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山本武


 揚羽は部活を終えて、一人で帰宅しようとしていた。


(ちょっと、遅くなっちゃったな)


 部員はすでに全員帰らせたが、揚羽は戸締りのために残っていたので必然的に一人だった。
 靴箱で上履きから下履きに靴を履き替え、踵を押し込む。顔を上げて、少し薄暗くなりかけた空を見て、家路を急ごうと思った。初夏は急に日が高くなるので、時間の感覚があやふやになっていけない。









‡標的6‡ 山本武









「ん?」


 下駄箱から校門まで帰宅しようと歩いていた揚羽はふと、グラウンドにいる人影を見つけて首を傾げた。
 すでに下校時間はとっくに過ぎているというのに、と揚羽は誰もいないはずのグラウンドへおそるおそる近付いた。


「ねえ君」


 近くで見れば、それは当たり前にオバケなどではなく、どうやら野球部らしい少年がバッドで素振りをしているところだった。
 揚羽に話しかけられて、少年が手を止めて振り向いた。


「なんすか?」
「もう下校時刻はとっくに過ぎてるわよ」


 揚羽がそういい含めると、少年はあちゃーと困った顔で笑った。


「すんません。見逃してもらえないっすか?」


 バッドを持ってない方の手で拝むようにする少年に揚羽は苦笑した。揚羽には少年の行動を規制するほどの権限はない。ただ、


「どうしてそんなに練習するの?」


 一心不乱に身体を酷使する少年が気にかかったのだ。


「身体、壊しちゃうよ?」


 本当に、心配そうに首を傾げる揚羽に、少年は先ほどまでは笑っていた笑顔を歪めて、悲しそうな表情を浮かべた。


「最近、ちょっとスランプで・・・今度スタメン落とされそうなんすよ」


 だから・・・と言葉を濁す少年の気持ちを揚羽は痛いほど汲み取った。彼女とて、経験のある話だったからだ。だからこそ、少年に言及する。


「だったら、余計に何もしないほうがいいわ」


 揚羽の言葉に少年はわけがわからず、きょとんとする。


「そういうときは、休んでたら自然に治るものだから」


 そう言った揚羽の言葉に少年は少し戸惑いを見せた。


「そんなんで、ほんとに治るんすか・・・?練習したほうが・・・」
「ふふ。いいのよ、気にしないで。これはわたしの経験談だから」


 どうやら少年には揚羽の考えは程遠い思考のようだ。もちろん、揚羽も自分の考えが必ずしも正しいなどとは思っていない。ただ、少しでも少年の悩みを解決する糸口にでもなれればと思ったのだ。選択肢が増えるだけでも人は思考の幅が広がり、楽になるものだ。


「あの、名前・・・なんていうんすか?」
「あ、ごめんなさい!わたし柚木揚羽っていいます。二年生よ」
「オレは山本武。一年っす!」


 快活に答える少年に微笑ましく感じながらも、揚羽は内心その聞き覚えのある名前に首を傾げた。たしか、一年生ながらも野球部でレギュラーを取り、性格も明るく爽やかなことから各学年で人気もある少年がそんな名前だったように思える。揚羽のクラスや同じ部員にも何人かファンクラブに入っている子がいたはずだ。
 なるほど、と目の前の少年を見ながら揚羽が心の中で頷いていると、少年が小さく「柚木・・・」と揚羽の苗字を吟味していた。


