イタリアからやってきたアイツ 六月の中旬。 朝の日差しがカーテンの隙間から零れ落ちて瞼を叩く。 Pi・・・ブチ 「ん・・・」 揚羽はもそりとした緩慢な動作で、本来の役目を果たそうと今まさに鳴り始めようとしていた目覚まし時計のスイッチを無感情に切り捨てる。 布団をはがして一気に起き上がると一度だけ強張った体を伸ばして解してからベッドから降りる。外気に晒された床に足をつけるとそこは冷やりと彼女の体温を奪った。初夏といっても、朝はまだ肌寒い。 寝巻きを脱ぎ捨て、かけてあった制服に袖を通しながら一つ欠伸をすると、いつも通り一階から母の起床を呼びかける声が聞こえてくる。それに、まだ欠伸交じりの声で返事をしながらカッターシャツのボタンをとめて、寝室をでる。単調なリズムを奏でつつ階段を降りながらリボンを首に巻く。 食欲をそそる朝ごはんの香りがするリビングに足を踏み入れ、一緒に持って下りた学校指定の鞄を邪魔にならないよう適度なところに置きながら、キッチンで軽快に包丁を動かす母にあいさつをする。それに母は朗らかな笑顔で返し、いつも通り言うのだ。 もう一人の住人を起こしてくるように、と。 それに、またか、と思うことはもうなくなった。何故なら彼を起こすことはもう彼女の中では日課になっており、特別なことにはならないからだ。それを聞く友人の大抵が大変だね、と感想を漏らすが、幼いころから気が付いたときにはすでにこれが日常になっていて、それ以外を知らない揚羽はどこが大変であるのか解かりようがなかった。 せっかく降りた階段を、心なし降りるときより若干速いテンポで上り、自分の部屋を更に通り過ぎて奥の隣の部屋をノックする。しかし、返事がくるのを待たずにすぐドアを開ける。いつまで待っても返事がくることはないと経験から知っているためだ。 小さくあけた隙間から顔を差込み、部屋の中を覗き込む。 相変わらず散らかっている部屋にはすでに叱責することを諦めている。 「つーくーん?」 呼んでも返事がないことは、これもまた経験上知っていたが、少しでも相手の起床を促すために敢えて目的の人物の名前を呼ぶ。しかし、やはり返事はなく、目当ての人物は自分の寝台の上で芋虫よろしく布団を巻きつけている。 芋虫ならサナギになって羽化でもするものだが、どんなに時が過ぎても少しの進歩もないその姿にはさすがにため息が出てしまう(ときがある)。 「ツっ君、起きなさい。もう朝よ」 「んー・・・?」 「ツナ!」 乱雑な部屋の中を障害物を避けながら、白い塊のもとまで歩く。腰に手をあて大声で名前を呼ぶと、やっと返事のようなものが聞こえてくるが、明らかに覚醒とは程遠く、彼はさらに二度目のまどろみに浸かろうとしている。 「もう!いいかげんに起きなさいツナ!」 「ぅわ!?」 もぞもぞとさらに深く潜り込もうとする茶色い髪に、揚羽は一気に布団を剥がしにかかる。布団を奪われまいとしがみ付こうとして逆に引きずられたのか、芋虫の中身もといこの部屋の主である綱吉がベッドの横に落下した。 「いってー」 頭から落ちたのか、首の辺りを擦る綱吉に、揚羽は仁王立ちになったまま上半身を屈ませて彼の顔を覗き込む。 「ほら、学校行くから着替えて」 「・・・がっこ、いきたくない」 もそもそと綱吉から聞こえてきた言葉に揚羽はまたため息をつく。近頃、この愚弟は学校をサボリがちであり、しょっちゅう授業をさぼっては遅刻早退を繰り替えしているのである。弟思いの揚羽にとっては今、受験以上に最大の悩みであった。 が、学校嫌いであるにもかかわらず、この弟は毎日学校には通っている。それは彼女の努力の賜物であろうが、何よりも最大の理由があるのだ。 揚羽は鬼の首でもとった顔で、土に潜ろうとする幼虫さながらに一生懸命布団を取り返そうとしている綱吉の頭の上へ、とっておきの切り札を投げかける。 「ふぅ〜ん?いいんだ?京子ちゃんに会えなくても?」 揚羽が口に出した人物の名前に綱吉は目に見えて肩を震わせた。今度こそ確信犯の笑みを浮かべ、揚羽は唇に人差し指を当てて白々しく天井を見ながら語を継いだ。 「今日、ツナのクラスは体育があったっけ。体操服姿の京子ちゃんきっと可愛いわよね〜?」 「やっぱりいく」 あっさりと趣旨を変えた自分に正直な弟へ、揚羽はにっこりと満足気な笑顔を向けた。 *** 「ツナー?