09


「晃介!」


 ずいぶんと近くで名前を呼ばれていることに気づく。なんだかやけに重たい瞼を開くと、仏頂面の沙羅の姿。ぼんやりとしていると、その仏頂面がすこしだけ和らぐ。

 それは心配そうに眉を潜めるまでかわった。


「ずっと寝てたから昨日ばかやってたんじゃないかと思ってたんだけど、あんたもしかして体調悪い?」

「たいちょう?」

「なんか、様子おかしいし」


 ぴたりと、沙羅の細い手のひらがおれの額に当てられる。ひんやりと気持ちいいそれに目を細める。すぐに手が離れて、「やっぱり」という呟き。


「ばかね。昨日傘忘れて雨にでも濡れて帰ったんでしょ」


 エスパーである。

 どうやら気だるくて重たい体がただの悩み過ぎでないことがはっきりしてきた。たしかに、言われてみれば熱っぽいのかもしれない。普段健康で風邪を引かない体質だから考えることもしなかった。

 腕を引かれて保健室に向かわされる。強制送還の予感がした。


(風邪か)


 あのあと、里央はしっかり傘に入って濡れずに帰っただろうか。あの、可愛らしい折り畳み傘で。

 ほっとした。今日は、避けていたのではなく、風邪を引いて家に帰ったので偶然会わなかったという筋書きができた。そんなこと考えているおれは、この恋に、臆病になりすぎているのか。

 ぼう、とした頭で考える。テキストだの筆記用具だのはまとめて乱暴に沙羅が入れてくれた。早く帰れといわんばかりに。


「あんた、家に家族いんの?」

「うち共働きだし、いない」

「帰り、ドリンク剤でも買って、あとは布団かぶって寝てな」

「あい」


 そんな会話をしたのをうつらうつら覚えている。沙羅の命令どおり近くの薬局でドリンク剤を購入したおれは、家に帰るなり布団にすっぽり潜って目を瞑った。


(からだ、おもい)


 倦怠感と、安堵感。

 ふたつの相反するものが、一緒になって、胸の中にいた。七月なのに暑くなくて、熱がまた上がったことに気づいた。



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