「もしかしてツナのねーさんの、柚木センパイですか?」
「へ?」


 山本の意外な台詞に、揚羽は面食らった。


「ツナを知ってるの?」
「同じクラスなんすよ!」


 きょとんと首を傾ける揚羽に、山本はニカっと爽やかな笑顔を浮かべた。


「ツナはともかく、どうしてわたしのことも?」


 揚羽の素朴な疑問に、山本は「ははっ」と短く息を吐くように声を立てた。


「有名ですもん、センパイ。『ダメツナと万能委員長』って」


 あれ?『万年』だったかな?という山本の言葉に、揚羽はうっと呻いた。


「わたし、嫌々やってるわけじゃないのよ?」


 少し腑に落ちない顔で揚羽は呟いた。普通、学級委員長というものは半期で交代するものだが、揚羽は一年次からずっと他推薦により学級委員長を勤め続けている。というのも、一年次の担任がなかなかでない立候補者に、揚羽が続けてすればいいと適当に決めたのがきっかけなのだが。
 しかし、揚羽は別に学級委員という役職が嫌いではなかった。あまりぱっとしない職種ではあるし、仕事内容も通常の委員会よりは地味なものだが、その分揚羽の気質には向いていた。やらないか?と訊ねられて、否をとなえないのはその為だ。



「それに、ツナはダメじゃないもん」



 小さな子供が言い訳するみたいに憮然として言った揚羽の言葉に、山本が「知ってますよ」とあっけらかんと言い放った。揚羽は吃驚して山本の長身を見上げる。


「持田センパイとの剣道の試合でも、この間の球技大会でも、スゲー活躍だったっすからね!」


 オレ、アイツに赤マルチェックしてんすよ!と無邪気な笑顔で言う山本に、揚羽はその影にマフィアな家庭教師がいるなどとは言えず、乾いた笑みを溢した。









***









(あれ?今日もいる・・・)


 グラウンドに残った人影に、揚羽はなんとなく目がいった。
 あれから毎日、グラウンドに目を遣っているが、やはり彼はあれからずっと、ひたすらに練習を続けていた。つい最近知り合ったばかりの揚羽でもさすがにかなり心配になった。
 マウンドの影はとても必死そうにバットを振っている。


「あったけしだ!」


 隣にいた後輩もその姿に気付き頬を赤く染めて声を上げる。揚羽は思わずどきり、とする。


「キャー!今日もたけしったらかっこいい!」


 語尾にハートマークが付きそうな黄色い声の後、しっとりとしたため息を付く後輩に、揚羽は訊ねた。


「最近、山本くんの調子ってわるいの?」
「え?そうですねー最近ちょっとミスが目立ちますけど。でも大丈夫ですよー!なんていったってたけしですもん」


 なんなんだその自信は。と問いただしたくなるような曖昧な理由で、後輩はまたもや黄色い悲鳴をあげた。


「あ!センパイもたけしが好きなんですか?ダメですよ〜。たけしはみんなのものなんですからね!」
「もー。そんなわけないでしょう、この子は」
「え〜?たけしに惚れない女なんていませんよ!」
「はいはい」


 恋は盲目。要らぬ心配をする後輩をたしなめながら、揚羽は帰路に着いた。









***









「揚羽ちゃん。ツッ君を呼んできてくれない?ご飯できたわよって」
「はーい」


 母の言葉に色よく返事をして揚羽は階段を上がった。


「あぢっ」


 戸の奥から聞こえてきた悲鳴と、明らかに民家の一室から聞こえるものとしては可笑しなゴオッという轟音に、揚羽はノックをしようと上げかけた手を一旦止めた。


「燃えるの意味がちげーよ」
「オレのセリフを言うな!!!」



 中から聞こえるコントのようなやりとりに、またあの家庭教師の仕業か、と、揚羽は今度こそキチンとノックをして部屋に入った。


「・・・何で焦げてるの?」
「これは!リボーンが!」


 服の袖を掴んで必死に訴えかける綱吉に、揚羽はリボーンを見遣った。すぐに視線を逸らされる。


「リボーンちゃん・・・銃火器類は家の中で使わないでって言ったじゃない」
「オレは殺し屋だぞ」
「理由になってないわよ」
「ていうか、家の外でも使っちゃダメだろ」


 この場合、綱吉のツッコミが一番まともなのだが、それはスルーされた。


「それで、なんで燃やされちゃったの?」
「そ、それは・・・」


 途端に頬を赤く染めて、もじもじと恥らいだした綱吉に、揚羽は首を傾げた。


「今日さ。クラスの人気者から相談うけちゃって───」


 オレいいこと言ったんだ!と照れくさそうに、しかし誉れ高そうに言う愛弟に、揚羽は微笑んで返した。


「そう。良かったじゃない」
「それなのにリボーンの奴、山本を部下にしろだなんていうんだ」
「え?山本くん?野球部の?」
「ぅえ゙?姉さんも山本のこと知ってるの?」
「ええ、この間。部活の帰りに、ちょっと立ち話をしたの」