まだー?」 「ま、まってよ姉さん」 玄関先で靴に踵を押し込みながら、揚羽がリビングに声をかけると慌ててトーストを口に詰め込みながら綱吉が返事をする。別に時間には余裕があるので、慌てる必要がない旨を伝え、しかし時間には余裕を持たせるようにちゃんと釘を打ってから玄関を出る。 (新聞とらなくちゃ) 綱吉を待っている間、郵便受けにある新聞を取るのも揚羽の役目であり、日課になっている。 「きゃっ」 しかし、本日の郵便物は常より多かったらしく、郵便受けの蓋を開けた瞬間に、些か質量のある中身が全て一気に雪崩落ちてしまった。 小さな失態に苦笑しながらさまざまな便箋を拾い集めていると、一呼吸置いて一枚の紙が揚羽の目の前にひらひらと落ちてきた。どうやら封筒などとは違い重量が軽かったために、他の郵便物と一緒の速度では落ちなかったようだ。 「あら・・・チラシ?」 その紙を拾い上げ、何気なくそこに書いてある文字の羅列を目で追ってみる。 (『家庭教師をいたします。お子様を次世代のニューリーダーに。 リボーン』・・・・・・ぷ) とても仰々しい誘い文句に、揚羽は思わず噴出しそうになるのをなんとか唇に拳を押し当てて堪えた。 (『ニューリーダー』って・・・) しかも、当方若くてイケメン、など、衣食住の保障があれば24時間無料で教えます、などなど、他にもいろいろとサービス(?)が書かれている。 つまりは、 (下宿したいのかしらこの人?) 下宿させてもらうかわりに家庭教師をするということなのだろうか。揚羽はお金がなくて苦労している苦学生を想像してしまった。 ついでに最近綱吉が持ち帰った答案等にも思いを馳せるが、かなり頭の重くなる結果だったとだけ言っておこう。 (お母さん、こういうの好きよね) チラシを見る限り、このリボーンという人物はかなりぶっ飛んだ人物ということが伺えれる。しかし、拙宅の母はかなりの大物で、このような奇人変人でもおそらく構わない、むしろ普通ではつまらないと歓迎すらしそうである。 「おかーさーん!これ見てー?!」 片手で新聞や封筒の束を持ち、残りの手でチラシをひらひらと揺らしながら、揚羽は自宅へと逆戻りした。 しかしこの時、この人物が下宿を目的とした指導ではなく、逆に指導することを目的とした下宿を望んでいるということを揚羽は気付かなかった。 そして、揚羽が仰々しいと言った『ニューリーダー』という言葉に、決して嘘偽りがないことにも。 ‡標的1‡ イタリアからやってきたアイツ 「ツナ。忘れ物はない?」 「ないよ。姉さんは心配性だな〜」 姉の過保護さに綱吉がからかいを含めて困ったように笑うが、心配される綱吉にも原因があると思われる。 どうだか、という意味を込めて綱吉に視線を向ける。ふと、手ぶらな綱吉に、揚羽は何か物足りないものを感じた。 「ツナ、今日は体育があるのよね?」 「? そうだよ?そのために学校に行く・・・って、あわわわ」 慌てて自分の恋情を隠そうとする愚弟に、揚羽は呆れてものが言えなくなりそうだった。彼の秘めているつもりの思慕は、とっくの昔に揚羽には露見していて、つい今朝にも、それを臭わせる発言をしたばかりだというのに、尚も誤魔化す素振りを見せるのだ。それも、彼自身は揚羽に自分の気持ちが露呈されていることを知っているのにもかかわらず、だ。どこに今更照れる必要性があるというのだろうか。 しかし、揚羽はどんなに開いた口が塞がらない状況に陥ろうとも、今すぐに物申す義務があった。 「なら体操服は?」 「・・・あ」 (やっぱり忘れ物してるじゃない) わ、わすれてた?!と言って、慌てて引き返す弟を見送りながら、揚羽は時計に目を落として、小さくため息をついた。 (今日も遅刻ギリギリね) 家を出てすぐに気付いたからマシだったものを、学校にほぼ近くなってから気付く場合もあるのだこの愚弟は。 いつも綱吉が何かしらの理由を作っては遅刻になりそうになる毎日といっても過言ではなくなりそうな日々に、揚羽は哀しきかなすでに慣れてしまった。新入生の綱吉が入学する前に過ごしていた、穏やかに登校できた一年を揚羽はもう思い出すことができない。 それは多分、それだけ今が充実しているということだ。ということにして、喜ぶべきことなのだと無理矢理思い込むことにしている。 