04
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「到底、呑めるものではない」
その当時、俺を雇ったその土地は、狭いけれど趣のある雄大な城を持っていた。姫さまの一族は、昔からゆえゆえしい血統を持つものであり、そのぶん城もかなり古い。繁栄の一端には絶えることのない金山たちがそびえている。
そしてその頃、殿の後継ぎに生まれた長男は病床にあり、二男は生まれて間もない赤ん坊。その間に生まれている姫さまは女子。
長男が生まれるまでにかかった歳月は、容赦なく殿の若さと威厳を奪い取っていた。
すっかり夜も深い暗がりで、蝋燭の揺れる明かりの元、荒々しく無遠慮であろう筆跡を見ながら呟いた殿の声に、言葉をかける者はいなかった。長らく殿に仕えた従者たちでさえ、膝をつきながら下を向き閉口するばかり。
今や遠くの地までその名を響かせるほど強大になった隣国が、この地を舌舐めずりしながら狙っていることなど、誰の目にも明らかなことであった。表面上は穏やかな日々、その中でも隣国からの無言の圧迫は容赦なかった。
そうして、隣国は動いた。
受け取った隣国からの言伝に、殿は額に手を当てて目を瞑ったまま動かない。知らせの内容を聞いた俺たちも、なにも言えない。
どうするべきかなど話しあう必要すらないくらい、取るべき行動の明らかな知らせだった。それなのに、辺りが白んできてもなお、俺たちは誰ひとりとして動くことが出来ないでいた。
あまりにも、無情な交渉――いや、命令であった。
「父上」
奇妙な耳鳴りに参っていた俺は気づかなかった。最愛のあなたが来る、着物を床が擦る音もはいってこなかったのだ。
「……大姫」
父上が声を漏らす。つられるようにして、従者たちが頭を上げかけて、慌てて元の位置に下げた。
ゆったりと座った姫さまが、父上を一点に見つめる。その表情は、すでに己を覚悟している、大人びたもので。その瞬間、周りがいるにも関わらず、俺は待てと声を上げた。
だけどそれよりも先に、姫さまが頭を下げ、そしてはっきりと言ったのだ。
「さくらは、隣国に参りましょう」
なにかが、頭の奥で弾けて壊れた。大切にしていた、命を捨ててでも守ろうと思った存在は、俺に守らせることなく、離れていく。他の従者の瞥見も無視して、姫さまを見つめる。
殿は、額に手を当てたまま、なにも言わない。なにかを考えるように、眉間に皺を寄せる。なにか、言ってくれ。姫さまを、引きとめて――。ほとんど本能的に、俺は殿に助けを求めた。喉元まで出かかった声を押し殺そうとしたとき、やがて静かに、殿が額から手を下げた。まっすぐに姫さまを見つめて、やがて、深く、頭を下げた。
「すまない」
隣国は友好関係を築くという交渉を持ちかけて来ていた。自国の繁栄に目がくらんで地迷うことはしまい。しかし、こちらが不意に攻めて来ないとも限らない。だから、その証に姫さまと隣国の若さまとの婚姻を望んだ。
それは、脅しであった。
攻め込まれたくなければ、自国を守りたければ、一番大切な姫さまを人質にさし出す。と。姫さまは、人質だった。誰もが分かっていた。
「さくらは、そんな大層なことはしていないぞ。……褒めすぎだ、ばか」
あのとき照れたようにはにかんださくらさまの表情。袖の間からかすかに香った花の匂い。爽やかに吹きすさぶ風が揺らした長い髪の毛。
あなたを守るためなら、命など惜しくはなかった。あなたの剣となり、盾となると決めた。そんな俺を置いて、あなたは言ってしまったのだ。
わたしが愛した、たったひとつの無垢な魂。
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