ポイズンクッキングU
新緑の季節も過ぎ、すっかり猛暑となった夏最中。
「もうそろそろかな」
揚羽はただでさえ暑い中、熱い湯に向かっていた。時間をみてから鍋を掴み、流しに用意していたザルへ中身をこぼす。傾けた鍋から立ち込める湯気が顔にかかり、不快感を呼ぶ。
ザルの中の麺を水で流しながら、揚羽は湯気で湿った顔を拭った。
「まだか?」
待ちきれなかったのだろう。揚羽が煮え滾る湯と格闘するはめになった人物が、後ろからせっつく様に促した。
夏の風物詩ともいえる甚平を着込んだ小さな姿を可愛いと思いつつ、揚羽はにこりと微笑んだ。
「すぐできるから、もうちょっとまっててね」
ザルを持ち上げて軽く水を切り、硝子の器に中身をよそった。
「できたけど、どこで食べる?」
「ツナの部屋で食うぞ」
クーラーがきいてるからな。と言って先を歩く家庭教師に、最強を謳う彼も自然現象には勝てないのだな、と少し可笑しく思いながら後に続く。
‡標的11‡ ポイズンクッキングU
「あら?ツナはいないのね」
我が物顔で弟の部屋に入る家庭教師に続けば、肝心の部屋の主がいないことに気付く。
「ツナはさっきコンビニにでかけたぞ。もうすぐ帰ってくるだろ」
「そうなんだ」
「リボーン」
「ちゃおっス。ビアンキ」
「あら、ビアンキさん。いらっしゃい」
呼び鈴が鳴った記憶はない辺り、おそらく無断で上がってきたのだろう。そこには、自称・家庭教師の恋人が我が物顔で立っていた。しかし、不法侵入を咎めたりはしない。彼らに常識を説くのは無駄であるからというだけでなく、揚羽はこの恋に生きる女性を気に入っているからである。弟に言えばひっくり返りそうだが。
リボーンをみるなり頬を薔薇色に染めて、数年ぶりの逢瀬のように慎ましく駆け寄るビアンキを、揚羽は朗らかに迎え入れた。
「今ちょうどお昼ご飯に素麺を作ってたんです。よかったらビアンキさんもいかがですか?」
「まぁ、私もよばれていいのかしら」
「もちろん!これからツナの分も作ろうと思ってたんです。たくさんあるからビアンキさんも食べてってください」
「そう・・・ツナの分も」
その時、ふいに穏やかだったビアンキの表情が一変、なにやら不穏な空気を纏う。
「私も手伝うわ」
「えっ?」
「お、それがいいな。揚羽手伝ってもらえ」
「う、うん」
たしか彼女は食べ物を使って人を殺す職業の人間だったような。
揚羽は一抹の不安を抱えながらビアンキを連れてキッチンに向かった。
***
「ビアンキさんは今日どうしていらっしゃったんですか?」
「仕事よ」
「仕事?」
会話の切っ掛けとして、てっきり、リボーンに会いに来たのかと問えば、予想とは違った答えが返ってきた。
「リボーンにツナの家庭教師の一部を頼まれたの。家庭科などの実技をね。本当は嫌だけど、リボーンの頼みだし」
「はぁ・・・」
「いっそ、家庭教師の途中で事故と見せかけて・・・ふふふ」
「えぇ!?あ!で、でも!あの(自称)一流のリボーンちゃんにお仕事を任されちゃうなんて、ビアンキさんってよっぽど頼りにされてるんですね!!」
「え?そ、そうかしら?」
「そうですよ!他の誰でもなく一番にビアンキさんに頼むなんて、頼りにされてる証拠ですよ」
にっこりと微笑む揚羽の額には冷や汗が浮かんでいたが、ビアンキは気付かなかった。
「頼りにされてる」イコール「愛されている」。彼女の中で愛の方程式が組みあがっていく。
「そうね。この仕事はいわば愛のため」
「だから、仕事はきちんとしたほうが・・・」
「リボーンには私がいなくちゃダメなのね」
(聞いてない・・・!)