 そう言えば、綱吉と同じクラスだと言っていたな。と、揚羽は思い出した。そして、今日の一心不乱にバットを振っていたシルエットも。
 ふと、綱吉に訊ねた。


「あなた。彼になんて言ったの?」


 揚羽の言葉の中に含まれる硬さに気付かず、綱吉は軽く答えた。


「努力しかないよって言ったんだよ」


 ゲームのコントローラーを握り、画面に目を移したままそうのたまった弟の台詞に、揚羽は少しだけ眉を寄せた。


「ツナ・・・」
「なに?姉さん」


 揚羽はそっと俯いてぽつりと言った。


「ツナがさっき言ったことは正しいと思うわ」


 下げていた顔を持ち上げ、綱吉の瞳を見据える。
 その表情は苦しげに眉を寄せたままだった。


「でも、ツナが言うのは間違ってると思う」
「あ・・・」


 綱吉はただの建前だけで言ったということを見抜かれて、恥ずかしさから眉根を下げた。

 自分が傷付きたくなくてついた嘘は誰かを傷つける。そして、自分を守る嘘は必ず自分に帰ってくるのだ。

 綱吉は恥ずかしくなった。

 すっかり落ち込んで俯いてしまった弟に、揚羽はまだ悲しさが残る瞳で小さく笑いかけ、ご飯だよと綱吉を促した。




 そして次の日、山本は練習のし過ぎによる骨折を苦に、飛び降り自殺を図った。









***









 親友に聞いた自殺騒ぎに、揚羽は居ても立ってもいられなくて、慌てて屋上に向かった。
 そこにはすでに人だかりが出来ていて、誰もが悲痛な顔をしている。「山本命」というハチマキをして泣いている少女たちもいて(揚羽の後輩もいた)、彼の人となりの良さが伺える。
 その人塵をかき分けて、山本の姿を探した。しかし、揚羽の目に入ったのは自分のよく知る人物だった。


(ツナ・・・?)


 人々の群れが途切れ、山本との間にぽっかりと空いた空間で、綱吉が困ったように顔を青褪めさせていた。


(何で?)
「止めにきたならムダだぜ」


 逃げ場を失ってだろう、おろおろと戸惑っている綱吉の理由を考える前に、山本の寂しげな声が思考を遮断する。


「おまえならオレの気持ちがわかるはずだ」
「え?」


 山本の言葉の真意が汲めず、綱吉だけじゃなく揚羽も首を傾げた。


「ダメツナってよばれてるおまえなら何やってもうまくいかなくて死んじまったほーがマシだって気持ちわかるだろ?」
「えっ、あの・・・っ」


 その言葉に、揚羽は叫んだ。


「ふざけないで!」


 揚羽の周りにいた野次馬がぎょっとして彼女を振り返った。その際にできた隙間をずんずんと進みながら、揚羽は憤りを隠そうともせずに山本を睨みつけた。


「あなたに綱吉の何がわかるのよ」


 腰に手を当てて、仁王立ちになりながら揚羽は山本をねめつけた。
 とてつもなく不快だった。


 何も知らないくせに。何も───


 揚羽はつい数日前の会話を思い出した。綱吉を褒め称える姿は嘘だったのか。


「確かにツナは臆病で、弱虫で、ヘタレで、どうしようもないろくでなしだけど!」
「・・・・・・・・・」
「・・・ね、ねえさん」


 明らかに貶しているとしか思えない言葉の羅列に、綱吉はすでに半泣きだ。
 でも、と、揚羽はそこで言葉を区切る。


「あなたと綱吉は違うわ」


 まったくね。と冷たく言い残して、揚羽は屋上を去って行った。








***









 昨日さくじつの晩に姉に言われたことが、綱吉の中でいまだに強く燻ぶっていた。
 自分には、山本のように姉のように、大切と思えるものが無かった。だから頑張ることもしないし、自分を追い込むことも、追い込まれることも無かった。努力なんて知らなかった。


