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「アルビレオくんは何か知ってる?」「…秘密」

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「やーい、泣き虫アルビレオー!」

「やめてよ、ボクの教科書返してよお」

 マサゴタウンの海辺に程なく近い場所に建つ小さなトレーナーズスクール。その校舎裏で、金髪の少年の湿った声がこだました。

 校舎裏に植えられている大きなポプラの木の下は、職員室のある二階の窓にすっかり被さっているために、生徒たちの中では秘密ごとがある際にはそこが重宝されている。ただし、このように悪用されることもないわけではないのだが。

 その木の下では、体の大きな少年たちが四人、遊戯のように金髪の少年を取り囲んでいた。中央に押し込められている金髪の少年は、彼らに比べると発育が悪く、線が細い。トレーナーズスクールの制服を着崩すことなく着用しているところからは、彼の育ちの良さが窺えた。

 リーダー格らしい少年の手には、トレーナーズスクールが指定している橙の表紙の教科書が握られている。その裏には、大人が書いたのだろう、やや乱暴な字で≪アルビレオ・グラジオラス≫と太く記されていた。

「悔しかったら取り返してみろよ! 元はといえばオマエが悪いんだぞ!」

 教科書の持ち主であるアルビレオは、それを取り返そうと躍起になって飛び跳ねているが、それでも少年が高く掲げた手の位置にはまるで届かない。顔を真っ赤にしてジャンプを繰り返すアルビレオの姿に、他の取り巻きがげらげらと大きな笑い声をあげた。

 取り巻きと同じく大口を開けて笑う少年の頭に、ぽとりと何かが落ちる。鼻筋に乗ったそれをつまみ上げた少年の表情が蒼白となる。

「う、うわっ!?」

 彼の眼前でわさらわさらと多数の肢を蠢かせるのは、体長二十センチもあろうかという大きなムカデだった。反射的に少年はムカデを放り投げ、哀れ、ムカデは宙を舞う。

 それを皮切りに、少年たちの頭上へと多脚生物の雨が降り注いだ。ゲジ、ヤスデ、クモ、ゴキブリなど大小様々の虫たちがばらばらと落ちてくる。多少の虫には怯まない少年たちもこれには参ったのか、ぺたりと尻餅をついたアルビレオの横を、悲鳴を上げながら慌てて逃げ出していった。ばさり、芝の上に放り出された教科書の上を、ワラジムシがのろのろと這っていった。

「ふん。ざまあみさらせ、だわ」

 がさごそとポプラの木が揺れ、その上から高い少女の声が落ちてくる。アルビレオは虫まみれになったまま、白い首を大きく反らせた。

「ア、アレス…」

 ポプラの木の枝からぶらりと上半身を垂らし、逆さまに飛び出してきたのは、紫がかった不思議な色合いの黒髪を長く伸ばした少女だった。彼女はくるりと上半身を起こすと、泥まみれのカラーボックスを小脇に抱えて木の下へと着地する。同年代の女子の中でも上背のある彼女は、下から見ると余計に大きく見えた。腰まで伸びた髪はまとめられておらず、ぼさぼさと広がり放題だ。

「いつからそこにいたの?」

「あんたがイヌガヤたちに呼び出されてから。おかげで別件で使おうと持っていた爆弾がお釈迦だわ」

 黒髪の少女は表情をほとんど崩さないまま、少年たちが消えた方向を睨みつけたが、それがわかるのは恐らく、校内ではアルビレオくらいのものだろう。人並みに感情は豊かな彼女だが、どうにもそれが顔に現れにくいのをアルビレオは知っている。

 彼女は抱えていたカラーボックスを芝の上に降ろすと、アルビレオの教科書を拾い上げた。あの箱の中に、爆撃に使われた多脚生物が詰まっていたのだろう。アレスと呼ばれた少女は、教科書の土やクモを払い去り、アルビレオに手渡した。

「あんたが珍しく頑張ってたから、手を出すのはやめようかと思ったんだけど。余計なお世話だったかしら」

「ううん…助かったよ。ありがとう、アレス」

 アレスは芝の中から無造作にムカデを拾い上げると、カラーボックスの中に戻していく。アルビレオはその様子を遠目から眺めているだけだった。長年アレスと付き合っているおかげで一、二匹程度なら問題ないが、部屋に転がったちり紙のようにああも堂々と素手で触ることは、アルビレオにはまだできそうになかった。

