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短編3
赤い海
 あの赤い海に、私は約束をした。
 約束を、したはずだ。
 その約束が、思い出せないけれど。
 私は約束をした。私達は約束をした。
 それだけは覚えている。

「ねえ、――、約束だよ?」
「私達、ふたりの約束」

 名前を呼んだはずなのに、思い出せない。
 その名前だけが霞んで。
 私達、が、私と誰の事なのかが、思い出せない。

「忘れないでね、きっと叶える約束なんだから」
「絶対絶対、叶えるの」
「忘れたら許さないんだから」

 冗談のように。
 けれど本気で。
 真剣に。
 笑いながら。
 私達は約束をした。

「じゃあ、あの海に約束をしよう」

 そう提案したのがどちらだったのか、思い出せない。
 私だったのか、それとも一緒に約束をした、もうひとりだったのか。

「忘れないように」
「あの赤い海に、約束をしよう」

 その海は、赤く輝いていて。
 とても綺麗に思えて、とても希少に思えて。
 だから。
 私達は、ふたりと海に約束をした。

「たとえ忘れたとしても」
「もういちど、思い出せるように」
「ふたりの約束を、あの海に」

 私は今、赤い海に来ている。
 夕焼けに染まる赤い海。
 けれど私は、約束を思い出せはしない。
 思い出せるようにと、赤い海に約束をしたのに。
 私は、誰と、何を約束したの?

「千春」
「君は夕暮れ時の海が好きだね」
「いつだって君がせがむのは、こんな夕暮れの海」

 私はその人へ身を寄せる。
 いつだって私の我が儘を聞いてくれる優しい人。

「日の高いうちに海に着いても」
「じっと夕暮れを待っている」
「どうして?」

 何度も私はその人へ海を、違う海をせがんで。
 その人は、どんなに遠い海だろうと連れて来てくれる。

「探している海があるの」
「ずっとずっと探している海」
「そこで」
「大切な約束をしたような気がするの」

 忘れないように。思い出せるように。
 そのために、約束したのに。
 赤い海に、約束をしたのに。

「とても綺麗な赤い海だったのよ」

 あの海を覚えている。
 あの赤い色を覚えている。

「でも」
「誰と」
「何を」
「どこの海に」
「約束をしたのか」

 あの海は覚えている。
 でも、あの海がどこの海だったのかを思い出せない。
 だから、いつまでもあの海へは辿り着けない。

「思い出せないの」
「思い出したいの」

 ここが、あの場所ではないから?
 ここも、あの場所ではないから?
 ふたりの約束は、思い出せない。

「千春」
「君が望むのなら、いつだって連れて来てあげる」
「何回だって」
「どこの海でも、いつの海でも」
「でも」
「千春」

 優しく触れるその人の手が、心地良くて。
 私は何故か零れ落ちる涙とともに、瞼を閉じた。

「その約束は、忘れて良いんだよ」

 ああ、この人の名は。
 一体何と言ったのだったか。

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あきゅろす。
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