綱吉の安全が確保できればリボーンの気持ちを彼女が曲解しまくったとしても揚羽にはなんら問題はない。しかし、揚羽のいいたいことの半分も、ビアンキが理解できたかどうかは謎である。
***
「ふい〜〜〜暑い!」
綱吉はアイスでも買おうかと外に出たが、あまりの暑さに途中で諦めた。
「やっぱクーラーつけて部屋でじっとしてよ」
急いで自分の部屋に向かう。しかし、自分の部屋には既に先客が数名。
「ちゃおっス」
「おまえは日本の夏を存分に味わってんな―――!!」
甚平に身を包み、そうめんをすする自称・家庭教師がいた。蚊取り線香や祭の字が書かれたウチワ、レオンまでもが風鈴に擬態していて、夏の風物詩満載だ。
ちなみに足元には暗殺しつかれておねんねしているヒットマンがいる。おかしい。ここは自分の部屋だったはずなのに。何故、主以外の人間の方が堪能しているのか。
「あなたの分もあるわよ」
艶めかしい声音に、嫌な予感しかしないが振り返る。
「かっ食らって」
「ビアンキ!!・・・と、姉さん」
「わたしはついで?」
そこにはカエルやら虫やら、おおよそ人が食することができるとはとても思えない代物を持ったビアンキがいた。リボーンが食べている物と同じ器によそわれているのに中身が違うだけでこんなにも食欲を削げさせるものもないだろう。
ビアンキの後ろの揚羽は恐ろしいものをみたようにとても青褪めて見える。
「な、なんでお前がココにいるんだよ!またそんな毒々しいもんもって〜〜〜っ」
あまりの醜悪さに綱吉はその場で腰を抜かせた。あまり直視したいものではない。
「愛のためよ」
「仕事のためだぞ」
「リボーンは私がいなくちゃダメなのよ」
「お前の家庭教師を一部ビアンキにたのもーと思ってな」
(すんげーくい違ってっぞ!!!)
(えーと、わたしのせいかしら?)
恋は盲目。すっかり揚羽のでまかせを信じきっているビアンキと、それでも彼女の発言をまったく意に介した様子がないリボーンは流石だと思った。
「つーか、なにいきなり家庭教師とかいってんだよ!!自分もロクにしてねーくせに!それにこの女はオレをポイズンクッキングで毒殺しようとしてたんだぞ!!」
「フフ、まだ子供ね。いつまでもそんなことにこだわってるなんて」
「え?」
「今、開発してるのはポイズンクッキングUなの。殺傷力2倍!」
「なおさら出てってくれ―――!!!」
彼女の中の「ツナを殺したい」という衝動が変わったのかと思えば、まさかの悪化。綱吉の懇願はさらに鬼気迫るものとなった。
「私がうけもつのは家庭科と美術よ。今日は家庭科実習をするわ。先に台所へ行って準備するわね」
「ちょっ」
今日は、ということは数日にわたり家庭教師をするつもりなのか。必死な綱吉の制止の声もむなしく、ドアは無常にも閉められてしまった。
どうやら、愛するリボーンに頼まれた仕事は、揚羽の説得のためか、きちんと全うするらしい。しかし、今の彼女に殺意がなかろうが、いつでも綱吉の命を狙うことができるということには変わらない。綱吉は頭を抱えた。
揚羽はひとつ、何かに気付いたように、そっとその場を離れた。
「リボーンなんとかしろよ!!追い出せよ!!」
しかし、リボーンは綱吉の訴えよりも空腹を満たすほうが重要なようで、そうめんをツルツルと啜るだけだった。
「ツルツルじゃなくて・・・」
そのとき、綱吉の嘆きに応えるように、インターホンが鳴った。
***
ピーンポ―――
「いらっしゃい」
ーン。
まだ指を呼び鈴に押し付けたまま、獄寺は朗らかに玄関から顔を出した揚羽をきょとんとして見遣った。
「まぁ獄寺くん。今日はどうしたの?」
獄寺の顔を見て、にっこりと嬉しそうな表情を浮かべる揚羽に、少し沸いた違和感はすぐに霧散した。つい自分の頬も緩むのを感じながら、獄寺はお土産のスイカを高く上げて笑い返す。
***
「ツナー。獄寺くんが来てくれたわよー?」
「10代目〜〜〜っ!」
「ご・・・獄寺くん、どーしたの?」
揚羽と違って、はじめは命を狙われていた経験からか、綱吉は未だに獄寺に対して恐怖心を拭えないでいる。
今は彼に心底尽くすつもりでいる獄寺なのだが、正直言っていじめられっ子という不名誉な称号を欲しいままにしていた綱吉は、この不良少年がとても苦手なのだ。
「このスイカ一緒にどーすか。めちゃくちゃ甘いらしいんスよ!」
そんな綱吉の心情も知らぬが仏。獄寺は二カッと人好きのする笑みを浮かべた。
「す・・・すごく嬉しいんだけど、今ちょっといろいろ取り込んでて・・・(う・・・うそじゃないよな)」
これ以上の厄介ごとはごめんだと、綱吉は体よく獄寺を追い返そうとする。が、綱吉の計らいとは違い、獄寺の目つきが鋭くなった。
