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白いキャンパスの向こう側(征陸)



「ごきげんよう、おじさま」
「俺のところに来るたぁ珍しいなお嬢様」
「えぇ今日は非番なのに慎也さんがご自宅にいらっしゃらなかったので」

 いらっしゃいませんか?と言外に含める言い方に征陸は苦笑した。

「いや今日はコウとは会ってないぜ」

 ほぼ毎日顔をつき合わせているが、仕事以外に交流は少ないのだ、と伝える。

「あがっても?」

 まさか疑われるとは思っておらず、征陸は一瞬瞠目した。しかし、すぐに苦笑して肩を竦めると、半歩体をずらし彼女の為の道を空けた。
 部屋に通すと征陸はとくにもてなすこともなく、急な訪問で中断していた絵筆をとった。

「アイツは暇さえあれば体を鍛えてるからな。家に居なけりゃ共同のトレーニング室か、食堂にでもいるんじゃないか?」
「確かにそちらへはまだ伺ってはいないのですけれども、こちらだと思ったんですの」

 まるで確信した言いぐさに、征陸は眉を上げる。

「それはデカとしての勘かい?」
「いいえ。女の勘ですわ」

 わたくしはまだ刑事でなくてよ。
 キッパリと言ってのける彼女に声をたてて笑った。しかし勝手に見て回るのかと思えば撰華はいつまでたっても隣で様子を窺っているようだったので声をかける。

「どの部屋も好きに見てくれて構わないぜ、お嬢様。この年になると見られて困るようなものもないしな」
「まぁ、そんな不躾なこと致しませんわ。ただ今日あがらせていただいたのは匂いが気になっただけですので」

 何の匂いかは訊かずとも、彼女が描きかけのキャンパスを注視していた。

「おじさまは絵画を嗜んでいらっしゃるのですね」

 素敵な腕をお持ちですわね。そのうっとりとした表情から世辞は微塵も感じられない。それが演技なのかどうかは征陸には判断がつかなかったが、趣味を誉められるのは満更ではなかったので、その真意を暴くつもりはない。

「お嬢様も絵が好きかい?」
「わたくしは観賞専門ですわ」

 恥ずかしながら、絵心には恵まれなくて。と言う少女に、からからと笑う。

「俺だって下手の横好きって奴さ」
「過ぎた謙遜はよくありませんわよ、おじさま」

 ぷぅと頬を膨らませる彼女に、すまんすまんと謝る。よほど絵の才能がないのだろうか。

「だがなぁいくらお嬢様が俺の絵を気に入ってくれたとしても、世間にとっちゃあこんな絵、紙くずも同然だ」

 水に筆を浸せば円状に色が広がる。

「どんなに高級な紙を使い希少な絵具を用いても、出来上がった絵には一円の価値だってつかねぇのさ。まったく人生そのものだとは思わねぇかい?お嬢様」

 言いながら、色の上に更に別の色を重ねる。

「どんなに本質を隠そうと上っ面を誤魔化しても、どう足掻いたって下にある汚い色は隠しきれない。人もそうさ。一度汚れちまえば綺麗な色を載せても下の色が滲み出る」

 出来たぜ。と、言って。キャンパスを撰華に向けると。少女は感嘆の声を上げて、惜しみ無く称賛した。
 素直に喜ぶその姿は眩しい。

「俺はあんたが羨ましい。白いまま、汚れることなく生きれれば、何も隠す必要がないからな」

 すまん、ただの年寄りの愚痴だ。忘れてくれ。と、最後に付け足して、征陸は話を締めくくった。
 出来たばかりの絵を眺めながら、そこではじめて撰華が言を返した。

「成る程。確かに白いキャンパスは美しいでしょう。しかしそれは絵としての価値はありません」

 驚いて彼女の横顔を見つめれば、相変わらず挑発的な服装のまま膝に手をついた前屈みの体制で絵を眺めている。底の見えぬ深い谷間に目がついぞいってしまうのは不可抗力だ。

「喩え二度と落ちない汚れになったとしても人は様々な色を重ねて美しくなるものですわ」

 ふわり、と花が綻ぶように、淑やかと微笑む彼女のそれは、見るものの穢れを落とすものだった。少なくとも征陸にはそう感じられた。

「出来た絵画の価値が見る人によって決められるなら。わたくしはわたくしの大切な人にさえ誇れるものを描ければそれで満足ですわ」

 わたくしはこの絵がとても好きです。
 屈託ない笑顔で彼女が言った。









白いキャンパスの向こう側
(白。それは何物にも染まり、何物をも染める色)














 後日、苦手と言ったにも関わらず描いてきた撰華の絵を見て、確かに、御世辞にも上手いとは言えなかったが、征陸にはあたたかみのある良い絵に思えた。
 不名誉な渾名をつけられて、怒っている撰華の横顔に、征陸も屈託なく笑った。







 撰華は『画伯』の称号を手に入れた!(命名縢)













とっつぁんが好き過ぎてヤバいです。なんであんなにしぶカッコいいのか!

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あきゅろす。
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