「どこで捕まえてきたの、そんなに」

「半分は作り物よ。もう半分はリッシ湖の森で」

 ある程度虫たちの回収を終えたアレスが、アルビレオに向き直る。カラーボックスの中で、偽物に紛れた本物の虫がかさこそと音をたてた。

「アル、どうして座りっぱなしなの」

「…腰が抜けた」



 アレスとアルビレオは、マサゴタウンの隣町にあるフタバタウンの出身だ。隣町といっても二つの町はかなりの距離を隔てており、二町を繋ぐのは一時間に一本しかでない連絡バスのみである。そうまでして彼らがマサゴタウンのトレーナーズスクールに通っているのは実に単純、フタバタウンにはトレーナーズスクールが存在しないからである。

 加えてフタバタウンには子どもが少なく、ことアレスたちの同年代となれば、隣に座る幼なじみしかいない。マサゴ生まれの子どもたちとは異なるコミュニティを持った彼らが≪よそ者≫だと思われるのは、ある種自然な流れでもあった。

 がたごととバスに揺られてフタバタウンに帰ってきた彼女たちは、その足でリッシ湖へと向かった。フタバタウンの北に広がるこの湖は、シンオウ地方の創世神話の中で、人間の感情を創り出したと言われる神、エムリットが眠る場所だと伝えられている。しかし、物心ついた頃からここを駆け回っていたアレスとアルビレオにとって、リッシ湖は神話の舞台というよりは数少ない遊び場のひとつでしかない。

「それで、今日はどうしたのよ」

 カラーボックスの中身をひっくり返し、ムカデたちを野に返しながらアレスが問う。アルビレオがああして同級生に絡まれるのは、悲しいことにさして珍しいことでもない。湖の畔に腰を下ろしていたアルビレオは、わずかに口を尖らせて手の中にあった小石を湖の中へ投げ入れた。小石は緩やかな弧を描いて浅瀬へどぼん、と落ちる。

「今日の体育、野球だったでしょ。五回裏でツーアウト満塁。ボクがゴロでも打てれば逆転したんだけど…」

 時間の都合上、授業で行われる野球は五イニングまでと短くなっている。その最終バッターになってしまったアルビレオだったが、奮闘むなしく見事に三振。アルビレオの、そして先ほどアルビレオを校舎裏に呼び出したイヌガヤ少年の所属するBチームは敗北してしまったのだそうだ。

「それは、アルに期待する方が悪いわ」

「あまりハッキリ言われるとボクも傷つくんだけど…それに、もしボクがヒットを打ったって、イジメられることには変わらないよ」

 アルビレオの溜息混じりの言葉に、アレスは言葉を詰まらせる。彼らは、野球で負けた腹いせだけでアルビレオを校舎裏に呼び出したのではない。彼らは事ある毎にアルビレオをからかい、アルビレオが困る様子を楽しんでいるのだ。

 最初は、髪の色だった。黒と茶が大半を占める生徒たちの中で、アルビレオの金髪は非常に浮いている。次に、タワータイクーンの息子というネームバリュー。当の本人も非常に勤勉で、スクールの成績は常にトップクラスだった。それが癪に障ったのか、ガキ大将であるイヌガヤ少年がアルビレオにちょっかいをかけ始めたのはいつからだっただろうか、ともかく、彼らの嫌がらせは現在も断続的に続いている。

 その度にアレスが助太刀に入っているのだが、今度はそのおかげでアレスが女生徒の輪の中に入れないという事態に陥っていた。おまけに、アレスが採る方法が若干(控えめに言えば)過激なためか、彼女は教師陣にも目を付けられている始末である。

