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アタモニ暦1024年11月5日

 状況は、これ以上ないほどに最悪だった。

 むせかえるほどの濃い血のにおい、荒い息、仲間の痛みにうめく声。地獄絵図ということばはこういうときに使うものなのだろう、変に冷静な頭でどうでもいいことを思った。

 残ったのは、わたしとリオンと、もうひとり。生き残った彼は応援を呼びに離脱したから、実質ふたりだ。あとは全員、二小隊分、十三人。すでに息を引き取ったか、もうすぐ息を引き取るか、ほとんど同じ二択を選び取っていた。

 このまま息を潜めていれば、わたしたちは助かるかもしれない。だけど、そのかわり、この手負いのけものは近隣の村を襲うだろう。ちょうどあんな風に、簡単に村人の肉を引きちぎり「あ」喰らい、骨まで「ああああああ」噛み砕くだろう。ばりぼり、ばりぼりと。最期の悲鳴が「あああ」細く、細く「あ、あ」消えた。「……」

 わたしの隣で同じ断末魔を聞いたリオンの顔は、青を通り越して紙のように白くなっていた。シャルティエの柄を握る指先は、ただただ、白い。それと対比するような赤い血が、彼の左足を染め上げていた。

「リオン」

「……」

「リオン、しっかり」

 は、と息の塊を吐き出す彼が存外に幼く見えて、ようやく思い出す。ああ、そうだ。この子はまだ十四歳なんだっけ。十四なんて、日本じゃまだ子どもだ。日本じゃなくてもこういうときは、年上ががんばるべきだろう。

 目の前に広がる光景があまりにもぶっとびすぎてて、恐怖は意識の端っこへ転がり落ちていた。わたしは人間失格かもしれない。確かに恥の多い人生だった。

「わたしが頭を狙います。リオンとシャルティエは魔法で助けてください」

「っ、馬鹿を」

『無茶だ!』

 二人の悲鳴が重なるけれど、そうするしかないのがわかっているのか、リオンの口から次のことばが出てくることはなかった。どうしたって、五体満足なのはわたしだけ。この金色のガントレットに、わたしのぜんぶ、託すしかない。

「あのとき、君はわたしを助けてくれました。二度目を期待しています」

 どさくさまぎれにリオンの頭を一撫でして、反論を聞かないまま飛び出した。いつかある日の分岐点、肉屋に転職しておけばよかったなんて、あとの祭りだ。

 けものが、わたしの倍ほどの大きさの、熊に似たけものがわたしの姿を捉える。だれのものかもわからない赤い液体を飛び散らかして、けものの爪が空を薙いだ。一度目は避けた、二度目は空から降ってきた石版が守ってくれた。砕けた岩の隙間を縫うように走る。まずは懐に入らないと話に―――!?

 予想以上にけもののリカバリーが早く、赤黒く濡れた爪が目の前に迫る。とっさにパイルバンカーを構えられたのは奇跡だった。いまの攻撃で片側がめくれあがったドームを射突準備のためにスライドさせ、トリガーのついたグリップを握る。バキン。…かつてないほどに嫌な音がした。

 頼むから一発くらいもってよ、相棒。あの子を守るためなんだ。

「グレイブ!」

 リオンとシャルティエの魔法が、地面から突き出た岩槍がけものの足を縫いとめ、わたしを上空へと押し上げる。けものの頭を飛び越して、後頭部に狙いを定めたわたしは右腕をまっすぐ構え、左手で固定する。あとは、トリガーを引くだけ。

 そんなに叫ばなくても、岩槍に貫かれたまま、自らの足をえぐりながらわたしに腕を振りかぶるけものの姿はちゃんと見えてるよ、リオン。避けろとは、無茶を仰る。こんなときにもかかわらず、思わず苦笑が漏れた。

 あの腕に対してパイルを打てば、いまのわたしは助かるかもしれない。だけど、この子の残弾は一発だけだ。これを逃したら、もうチャンスは巡ってこないだろう。

 わたしはそのまま、トリガーを引いた。




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