このときの揚羽には、否、揚羽だけでなく綱吉にも、まさかちょっと先の未来に、これ以上に波乱万丈な日常が訪れることになるとは、まったくもって知る由もない。 *** 「おまえのせいで負けたんだからなーっ」 「・・・ごっ、ごめん」 体育の時間。授業の一環であるバスケの試合で、綱吉のチームは負けてしまった。同じチームになったクラスメートたちは揃ってその敗退を綱吉の責任だと非難した。 揚羽が聞けば心外だと憤っただろうが、生憎と彼女はこの場にいない。何より、綱吉は自分でもその通りだと思っていた。なので、本来ならばチーム全員でするはずの後片付けを押し付けられても、強く言い返すことができなかった。 誰もいない体育館で綱吉は一人ため息をついた。 *** 放課後。この日は週に一度の、各委員会が集まる日で部活はない。 久しぶりに早く帰れる、と揚羽はどこに寄り道しようか浮足立って考えていた。 「ねぇ、揚羽。今日部活ないんでしょー?買い物に付き合って欲しいんだけど」 「うん、もちろんい・・・」 「柚木!」 「・・・はい?」 いいよ、と言うつもりだったが、後ろから急に呼ばれたので、揚羽は仕方なく振り返る。 そこにいたのは、揚羽の担任でもなく、部活の顧問でもなく、なんにも接点がないにもかかわらず親しくなってしまった教諭がいた。 「沢田を知らんか?午後から見当たらないんだが」 つまりは綱吉の担任だった。 「え?ツナですか?見てませんけど・・・」 「やっぱりアイツふけやがったな」 しかたねえヤツだなあ、と頭をがしがし掻く担任に、揚羽は慌てて頭を下げる。 「す、すみません!帰ってよく言い聞かせますから・・・!」 「いやお前が謝る必要はないだろ。まあ一応、家にも連絡しといたから」 引き止めて悪かったな。と言って、笑って去っていく教師に、揚羽は本当に申し訳ない気持ちで一杯になった。同時に、綱吉への怒りが沸々と湧き上がってくる。 「ごめんね、奈緒。今日一緒に帰れない」 「あーうん、わかったから」 いつもたいへんね。と素っ気無く言う親友に、やはり揚羽は、人に迷惑をかけることに対して怒りを感じることはあるが、大変とは思わなかった。億劫に感じたことすらもない。 それこそいつものことだからだ。 揚羽はまるで目の前に本人がいるかのように、きっと前を鋭く見据えた。たまたまその場に居た剣道部の持田が運悪く真っ向からそれを見てしまい、ひっと小さく悲鳴を上げた。 「ツナのばか」 別に勉強しろ、だとか部活に入れ、だとか言っているわけではないのだ。ただ、学生の義務として、授業を受けるぐらいはして欲しいと思っている。 傍から聞けば大真面目な発言かと思われるが、実際ほとんどの生徒がこなしていることなのだから普通はそれが当然だろう。 *** 「綱吉ー。学校から電話あったわよ」 トントン、と軽快な音をたてて奈々は階段を上がる。 「また途中からさぼったんだってねぇ。あんた将来どーするつもり?」 「べつにィ・・・」 気のない返事をする綱吉に奈々は怒りを通り越して呆れてしまう。 どうしてこの息子はやりもせずに全てを投げ捨ててしまうのだろうか。 「母さん、別にいい高校や大学に行けっていってるんじゃないのよ」 「だまって部屋に入るなよ!」 ノックもせずに開かれたドアに、綱吉がプライバシーの侵害だと非難を浴びせるが、奈々に言わせれば権利を主張する前に義務を全うして欲しいというものだ。 「お姉ちゃんは何も言わなくても勉強したのよ!」 その言葉に綱吉はうっと呻く、姉は、運動神経は抜群にいいとまではいかないが人並みよりは秀でており、成績もそこそこの順位を修めている。自分と血がつながっているはずなのに、雲泥の差だった。 「どーせオレは出来が悪いよ!!失敗作でござんす!!」 「あんたみたいに退屈そうにくらしてても一生。楽しくくらしてても一生なのよ!ああ生きてるってすばらしい!と感じながら生きてほしいのよ!」 「そーゆーこと人前で言わないでね。はずかしいから」 「ま・・・」 あくまでも自分の言い分に耳も貸さない息子に、奈々はにやりといやらしい笑みを浮かべた。 「ツーっ君・・・・・・・・・今日、家庭教師の先生くるの」 「家庭教師!?」 その言葉に予想通りの反応をみせた綱吉に満足そうな顔をして、奈々は一枚のチラシを取り出した。それは紛れも無く、今朝、揚羽が見つけたものだ。 「お子様を次世代のニューリーダーに育てます。