序章 U

 春は既に折り返し地点。
 緩やかな風が運ぶ潮風はとても暖かく、穏やかな天気が続く空は、澄み渡るほどによく晴れていた。
「凛々(りり)! 用意は出来たのか!?」
 玄関先でがなる声は家の隅々までよく響き渡り、名前を呼ばれた青年は、催促の言葉に玄関へ視線を向けた。
「庚(かのえ)、いま行くよー!」
 机から、慌てて自分愛用の真っ白な銃“スパイラル”を取り出した凛々は、ガンベルトにそれをしまいこみながら、机の上に置かれている写真を見つめ、その頃の思い出に浸るように柔らかな笑みを浮かべる。
「美咲(みさき)……必ず迎えに行くからね」
 桜色の髪に、澄んだ蒼眼を持つ凛々と一緒に写る人物は、同じ色合いの髪に、濃紺の深みある瞳を持ち、大人びた風貌だがどこか少年らしさが抜けない顔でフレームに収まっていた。
 その人物は凛々の最愛の恋人であり、そして何より、凛々をあらゆる危険から護るガーディアン(護衛)であった。
 この世界に住む生きとし生けるものは、俗に心の結晶と呼ばれる“クリスタル”を体内に持ち生活している。
 そのクリスタルは第二の心臓とも呼ばれ、出生と共に鑑定を受ける。即存しない真新しいクリスタルや、希少なクリスタルと判定された場合は、護衛としてガーディアンが配属され、その者と生活を共にする。クリスタルのコレクターという、体内からクリスタルを抜き取る――即ち、命を狙う敵から身を護るために。
 勿論、凛々も例外ではない。その証拠が、ガーディアンである美咲の存在だ。
 しかし、色褪せることなく写る写真の中の美咲はもうこの家にいない。
 忽然と姿を消し、消息も不明。
 想像もつかないような出来事だった。
 そんな中、いつもマイナス思考で物事を考えてしまう凛々は、自分の悪い癖を直そうと心の中で誓いを立て、今日という一大決心の日を迎えた。
 ──居なくなってしまった最愛の人を迎えに行く。
 手がかりもなければ消息も不明だったが、凛々はこれ以上、美咲の帰りを待つことが出来なかったのだ。
「凛々! 悠(ゆう)がごねてるぞ!」
 遠くから、とうとう痺れを切らした庚の声が最大限の音量で響き渡った。
「いま行くよー!」
 慌てた凛々はパタパタと部屋を出て、長い廊下を抜ける途中にある、一本の刀を取り上げ一目散に階段を駆け降りた。
 美咲が片時も手離さなかった刀は、失踪した当時から現在もこの家に置きっぱなしのまま、本人は音沙汰もなく何日も帰ってこない。
 明らかに変だと、誰もがこの事実に訝しんだのは、姿を消して丁度一週間が過ぎた頃だっただろうか。
 そもそも、何も言わず家を空けるとは有り得ない話だったが、何かしらの事件に巻き込まれたのならば、それも仕方がない。
 でも、待てど暮らせど彼は帰ってこない。帰ってこないばかりか、ガーディアンが何か事件に会ったという噂すら耳にすることはなかった。
「今度は、僕が美咲を助けなきゃいけないんだ」
 固く決心した誓いを心に言い聞かせ、凛々は庚や悠が待っている玄関を勢いよく開け放った。
「――遅いですよ、凛々! 私、また気が変わったと思って心配でした」
 外に出ての第一声は、既に疲れ気味で地にへたり込んでいる悠のものだった。
 凛々を見上げて、長い黒髪をかきあげる仕草はまるで女のようで、その表情はそこら辺の女よりも美しく、男を思わせるものは皆無に等しかった。
 しかし、彼のそんな貧弱な見た目とは裏腹に、魔法士という立派なスキルを持ち、代々この国に遣える精鋭部隊を指揮する軍事組織、アイアンメイデン指揮官長の跡継ぎ息子と言えば、頷ける話だろう。
「ごめん、ちょっとね」
 待ちくたびれて、疲労すら見え隠れする悠を見た凛々は、気まずそうに苦笑しながらその隣に立つ人物を見上げた。
「庚、お待たせ」
 大声で先ほどから凛々を呼びつけていた庚は、見た目だけで他人を威圧させる風貌を持ち、真っ黒のスーツで身を包み、腰まである金髪をなびかせながら煙草をふかしていた。
「じゃあ、行くか」
 翡翠の瞳を細め一言呟く庚は、神妙な面持ちの凛々を見つめて苦笑する。
 それもそのはず。
 今日で、この思い出の詰まった家とはお別れしなくてはいけないのだ。
 いくら決心を決めたものの、皆で暮らしてきた家を離れるのはやはり名残惜しいものがある。
 それでもその名残惜しさで旅立ちを延々、延ばしに延ばしきってまた今日、ここでやっぱり──となれば、それこそ悠はもちろん、庚も呆れること間違いないだろう。
「凛々、決心したか?」
「うん、大丈夫」


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