れた人間の目でも確認のしようがない先に、蒼い瞳は何かあるのを発見したようだ。でもこの距離からでは彼の視力を持ってしてでも何があるのかはっきり見えない。
建物に反響する音に耳を澄ましてみれば、何やら会話をしているのが聞こえてくる。一人は低い声質で落ち着いた話し方。もう一人はトーンが高く喋り方がふてぶてしい。
連れがいて仲良く二人で歩いているのだから、こちらは特に気にすることはないだろう。
歩みを止めた足は再び宿に向かい始める。
破魔の特性はマスターの身体に憑依してその力を発揮することだが、それ以外にも鋭い五感を備えている。悪魔種族も優れた五感を持っているが、彼のものもそれに負けず劣らずだろう。だから盗み聞きをするつもりはなくとも、話が丸聞こえになってしまう。
だが今回だけは聞いておいて正解だったのかもしれない。
会話の中で“先に悠を車に運んで待っててくれるかね?”と、凛々の記憶の中にある人物の名が出てきたのだから。
「何やら匂うの……」
頭の中で思い当たる人物と同じなら、これは一体どうしたことなのだろうか?
悠は今、凛々と庚との三人でいなくなった恋人やらを探している最中ではなかったか。
しかし会話そのものからは特に危惧するような内容はない。何やら胸騒ぎがするが、ここはまだ相手との距離もあることだし様子見としておいたほうが無難だろう。
歩調を変えず歩く青年は、それからすぐ相手方に会話がなくなったことと、足音が一つになったことに呑気な構えを一変した。
念のため腰の銃を確認し、いつでも発砲できるように安全装置を外して歩く。
それから間もなく、気温が下がって冷えた空気に異臭が混じり、それが煙草の煙だと気付く。相手はもう肉眼で捉えられるほど近くに迫っている。
相手が吸っている煙草の火がぼんやり顔を照らし出し、月の光と併せて容姿がはっきりすると、凛々の蒼眼はその姿を凝視した。
男はかなり長身だが、顔は端正で腰まで伸ばした黒髪に血色の瞳がよく映えている。アシンメトリーなロングコートは襟や袖口などが赤く縁取られ、ネクタイも同系色。
どこかの軍服に見えなくもないが、ブーツがピンヒールなのは少し気味が悪い。中に着たフリルシャツと装飾のベルトが白。ついでボルドー色のネクタイの他は上下共に黒ずくめ。全身真っ黒である。
「……吸血鬼か。まぁそれは良いとして、先に悠の確認じゃな」
凛々の目を通して相手を確認した破魔は、聞こえないよう小さな声で呟く。
赤眼は吸血鬼だけが持つ特徴だから一目見ただけでわかる。向こうも五感の鋭さからして、こちらの存在に気づいて二手に別れたのだろう。ということは“姫君殿のご登場”の姫君とは凛々――つまり自分のことを指して言っていたのだ。
それがわかった途端、破魔の心中は言いようもない吐き気に襲われていた。
顔色すら悪くしかねない状態ですぐ目の前に来た吸血鬼に目をくれると、向こうは不自然のなさを演じるため、
「こんばんは」
軽い挨拶を仕掛けてくる。
「こんばんは」
こちらも何食わぬ顔で挨拶を交わしてすれ違うと、やはりこれだけでは引き下がる気はないのか背中を向けたまま話かけられる。
「銃の安全装置を外したままだと暴発した時に大変ですよ。それとも私を警戒して安全装置を外していたのですか?」
姿の見えない状態で、たかだか一度の金属音が安全装置を外す音だとわかったのには感心する。
「何を言ってるのか意味がわかりません。失礼します」
ここは軽くスルーしておいて、早く悠の確認をしなくてはいけない。さっきの話からすると、連れと一緒にこの近くのどこかにいるのは間違いないのだ。
怪しまれない程度に左右を見渡し、微かな雑音を聞き取った破魔は迷わずその方向に視線をやった。
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