 ただただ“自分”が大切だったのだ。


 それなのに、自分の軽はずみな言葉のせいで山本が、友人が死にそうになってしまって、一番に思ったのは性懲りもなく「逃げたい」という気持ち。

 だけど、リボーンにけしかけられて。山本の言葉を聞いて。姉の言葉を聞いて。
 初めて逃げずに、自分の気持ちを言うことが出来た。それはほとんど懺悔に近いものだったが。

 だけどそれは紛うことない本音、で。


 だからだろうか。死ぬ気弾を撃たれて一度死んだとき、最期に思ったのは友人を、「山本を助けたい」という想いだった。


 それは、綱吉が初めて自分以外のために「死ぬ気」になった瞬間だった。









***









 結局、山本は綱吉共々屋上から身を投げてしまい、某家庭教師様の撃った、つむじ育毛スプリング弾という冗談としか思えない技で助かることができた。事実、級友たちは山本のジョークだと思い込んでしまったほどだ。

 そして助かった安堵から、二人でひときしり笑いあっていると、弟の身を按じてだろう、揚羽がやってきた。
 綱吉の身に何も異変はないことを確認してから、いつまでその格好でいるの?と訊ねた揚羽のその言葉に、綱吉が半裸である自分の姿に気付き慌てて自分の制服を取りに校舎の中へと消えた。
 必然的に山本は揚羽と二人っきりになる。沈黙が降りる。・・・気まずい。


「あの・・・」


 立つタイミングを失って、座り込んだまま山本は揚羽を見上げた。
 話しかけようと声を上げかけたそのときに、彼女のほうから山本に手が差し伸べられた。
 立つのを手伝ってくれるのだろうかと思い、手を返そうと上げるが、その考えとは裏腹に、彼女の差し出された手は山本の手をすり抜け、そのまま彼の頬へくっついた。


「あたっ」


 つまりは叩かれた。

 叩かれた、と称するには、それはとても弱々しく。ぺち、と可愛らしい音を立てただけだったが、山本が驚くには十二分だった。
 大して痛くも無い頬を押さえて、驚愕の目を揚羽に向ける。



「痛い?」



 人をはたいたなどとは、とても思えない穏やかな顔で揚羽は問うた。



「きっと、死ぬのはもっと痛いよ?」



 あくまで無表情のまま、彼女は淡々と言った。
 きっと、まだ怒っているのだろう、と思った。



「それから、君を好きな人はきっと、もっとずっと痛いよ?」



 だって、こんなにも優しい。



「はい」



 山本はなんだか可笑しくなって笑った。



「ありがとうございます」



 そんな山本に、揚羽はようやく怪訝そうに眉を顰めた。


「・・・わたし、怒ってるんだけど」
「ちゃんとわかってますって!」


 今度こそ立ち上がって制服に付いた土を叩いて落とす。
 ははっと短く息を吐くように笑って笑顔を向けると、「もうっ」と揚羽が怒る顔が見えた。


「センパイのいうとおりっすね」


 そう山本が言うと、唐突な言葉に揚羽がきょとんと目を丸める。すぐに彼の云わんとしていることに気付き、小さく苦笑した。
 その、まだ、ぎこちない笑顔を見ながら、叱られているというのに、こんなにも嬉しい気分になったのは初めてだ、と思った。









 
(彼は自分にないものを持っていた)
(はじめから)









長ーい!


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