「トラブルっスね。なんならオレがカタをつけますよ」
「え!?」
言われて見れば、獄寺は自分を慕ってくれているのだし、彼ほど心強い味方もいないだろう。綱吉はさっそく方向性を変えて、獄寺にビアンキを押し付けようとした。
「じ・・・実は今、うちに・・・」
しかし、皆まで言い終わる前に獄寺の手からスイカが落ち、床で無残に砕けた。貧乏性な綱吉と揚羽がそれに叫び声を上げるが、当の本人はそれどころではないらしく、恐怖に満ちた表情で、家の奥を見つめていた。
「・・・あ・・・アネキ!!!」
「え」
「隼人」
「え?」
既に旧知らしく、お互いを見て目を丸める二人に、綱吉と揚羽も二人を交互に眺めて目を丸める。と、獄寺が急にお腹を抱えて走り出した。青褪めた彼の表情を見て、揚羽も反射的に後を追った。
***
「獄寺くん。だいじょうぶ?」
木に手をついて青褪めている獄寺の背中を、揚羽は優しく撫でさすってやる。明らかに具合の悪そうな様子に、心臓がせわしく動いた。
「救急車呼ぶ?」
「いえ、そこまでしなくても・・・大丈夫です」
心配げに自分の様子を伺う揚羽のいじらしさに、獄寺が笑いかける。心配をかけまいと笑顔を浮かべることなど久しぶりの経験だった。
すぐに、後を追ってきた綱吉と合流し、ビアンキとの関係を問えば、二人は姉弟なのだという。
「後でわかったんですが、アネキは作る料理がすべてポイズンクッキングになる才能の持ち主だったんです」
「どーなってんのソレ!!!」
「どうりで・・・」
揚羽は毒々しい色を思い出し、顔を青ざめさせる。いろいろ合点がいった。
しかも、ビアンキの料理を食べて行ったピアノの演奏が、高く評価されてしまった彼は、演奏会がある度に彼女の料理を食べさせられたという。
「その恐怖が体にしみついて今ではアネキをみるだけで腹痛が・・・」
(悲劇だ―――!!!)
(というかその場合、お父さんが酷いわね)
以前、彼に焼き菓子をあげた時、異様に怯えていた原因が見えた気がして、揚羽は心の中で小さく、しかし深く頷いた。
「うすうす感づいていたけど強烈なお姉さんだね」
「ええ大嫌いです」
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
キッパリと言ってのける彼の声には全くの淀みがなく、相当苦労したことが伺える。揚羽と綱吉はその心中を察して思わず閉口した。
その後、彼が提案したのはビアンキを追い出すための作戦で。それは、彼女の死んでしまった元彼にそっくりな人間を彼女と引き合わせ、後を追わせるというぶっとんだものだった。しかし、ほぼ不可能と思われる作戦に思えたが、なんの因果か、写真で見せてもらった元彼の顔は10年後のランボに瓜二つだったのだ。
***
件の『死んでしまったあの人が実は生きていた!?一瞬でもいい、もう一度会うためなら地の果てでも追うわ』作戦(命名獄寺)を実行するために、ツナがランボを探しに行ってる間、揚羽と獄寺は近くで様子を見つつ、待機していた。
道の端でしゃがみ込みながら、揚羽はふと隣の獄寺を見上げた。
「獄寺くん」
「なんすか姐御」
「お姉さんのこと、そんなにキライ?」
「大嫌いです」
「・・・・・・・・・」
じっと伺うように訊ねた揚羽の眼差しにも気付かず、獄寺はキッパリと言い放った。それに揚羽は苦い笑いをする。
───大嫌いです。
その言葉は酷く揚羽の琴線を振るわせた。
「・・・獄寺くんが」
「ん?」
前に視線を戻して、揚羽は少し唇を尖らせた。ちょっぴりムッとしたのだ。
「獄寺くんが、ビアンキさんを・・・苦手だっていうのは勝手だけど」
ぽつりぽつり、と溢される言葉に、獄寺が首を傾げる。
「それ、ビアンキさんには言わないでね」
揚羽の言いたいことの意図が汲めないのだろう、視界の端で彼が首を傾げるのが見える。
視線を獄寺に戻して揚羽は困ったように笑った。
揚羽とて、彼が理不尽に姉を嫌悪している訳ではないということを理解している。彼がとても苦労し、己を守るための手段としてビアンキを疎遠にしていることを、揚羽に咎める権利はないし、そのつもりもない。
「もし、わたしがツナに「大嫌い」って言われたら、きっと、死ぬほど悲しいから」
ただ、少しだけ、その事実が悲しかった。
まだ、言われたわけでもないのに、口にしたら少し、泣きたくなった。馬鹿だな、と自分でも思う。
姉の心、弟知らず。
(貴方が可愛くて仕方がないの)
ビアンキ可愛いよね。
てか入れる予定のなかった話なのに一番長くなった不思議。
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