「あいつらも、わたしに何度も追い返されてる癖に、どうしてわたしに仕返ししてこないのよ。こっちはあいつの顔をメタメタにしてやれる日を今か今かと待ちわびているのに」

「そうなの!? 初耳だよ! …一応アレスも辛うじて女の子だから、遠慮とかあるんじゃないかなあ」

「いらない遠慮だなあ。どうにかして、アルからわたしに気を逸らさないと…ずっとこのままで卒業するのはごめんだ、わっ」

 アレスの手のひらから平たい石が鋭く投げ出され、それは湖の水面を三つ、四つと跳ねていく。岸と、湖の中央にぽっかりと浮かぶ小島のちょうど中間辺りで皿石はとぷん、と小さな音を立てて水底へと沈んでいった。

「そしたら、アレスがイジメられちゃうじゃないか」

「アルがスクールに来なくなるよりはましよ。これまで色々変なことはやってきたつもりだけど、どれも効果は今一つだし…アル、何か良いアイディアはないかしら」

「あっちゃたまんないよ! あったとしても、ボクは言わない!」

 顔を赤くして怒るアルビレオに、二つ目の皿石を投じようとしていたアレスは人形のようにぴたりと動きを止めた。普段は全く仕事をしない表情筋を持つ彼女の顔に、わずかながら驚愕の色が浮かぶ。

「だってボクの代わりにアレスがイジメられるって、そんなのおかしいよ。それならボクは、イジメられたままでいい」

「いや、イジメられないのが一番良いんじゃないの」

「そりゃそうだよ! ここで正論を出すなバカアレス! とにかく、ボクは反対だからね!」

 ぷい、とアレスから顔を背けるアルビレオの背をじっと見つめたアレスは、誰にも気づかれないようにほんのりと微笑した。そして、少し弾んだ声で、こう付け加える。

「じゃあ、自分で考える」

「そうじゃなくて!」

 アルビレオの気概は、肝心のアレスにほとんど伝わっていないようだった。細い腕を組んで低く唸り始めたアレスの姿に、アルビレオは額に手を当てて嘆息する。こうなったら満足するまでつきあうしかないのは、昔からの付き合いだ、よくわかっている。

 それから少しの時が過ぎ、夕日の橙色がリッシ湖に差しこみ始めた。アルビレオがそろそろ帰る支度を始めなければ、と考えていた矢先、しばらく首を捻っていたアレスが、不意に「そうだ」と呟いた。

「男言葉を使おう」

「…何で?」

 どうしてイジメ対策が口調の変化に繋がるのか、アルビレオには到底理解できなかった。間の抜けた声で理由を尋ねるアルビレオに、アレスは拳を握って力説する。

「だって、女が男言葉を使ってたら変じゃない。そうしたら、イヌガヤが「こいつは変な奴だ」と思って標的をこっちに…」

「だから、それはダメって言った! 却下!」

 付き合いの長い者にしかわからないほどかすかに不満げな表情を見せたアレスの中で、口調の変化は会心のアイディアらしかった。アレスらしい、斜め上にずれた考えにアルビレオはがっくりと肩を落とす。一度アレスがこうして思いついてしまった以上は、アルビレオが何と言おうとも変えようとしないだろう。例え、まるで効果がなかったとしても、だ。

「…しょうがないな。ボクもつきあうよ」

「アルは男の子だから、男言葉を使っても普通じゃない」

「普通だけど。ちょっとカッコつけてみたいんだよ、ボクも」

 アレスは「ふーん」とわかっているのかいないのか、曖昧な相槌を打った。口調を変えることは、今までの自分と異なる自分を作ることだ。それがガキ大将たちに対するわずかながらのハリボテにでもなればいいと、アルビレオは思った。そうして少しずつ臆病な自分を変えたい―――しかし、アルビレオはそれを口に出すつもりはなかった。

 そんなアルビレオの心中を恐らくは知らず、アレスが薄い胸に右手を置く。少年少女の口から紡がれる新たな一人称は、どうにもぎこちなく聞こえた。

「じゃあ≪わたし≫は、今から≪おれ≫ね」

「今から≪ボク≫は、≪オレ≫になる」



「そういえば、アレスさんはどうして一人称がおれなの?」

「どうした、急に」

「いや、話の繋ぎに何となく。珍しいでしょ、おれっ娘」

 とある日、友人(友人、何と甘美な響きだろう)が投げかけた素朴な疑問。それに彼女は鼻を鳴らしてこう答えた。

「ふふん、内緒だ」



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