05
みっちゃんからの呼び出しも当然ないので、おれはぼんやりと帰り仕度をはじめていた。授業がすくなくなり進路によって帰宅時間がバラバラになる中、教室には既に半数以上の人数しか残っていなかった。
「帰るの? 傘は」
「歩いて帰る」
「あーわたし傘持ってるけど、一緒に帰る?」
「いいよー沙羅は逆方向でしょ」
それにもう一時間分生物の授業が残っているはずだ。このお人よししまいには貸そうかなんて言い出しかねないので、さっさと移動教室に行かせた。
鞄を持って昇降口へと出る。どうせなら、走って帰る。七月独特の、生温かい雨の匂いがした。
クラスの下駄箱の前で、つまらなそうに携帯をいじる大きな影が見える。間違いなく里央で、十中八九おれを待っているに違いない。授業はたしかもう終わっているはずだ。
驚くことはなかった、よく里央はこうしておれを待つ。近くのファーストフード店に寄って帰ろうとか、罰則の掃除手伝えとかチャリ乗せろとか、大抵くだらない内容で。
(それが、うれしいと思うおれもおれだけど)
ほら、今だって。遠ざけようと避けるのに、向こうから近づいてくるとどこか満ち足りた気持ちになる。
「りお――」
「あれー里央まだいたの?」
すこしだけ高い、はつらつとした女の子の声だった。そのときおれは、自分でも全身が凍りついたのが分かった。
他の子よりもすこしだけ短いスカート、すこしだけ明るい髪の毛、すこしだけぱっちりとした目、すこしだけ小さい背丈。下駄箱を背に携帯をいじくっていた里央にその子が近づいた放課後の風景は、あまりにも綺麗な一枚の絵になっていた。
息をつめたおれは、なぜか、隠れるようにその場に立つ。
クラスの女の子だろうか。里央も合点がいったように「ああ」と片手を上げた。
「今かえり?」
「あーちょっとね」
「もしかして、傘ないんだー! ウケる!」
「しょーがないだろうが。今日天気予報晴れだったし」
楽しげでテンポのよい会話が続く。
また、胸がつまるように苦しい。ほう、と息を吐いて、今度こそほんとうにおれは止まった。どうやって出ていっていいか、タイミングが分からなくなった。下駄箱の向こう、会話が続く。
「あ、ねえよかったら折り畳み傘貸そうか? わたしいつも持ち歩いちゃってんだけど、この間雨予報の日学校に持ってきた傘置きっぱなしでさ。二本あるの」
ちらりと垣間見た、黄色に水玉の傘。小さくて可愛らしい柄のそれを里央が掴むと、その手の中で一層小さく見えてしまう。
「えー、いいの? 実は晃介待ってたんだけどさ、あいついつまで経っても来ないからどうしようかと思ってたところ! さんきゅ!」
だったら、待つなよ、ばか。
どうでもいい小さなイライラが、うずく。黒い煙みたいに、頭の中をかすめる。ぎゅう、と拳を握りしめた。
里央といると、どんどん、小さなことでも苛立つ自分が嫌いになりそうだ。
「ああ、4組の? 晃介くんも迷惑っしょ!」
迷惑なんかじゃない。口では迷惑そうに、しかたなさそうにしているけど、ほんとうはいつだって――。
ガタッ
横にずらした足が当たったのだろう、下駄箱が音を立てる。笑い合っていたふたつの声が、一瞬しん、と静まる。
「んーだれか」
ひょこりと覗いた女の子の顔は見たことがある。里央のクラスに行ったときによくいる女の子だ。名前は覚えていないけれど。不審そうなその子の目がおれを捕えて、ぱっと明るく輝いた。
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