01
おれは自分の部屋の机に開かれた無数の参考書と向き合っていた。その数はいち、に、さん……数えているうちにペンを持った大きな手が伸びてきて、おれの作った回答に赤を入れていく。赤がたくさん跳ねている。まるが全然ない。
――ここ、ここ、ここも。
ここは、さっきやった公式だったのに、思い出せなくなった。頭を抱えようとしても絶えず赤ペンが走っている。おれは既に泣きそうだった。
――ここも違う。
「うう」
直そうとするけれど計算が追いつかなくて、その間にも無数の回答に赤が跳ねている。ぴ、ぴ、ぴ、と。おれは頭を抱えた。
「うう」
新しい公式を使うのもあった。もう入らない。それなのに手が動いて行く。
「こら、陽太」
「ううう」
「唸るな……陽太」
やさしく呼ばれてはじめて唸っていたのをやめて目を開くと、そこはベッドの上だった。天井を遮るようにして覗くのは、赤ペンの持ち主である翔吾。慌てて起き上がると、翔吾が驚いたように頭をさっと引いた(そのままいっていたらずつきをしてしまいそうだったので危機を感じたらしい)。
さっきまで向かっていた机を見ると、そこは高校の教材が無造作に散らされているただの物置と化している。
ぽかんとしてから、ああ、夢か、と思った。恐ろしい夢だった。
「怖い夢か。涙目だ」
近づいてきた既に制服の翔吾が、不思議そうにおれの顔を覗きこむ。ていうか、おまえが原因だし……。
「翔吾が」
「俺?」
「翔吾が赤ペンで、おれの回答を跳ねるんだ。ぴ、ぴ、ぴって」
怖かったほんとうに。それを聞いていた翔吾が苦笑いだったから悔しくて枕を顔めがけて投げつけた。あっさりかわされたけど。
「おれ、うう……」
「泣くな。腫れるから」
「ううう……」
「悪かった悪かった」
ぽんぽんぽんとあやされて、必死に涙を引っ込めようとする。だって、怖かったんだ。翔吾がおれの回答を無慈悲にぴっぴしていくから。
「俺はそんなスパルタだったっけか」
「受験期の翔吾の、じゅうばいは、スパルタだった」
「それはもう俺じゃないだろう」
たしかに翔吾は受験時代この高校に入るのに学力が足りなかったおれの勉強のお世話をしていた。しかし受験時代の翔吾はおれが理解するまで根気よく公式を叩きこんだ。忘れたら思い出すまで時間をくれた。しれっと家庭教師も顔負けの展開をする翔吾をあのときは恨めしげにみていたけれど、今回の夢の中の翔吾よりはずっとずっとやさしかった。
「ううう、翔吾のばか」
「だったらなんで俺に抱きつく」
「ばかな翔吾は夢の中の翔吾」
「……ややこしい」
そうはいってもしっかりとおれの背中に腕を回して安心させるようにさすってくれる翔吾は、やっぱりリアルな翔吾なのだなと感じる。体の力を抜いて、今度こそおれは朝の空気に再びまどろみそうになった。そんなことは許してくれるはずもなく、長い指にデコピンされた。
「支度」
「あい」
制服の翔吾が学校の支度を終えた状態でパジャマであるおれを起こして、ふたりでご飯を食べて歯を磨いて家を出る。これはおれがまだ中学生だったときからの日常だ。
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