短編3
笑声
くすくすくす……。
密やかに、けれど静寂に包まれたその場では限りなく響いて。その笑い声は耳に届いた。
――何――
今しがた古い錠を外し、重い扉を開いた、埃っぽいその蔵の中で秋良は眉根を寄せて、辺りを伺う。見回した薄暗い蔵の内は、当然のごとく人の気配はなく、ただ、どこから生まれて来るのかも分からない笑い声だけが響いていた。
――風だろうか。まるで、笑声。何と、不気味な――
背筋を震わせ、秋良は、手にした蝋燭を掲げる。蔵の内はそれで幾分か明るく照らされたが、揺れる陰影と、明るさのぶん影には濃い闇が凝り、薄暗さとはまた別の不気味さを漂わせる。
その、影からか。くすくすくす……。笑い声は、いまだ響いていた。
――早く、旦那様の言い付けをすまして、戻ろう――
背筋を震わせながら秋良はそう決めて、思い切って一歩を進めた。埃っぽい空気が鼻孔をくすぐる。思わず、小さなくしゃみをしてしまった。けれどその一歩のおかげかくしゃみのおかげかは分からないが、幾分か気持ちが楽になり、手にした蝋燭で照らしながら荷物をひとつづつ検分しはじめた。
検分をはじめてから、一体どれほど経っただろうか。秋良はいくつもの品を手に取り、眺めては違うと元に戻した。
――違う。これも、違う。これも――
少しずつ移動しては、見落としのないように、丁寧に、目的の品を探す。
倉荷は入ったすぐ後に秋良の背を震わせた笑い声はまだ耳に届いていたが、不気味ではあるものの特に不便もないし、既に気にならなくなっていた。気に障るが、無視して出来ないこともない。慣れとはおそろしいものだ。
――旦那様はおっしゃっていた。探し物は、お嬢様に差し上げる、紅い――
その時、指先に触れたのは玻璃の感触。埃を被ったその感触に、けれど秋良は頬を弛ませた。
両掌にしっかりと持ち、弛んだ頬はそのままに、秋良は慎重にそれを手元に引き寄せる。
――ああ、きっと、これだ――
秋良が手に取ったのは、玻璃の箱に入った人形だった。しっかりと左の腕で抱えなおし、右の掌でその表面の埃を払う。
埃の向こうにあらわれたのは、白い顔、黒い髪、そして紅い着物の人形。睫毛に縁取られた瞳が、汚れた玻璃越しに秋良を見つめている。
――漸く、見つけた。少し遅くなってしまっただろうか――
思いのほか時間が経っているような気がする。秋良自身にはそうたいした時間は経っていないように感じるが、からだのだるさや、腹の具合からそう推測された。
そんなことを思いつつ、秋良は視線を人形から外して、頭を上げた。蔵から出るために、手を伸ばして蝋燭をとろうとする。
けれど、蝋燭を手にする寸前、秋良の背に、氷を落としたような一際大きな悪寒が走った。思わず身震いをすると、密やかに嘲笑うかのような笑声が、ひときわ大きく耳朶を打つ。
くすくすくす……。
蝋燭の炎が、風もないのに掻き消えて、蔵の内は薄闇に包まれる。火種を持っていない秋良は慌てたけれど、やがて、蝋燭の炎が消えたというのにそれほど暗くないことに気がついた。
太陽の元のようにはっきりと明るいとは言えないけれど、蔵の内を歩くのに不便を感じさせない程度の明るさ。どうしてだろうという違和感に、秋良は辺りを見回した。開け放たれていた、蔵の入り口が妙に明るい。
――おや、なんと不可思議な――
笑い声が、響き渡る。秋良は脳を揺らすような笑声に誘われるかのように、扉へと向かい歩みだす。
その胸には、玻璃の箱が抱かれていた。
くすくすくす……。
もう、遅い……。
遅いよ、手遅れだよ……。
くすくすくす……。
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