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アタモニ暦1025年12月28日

 わたしもあれからそこそこ偉くなり、隊長という職についた。セインガルド軍において、ブルームさんが所属している将軍職とわたしが所属している隊長職には、さしたる階級の開きがない。隊長職は、将軍の直属である佐官から下された任務の内容によって、隊の編成を自由に行なえる権限を持つ。この国では、ひとけた台の小さな隊も、50人以上の大きい隊も、等しく隊長が指揮するものだ。最初に聞いたときはずいぶんとおおざっぱなものだと思ったけれど、戦争のために軍隊を持っているわけじゃないから、これでも機能するのだろう。

 偉くなったことの弊害のひとつは、社交の場に引っ張り出されるようになったことだ。招待状の返事を書くたびに、どうして昇進しちゃったんだろう、といつも後悔する。ごちそうが並んでいるのにあいさつ回りでぜんぜん食べられないし、おべっかばっかで疲れるし。お酒しか飲めないので、いつも途中でこっそり抜け出してしまう。

 きょうも、毎年末に開かれる陛下主催のパーティーにお呼ばれしたわたしは、いつ抜け出そうかタイミングを見計らっていた。あいさつすべきひとにはほとんど声をかけたし、あとはひっきりなしに声をかけてくる貴族のお嬢さんたちをかわすだけだ。おかしいことはなにひとついってない。

「失礼。君がアイザックさんかね?」

 黄色い歓声に混じる低いバリトンに名前を呼ばれ、振り返る。目に入るのは見知らぬ男のひとと、リオンの姿だった。礼服を着こなした優雅な雰囲気の男のひとは、柔和な笑顔の奥に獰猛なけものの光を隠している。彼はヒューゴ・ジルクリストと名乗り、わたしに握手を求めてきた。

「はじめまして、ミスター。お会いできて光栄です」

「あまり硬くならないでくれたまえ。君とは少し話をしてみたいと思っていたんだ」

 そりゃあこの世界じゃ有名人だ、名前くらいは知っている。オベロン社社長で、国王陛下のお気に入り。それでもって、ラスボスで、リオンとまだ見ぬ女の子のお父さん。あまり関わりあいにはなりたくなかったけれど、向こうから声をかけてきたのなら仕方がない。白手袋を脱いで、自然な笑顔をつくりながらヒューゴさんの手を軽く握る。

 瞬間、とてつもない悪意がわたしの中に流れこんできて、ずるりと背筋を駆け上っていった。うわあ、うわあ。手を振り払いたくなるのを必死にこらえて、彼が手を離してくれるのを待った。

 これは、なんていうか、そう、もののけだ。軽いめまいは気合でふんばる。ラスボス相手に弱気はいけない。

「君もソーディアンマスターの素質があると聞いているよ。時間はかかったが、ようやくソーディアンの発掘に着手できそうでね。あそこの遺跡調査にはオベロン社も技術協力をしているんだ。もし無事にソーディアンが発掘できたら、マスターは君になるのかな。同じソーディアンマスター同士、リオンと仲良くしてやってくれたまえ。なあリオン……」

 リオンの名前が出て、そういえばあいさつのひとつも交わしていないことに気がついた。ふと視線を向けると、いつにも増して冷たい瞳のリオンと目があう。薄氷のような、あやうい冷たさだ。あるいは、出会ったころよりも明確で強烈な、氷点下の拒絶。ああ、もしかして、きみは、すでに。

「…あまり、顔色が優れないようだね。どこかで休んだ方がいい」

 現時点でのヒューゴさんは、気を使ってくれるだけの体面はあるらしい。仮病ではないし、遠慮なく敵前逃亡させてもらおう。幸い、背中を刺される心配はない。

「すこし、あてられてしまったのかもしれません。せっかくお声をかけていただいたのに、申し訳ありません」

「何、機会はこれからいくらでも作れるさ。リオン、彼女をエスコートしてあげなさい」

 わたしはヒューゴさんに一礼してその場を辞すと、リオンが開けてくれた道をおとなしくついていった。出会ったころと比べたらずいぶん背が伸びたけれど、頂はまだわたしの目線よりも下にある。宴の場だからか、片時も離さず帯剣しているシャルティエの姿はなかった。

 水は、リオンの短い問いかけに首を横に振る。パーティー会場を脱した途端に足腰から力が抜けていき、わたしは廊下の隅にずるずると座りこんだ。入り口近くにいた数人のお貴族さまがわたしたちのほうを見たけれど、すぐに興味を失っておしゃべりを再開した。

 薄情にも、わたしを見捨ててパーティー会場へ戻ろうとしているリオンの袖をつかまえる。彼はけっこう本気でわたしの指をはがそうと力をこめていたけれど、ついに観念したのか柳眉をゆがめて膝をついた。

 わたしの奇行を言葉も発せないほど体調が悪いと勘違いしたらしいリオンの「大丈夫か」どうしようもなくやさしい声が、宴の喧騒に混ざって溶けていく。おおばかやろうだなあ、きみは。通りがかったウエイターを呼び止めて、受け取ったワインを気付けにあおった。はっとするほどきれいな紫水晶を正面に据えて、わたしは一句一句含むようにことばを紡ぐ。

「リオン、酔客のたわごととして聞いてください」

「酔っ払いなら大人しくしていろ」

「きみはわたしの友人です。これからも、変わりなく」

「……馬鹿なことを。元々僕とお前は、友人なんて親しい間柄じゃないだろう」

「隣に立つことだけが友人のありかたではないのでしょうけれど。それでも、わたしはきみのそばにいたい」

 嫌ってくれるのも、やさしくしてれるのも、わたしを心配してくれるからだ。もっとリオンは自分のことに、一生懸命になればいいのに。

「いきなり気色の悪いことを言うな」

 今度こそ振りほどかれたわたしの手は、そのままリオンの手に包まれた。だから、構わなくていいのに。力ずくで腕を引かれて立ち上がりながら、わたしはばかだなあ、とつぶやいた。



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