THE MASTERMIND \

 呑気なことを言うな――そう言おうと振り返った美貌の持ち主は、結局他の声に遮られ、言えず仕舞いのままで終わってしまった。
「――ば、化け物! 誰か! 化け物がいるわ!」
 葵の代わりに叫び声をあげた女は、血色の瞳から視線を逸らせないのか、長身の男を見上げたまま後ずさりを始める。
 化け物と呼ばれた流の顔が一瞬で曇った。
 それは悪魔に対して最も言ってはいけない禁句だったからだ。しかも大半はそれが原因で殺される羽目になっているのに、殆どの人間が気づいていないのが事実。
「あーぁ。言っちゃったよこの人……」
 美貌の青年はたまらず苦笑を漏らすと、これから起こることに深く同情するような素振りを見せて静かに距離を置く。
 起爆剤のスイッチを押されてはもう、相方であっても止めることはできないのだろう。
「……私が化け物ね」
 そして言われた本人はすぐさま怒りを爆発させるでもなく、心外そうに息を吐いて眉を寄せた。
「この現状ならもっと他に――例えば誘拐犯だとか言われたほうが嬉しかったのだが、君は何を根拠に私を化け物と言うのかね?」
 抱き抱えた青年に一瞬だけ目をやり、再び自分を罵った人間と向き合うと、流は吸血鬼の特徴である長い犬歯を覗かせて笑った。
「――ひっ!」
 本人に脅かす気があったのかは定かではないが、女のほうは尋常じゃない怯えようで詰め寄る吸血鬼から後退する。だが後ろは行き止まりが近い。
「赤眼で犬歯が異様に長いと無差別に人間を襲う吸血鬼で、それが私にも当てはまるから君も血を吸われて殺されると、そう思ったのかね? それならとんだ自惚れだよ」
 いよいよ壁に背を預けた女は話もろくに聞けていない。後ろがないことがわかって次はどう逃げるか考えているのだろう。一応、横に逃れることができればそこはまた一直線の通路で、来た道を戻れば階段がある。そこを降りればフロントロビーに出るから誰かしら助けを求めることができるが、果たしてフロントに人はいただろうか?
 さっきまで自分がいた場所のことも思い出せない――いや、今は化け物を目の前にして頭がパニックになっているだけだ。フロントに誰もいないことなどありえないはずなのだから。だけどあの静けさは一体なんだったのだろうか?
 考えの全てが絶望的な方向に流れだし、女の目には涙が浮かび上がる。
 恐怖のもと、まともな言葉も言えずに悲鳴をあげようとすると、すかさず口を塞がれてしまう。しかも片手だけだというのに力は異常に強く、押さえつけられた頭はびくともしない。
「いいかね。私にも血を吸う人間を選ぶ権利がある。残念だが君を見ても私は何の渇きも覚えない。つまり君に何の魅力も感じていないということだ。意味はわかるかね?」
 言い方はどうあれ、危害を加えるつもりはないという意味で言ったのだろうが、恐怖と絶望に支配された女には既に無意味な言葉。
 錯乱した状態ではまともに呼吸もできず、荒い鼻息を漏らしながら言葉にならない声を必死に繰り返す。でも流のほうは特にその言葉を聞こうとせず、塞いだ手を離すと何もなかったかのように歩きだす。
「ねぇ、殺さないの?」
 言葉もなく歩きだした流を見て、葵は不満そうに声をかけた。
「ああ。殺す価値がないからね」
 抱き抱えた重い荷物――自分の弟を抱き直した流は葵を振り返った。
「つまんないの」
「……私が誰かを殺さないでいるのがそんなに不満かね、葵?」
 もちろん誰もが彼女の命はないと思っていただけに、この終わり方は残念でならない。見ていた者がいたとすれば吸血鬼である彼に失望しただろうが、無駄な殺生はしないというのがポリシーなのだから、これはこれで良かったのだろう。だが――
「吸血鬼に殺される――!」
 無害を主張したにも関わらず、また金切り声で悲鳴をあげられては気持ちも変わってしまう。
 血色の瞳が細められ、今度こそ怒りの感情が顔を過ぎった。
「……殺してもいいと思うかね?」
「うん。いいじゃない? どうやら彼女、本当に死にたいみたいだし」
 いよいよ本気になったのか、起こさないよう静かに荷物を置いた流に葵は小さく笑う。
「早く終わらせてね」
 軽く催促をした葵は、死の瀬戸際に立たされた一人の女を見遣って残酷な笑みを浮かべる。結局、口では綺麗事を言うこの男も所詮は吸血鬼。化け物と罵られ、無実の罪まで着せられて黙っていられるほど紳士ではない。
「一瞬で終わらせるから待っててくれ」
 木板でできた床にピンヒールの音を響かせ、再びバスローブの女と向き合った流の顔は怒りを通り越して無表情に近かった。そして、一歩を踏み出すか踏み出さないか見えないうちに、忽然と女の目の前に姿を現わす。
「!?」


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