THE MASTERMIND ]

 驚いた女が悲鳴をあげるよりも早く、流の拳が鳩尾に吸い込まれた。それはほんの数秒の出来事。十分に時間を置いてから胸下にめり込んだ手を離すと、今度は胃を圧迫されて逆流してきたものを無遠慮に床へ吐き出し始める。
 腰を折り、咳込みながら嘔吐を繰り返す様を見つめ、それが終わったのを確認すると流はゆっくり踵を持ち上げた。
「さようなら。お嬢さん」
 涙目になった顔が、蹴り下ろされる踵を見たのと同時に絶叫が走り抜け、そして鈍い音が響いたのと同時に終った。
 綺麗に頭から頚椎まで裂かれては即死も免れない。むしろ本当に怖い思いをして嬲り殺されるよりは、一瞬で逝ったほうが楽だったろう。
「うわ、グラマラスがグロテスクになっちゃったよ」
 溢れ出る血がバスローブを赤く染めあげるのを見て葵は目を背けた。正確にはぱっくり割れた頭の中身を見て、だろうが。
「行くよ、葵」
 流のほうはこれといって何の返事も返さず、何事もなかったかのように重い荷物を抱えると再び歩きだした。
 人を殺した自覚はまるでないように見えるが、本人もまた、不本意な殺しに胸が病んでいるのかもしれない。
「ねぇ、別に気にすることはないでしょ。むしろ死んで当たり前。僕のほうが清々したよ」
 妙に静かな相手を気遣ってか、葵の言い方は優しかった。
「どうして君が清々するんだね?」
「だって……」
 血に濡れて妖しい光沢を放つ相方の踵を見て、美貌の持ち主は唇を尖らせる。何か言いづらいことなのか、暫く沈黙が続いた後に言った言葉は流を大いに笑わせることとなった。
「だって君、あの巨乳に見とれてたでしょ?」
 言った後にやっぱり言わなきゃよかったと後悔しても後の祭り。葵は熱を帯び、赤くなってきた顔を隠すように俯いた。
「……おや。妬いていたのかね?」
「違う!」
「でも、私が君より巨乳が好きだったらどうしようかと凄く心配になって、あんな女なんか死んでしまえばいいと思ったのだろう? だから私に殺さないのか確認した。違うかね?」
 確実に相手の意図を察していた流は小さく笑ってみせる。後ろを振り返ることはしないが、きっと耳まで真っ赤にして反論の言葉を考えていることだろう。
「死んでしまえばいいって思ったのは確かだけど……」
「だから私は殺した」
「……え?」
 まるで最初からパートナーである葵の心理をわかっていたような言い方。
 驚いた葵は思わず顔を見上げて、今は後ろ姿の流を見つめた。
「私は君を情緒不安定にさせる要素を作りたくない。それと一つ。男なら誰しもが巨乳好きという考えは改めたほうがいい。私はどちらかと言えば貧乳のほうが好きだからね」
 ――最後のほうは余計な言葉だったかもしれない。
 また文句を言われるかと覚悟した青年だったが、後ろをついて来る美青年は無言のまま一言も喋らなかった。
「私はいつだって君のことを思っている。それだけは忘れないでくれ」
 通路の角に辿り着き、階段の手摺りを取って降り始めた流は、後ろを振り返って小さな苦笑を漏らした。葵はまだ赤面した顔が治らないらしく、耳の先が赤くなっている。
 我が儘で傍若無人な面を持つ彼も、こういったことには正直な性格なのだろう。きっとこの一面があるからこそ流も気にかけていられるのだ。
「君にそんなことを言われて反論できない自分が悔しいよ」
「これは事実だからね。反論できなくて当たり前だよ」
「――っ!」
 後ろから突き落としてやりたい衝動に駆られながら、ここはなんとか堪(こら)えて階段を降りきった葵は大きな溜め息を吐き出した。
 自分が知るパートナーは相変わらずの調子で、振り回しているつもりがいつの間にか振り回されていて、今日もこの通りだ。
 仕事は始まったばかりだというに、どっと疲れを感じてしまう。それにまだ、自分が使った魔術も解いていない。精神を集中させていなければ持続できない術のため、あまり騒いで集中力が切れたら、部屋で動けなくなっている人間が勢いよく飛び出して追いかけてくるのは必然だろう。
 そうならないためにも、早くここを出たいのが本音だ。
「そういえば君の傀儡術の感想だが、とても素晴らしいよ」
 もぬけの殻状態のフロントロビーを通過し、外に出た流は美貌の青年に労いの言葉をかけた。
「それはどうも」
「私には到底、真似できない」
 魔術師が何を言うか――曲がりなりにも傀儡術は魔術の一つである。だから魔術師である彼が傀儡術を使えないわけがないのだ。それに、目の前にいる男ほど高度な力を持つ魔術師は見たことがない。吸血鬼であることがもったいないくらいに。
「君の上を行く術が使えてるとは思わないんだけど?」
 どうも素直に喜べず、葵の蒼眼は夜風に揺れる黒髪を眺める。
「――いや。間違いなく君のほうが上だよ」


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