学年・教科は問わず。リボーン」 その紙に書かれていることを読み上げて、奈々はチラシをうっとりと抱きしめた。 「ステキでしょ?こんなうたい文句見たことないわ」 「うさんくさいよ!」 我が母ながら、先ほどのうたい文句でなぜ凄腕の青年実業家庭教師などという解釈が起こるのか甚だ疑問である。 だが、この母はあの父を旦那に選ぶくらいだ。やはり人と感性が違う。 「オレ、家庭教師なんてぜってーヤだからね!どーせ何やったってムダなんだって!」 「ちゃおっス」 その時。二人の間から第三者の声がした。声が聞こえた下方へ視線を向けると、そこにはいつの間に入ってきたのか、黒いスーツに身を包み、同じく黒い帽子に見たことの無い爬虫類を乗せた赤ん坊がいた。 *** 「ツナ!!」 ばあん!と仰々しい音をたてて、揚羽が綱吉の部屋の戸を荒々しく開ける。 「今日また学校途中でサボって・・・・・・え?」 しかし、一番に目に入った光景に、揚羽はそれまでの勢いをほとんど削がれてしまった。 「えと・・・この子は?」 「姉さんたすけて〜!」 「ちゃおッス」 揚羽が家の扉を開けて一番最初に目にしたのは、最愛の弟が小さな赤ん坊に乱暴されているところだった。 片手で器用に綱吉を締め上げながら、残った手で小さく揚羽に挨拶をする赤子に、揚羽はいろいろと混乱した。 「えー・・・と?」 「お前がツナの姉の揚羽だな」 たしかに綱吉は運動神経が人並み以下で、下手すれば小学生にも負けることがあるかもしれないといっていいほど喧嘩の類が苦手である。しかし、だからといって、生まれて間もないような小さな赤子にまで手も足もでなくなるかというと、甚だ疑問がある。 赤子の手を捻る。という慣用句があるが、今の綱吉はむしろ、赤子に手を捻られている。 「あの、あなたは?」 「オレは家庭教師のリボーンだぞ」 「え!?」 こんな小さな赤ちゃんが!? と思わず言いかけて、揚羽はとっさに口をつぐんだ。なぜならリボーンが綱吉を締め上げてない方の手にいつの間にか持っていた銃の先端をこちらに向けていたからだ。揚羽の直感がそれ以上を口にしてはいけないと告げている。 「オレの本当の仕事はお前をマフィアのボスにすることだ」 「はぁ!?マフィアだって?」 「え?え?」 揚羽は展開が早すぎてイマイチついていけなかった。 (「まふぃあ」ってアレよねぇ、イタリアとかによくいるスーツ着て銃とか持ってる・・・) とりあえず、そんな人物と可愛い弟が関わるのかと思うと、とても頭が痛んだ。 その後も、どうやらリボーンなる人物は綱吉をマフィアのボスに教育するよう依頼されているそうで、しかもやりかたは彼にまかされているらしく、自称家庭教師ヒットマンは冷たい銃口を容赦なく綱吉に向けた。 「一発撃っとくか?」 「なっ、おい!」 「だ、ダメダメ!ツナを撃っちゃダメ!!」 「姉さん・・・!」 揚羽が銃口と綱吉の間に、震えながらも身体を滑らせる。 両手を懸命に広げ、身を挺して自分を守ろうとする姉に、綱吉はじーんと感動した。 リボーンがサッと銃口を二人からはずす。 「でも今じゃない」 「!?」 その瞬間、狙っていたかのようにリボーンの腹から獣の呻き声にも似た音が聞こえてきて、揚羽と綱吉は共に身体を振るわせる。 「あばよ」 「うぉい!」 あっさりと身を翻す赤ん坊に、二人はポカーンとその背中を見送ってしまった。 「な、なんだったの?今の・・・」 「さ、さぁ・・・?」 嵐のように現れて去っていった赤ん坊に、姉弟は揃って首を傾げた。 「・・・まあ・・・でも次はないだろ・・・母さんもあんな奴はこりたろーし」 「そ、そうよね・・・」 しかし、二人の予想に反して、彼の契約は綱吉の成績があがるまで住み込むというものであり、我が物顔で夕食を食べる彼とすぐに見えることになる。 これが、次世代のニューリーダー・沢田綱吉と、黄色いおしゃぶりを首から提げた赤ん坊こと、最強の家庭教師・リボーンとの出会いである。 それはひとりの少年の、 愛の告白から始まった。 (さぁ、賽は投げられた。)途中で読み切り版のリボーンにでてくるセリフを抜粋してます。 読み切りに存在だけでてくるツナのお姉ちゃんってどんな人だったんだろう。ビアンキだったのかな。という妄想から始まった連載。 [*前へ][次へ#] [戻る] |